2013年10月9日(水)
> 爆笑問題の太田光が「タイタンの妖女」を愛読していて、石丸先生が悲しすぎると言ったこの結末について救われたと書いていました。「今までの人類の歴史なんてなんかの冗談なんだよって言われたらすごく救われる」と。
人の出会いと別れも人類の歴史さえも誰かの手のひらの出来事で、しかも大した意味などなかったという結末にすごく救われた気がするのは私も同じです。人間ってもっとちっぽけでいいと思うんです。
私が「悲しすぎる」と言ったのは、繰り返しますが物語のトータルな行方についてではなく、ここに現れる二組の友情の結末についてです。
自分の唯一の親友をそれと知らずに絞殺し、その後も親友との再会を希望として生き続けるアンク。
そのアンクに真実を知らせることによって彼のかすかに残った自己肯定を打ち砕き、自らタイタン行きを望むように仕向けるラムフォード。
さらにラムフォードは、トラルファマドール星から来た機械人のサロに、巧妙かつサディスティックな仕打ちを加え、彼を自殺(=自己破壊)に追い込みます。
これらの結末に「救われた」と言うのも読者の自由でしょうが、私には理解できません。
「人間ってもっとちっぽけでいい」という言葉についても、半ば同意しますけれど全面的にではありません。自分をちっぽけなものと扱われて喜んでいられるほど、人間ができていませんから。
人間はちっぽけなものだから、家族をヒロシマで焼かれたことも恋人を通り魔に殺されたことも、私ひとりの悲しみであって実は大した意味はない、そう言われて「その通り」と言えるなら、救われるがよかろうと思います。
太田光氏はさておき、勝沼さんがそういう主張をする人でないことはよく承知しています。
承知のうえで敢えて以上のことを書きました。失礼があったらお赦しください。
そう簡単に「救われる」ことを、この作品は望んでいないと私は思います。
> 爆笑問題の太田光が「タイタンの妖女」を愛読していて、石丸先生が悲しすぎると言ったこの結末について救われたと書いていました。「今までの人類の歴史なんてなんかの冗談なんだよって言われたらすごく救われる」と。
人の出会いと別れも人類の歴史さえも誰かの手のひらの出来事で、しかも大した意味などなかったという結末にすごく救われた気がするのは私も同じです。人間ってもっとちっぽけでいいと思うんです。
私が「悲しすぎる」と言ったのは、繰り返しますが物語のトータルな行方についてではなく、ここに現れる二組の友情の結末についてです。
自分の唯一の親友をそれと知らずに絞殺し、その後も親友との再会を希望として生き続けるアンク。
そのアンクに真実を知らせることによって彼のかすかに残った自己肯定を打ち砕き、自らタイタン行きを望むように仕向けるラムフォード。
さらにラムフォードは、トラルファマドール星から来た機械人のサロに、巧妙かつサディスティックな仕打ちを加え、彼を自殺(=自己破壊)に追い込みます。
これらの結末に「救われた」と言うのも読者の自由でしょうが、私には理解できません。
「人間ってもっとちっぽけでいい」という言葉についても、半ば同意しますけれど全面的にではありません。自分をちっぽけなものと扱われて喜んでいられるほど、人間ができていませんから。
人間はちっぽけなものだから、家族をヒロシマで焼かれたことも恋人を通り魔に殺されたことも、私ひとりの悲しみであって実は大した意味はない、そう言われて「その通り」と言えるなら、救われるがよかろうと思います。
太田光氏はさておき、勝沼さんがそういう主張をする人でないことはよく承知しています。
承知のうえで敢えて以上のことを書きました。失礼があったらお赦しください。
そう簡単に「救われる」ことを、この作品は望んでいないと私は思います。