2013年10月26日(土)
雨の朝、台風27号通過中。
古い記憶がよみがえる。
前橋から松江へ引っ越した昭和40年の秋、確か台風27号の接近で集団下校したことがあった。松江市立内中原小学校へ転校直後のことだ。
ネットで調べてみても、しかし27号は出てこない。
その代りこの年は、23号から25号まで強い台風が3つ続いて上陸・接近し、全国的に甚大な被害を生じている。記憶違いかな。
ともかく当たり年だったのだ。ただし9月10~18日にかけて、まさしく二百十日、二百二十日の頃だ。
今年も当たり年だが号数を比べるとずいぶん遅く、数としては少ない。
それが何を意味するか、すぐにはわからない。
*****
水曜日、CATの雑談の中で「日本の右翼がアメリカ大好きの不思議」に話が及んだ。
右翼というのは国粋主義なんだから、自国以外はすべて潜在的な敵と見るのが基本姿勢だ。
たいへんわかりやすく、一貫している。
だから、かつてのソ連や現在の中韓を敵視することに不思議はないけれど、いっぽうで敗戦以来ほぼ常に親米的であることが、良し悪しはさて置きよく分からない。
「明治以来の日本の基本路線は親英米で、第二次大戦前後の30年ほどが例外だったのだ」というのは理屈であり、経緯はともかくこの国を焦土に変えたのがアメリカだったことは、否定しえない事実なので。
理屈ではなく素朴な心情に訴えるのが、国粋主義の身上であるはずだし。
**
今朝の天声人語が特定秘密保護法案の国会提出に触れ、「その一面を荒っぽく言うなら、米国からもらった情報を守るために自国民を罪に問う法」だと表現した。
前振りに、米国の情報機関が同盟国であるドイツの首相の携帯電話を盗聴した疑惑のことが記され、「メルケル首相が怒ってオバマ大統領に直接抗議した」と紹介されている。
「安倍首相の携帯は大丈夫か」との質問に、「まったく問題ない」と官房長官が強調したそうだが、これは大笑いだ。何がおかしいかって?
もしもメルケルの携帯は盗聴するが、安倍の携帯はお構いなしというのであれば、「まったく問題ない」のではなく、「まったく問題にされていない」のである。日本はドイツと違ってナメられているということを、自ら認めるようなものだ。
むろんアメリカは日本をナメているが、およそ気を許してなどいないから、メルケルを盗聴して安倍を盗聴しないはずがない。
盗聴されても、アメリカに睨まれるようなことを何も言ってないから「問題ない」という意味かな。
「怒ってオバマ大統領に直接抗議する」ような首相を、僕らはいつになったらもてるだろうか。
**
精神分析のマクロ適用は「あり」だと書いた。
さっそくの活用例、キーワードは「攻撃者との同一化 identification with the agressor」だ。
これは使えるよ。日常生活でも国際政治でも。
*****
考えてみれば、名前を伏せる話でもないか。
木曜日に講演に行ったのは東京女子大である。
同校がキリスト教ミッション校であることは、意外に知られていないかもしれない。
というか、自分が知らなかったのだ。
同校の英語名称は Tokyo Woman's Christian University、「1910年のキリスト教世界宣教大会(エジンバラ)における決議に基づき、北米のプロテスタント諸教派による援助を受けて開設された」とある。
特定教派の単独ミッションによる設立学校の多い中で異色である。
初代学長は新渡戸稲造(1862-1933、学長 1918-1923)、Service と Sacrifice を組み合わせた校章は新渡戸の創案だそうだが、彼は1920年から国際連盟事務次長となり、ジュネーヴに赴任するため短期間で職を離れた。
実質的には二代目の安井てつ(1870-1945、学長 1923-1940)の薫陶が影響大であったという。
治安維持法により共産党員として検挙された卒業生・在学生を慰問したこと、開戦直前まで政府の圧力に抗してアメリカやカナダの恩人たちと交流を保ったこと、戦時中も同じく圧力に抗して英語専攻部を閉鎖しなかったことなど、気骨をうかがわせる逸話がいろいろある。
・・・などとは付け焼刃のネット勉強で、今回は6月の信徒講演を聞いた東京神学大学のT先生が、東京女子大の宗教主任をつとめる奥様に御推薦くださったのだった。
同校は春と秋に「宗教週間」を設けており、秋の部の学生への講演を拝命したという次第。
女子大というところは、足を踏み入れるのも落ち着かない。
バス停を降りて正門を入ると、見あげたところに「宗教週間」と大書されていて一瞬クラッと来たが、心のこもった歓迎を受けて正気をとり戻した。
スタッフの出身母体は日本基督教団のほか、バプテスト、ルーテル、カトリックなど多彩で、建学の趣旨を引きつぐエキュメニカルな雰囲気が嬉しいことである。会話の端にも日頃の和気藹々たる様子がうかがわれる。
きれいに手入れされた中庭が、和風の緑を洋風に配して美しい。
それを取り囲む建物は1930年代から30年代創建のもので、いたずらに屹立することなくじっくり落ち着いてそこにある。
図書館など新しい建築群はキャンパスの左奥に広がり、古きと新しきが調和を保って同居しているようだ。
講演後に案内されたキリスト教センターは、かつて安井学長の居館であったとのこと。
暖炉の横にリードオルガンが置かれた居間が、今も会議室として使用されている。
学生が一人、「授業と重なって講演には出られなかったので」と尋ねてきた。日頃から出入りし、先生方に可愛がられているらしい。
放送大学に移る前の勤め先のスクラップ&ビルド路線を思い出し、何かと比較するところがあった。
講演?
まあそれは、用意して行った話をしてきたということで。
後で要旨を学内報に載せると聞いて、原稿のないのを申し訳なく思った。
録音から文字に起こすのはたいへんな手間なので。
女子大生たちは行儀よく、ただ、反応が乏しくて笑うはずのところで静まり返っているのは、僕などにはやりづらいところだ。私語や遅刻は、これなら少ない方か。
しきりにメモを取っている姿があるのは、授業扱いで出席レポートでもあるのかな。
フロアに降りていって、「ぶっちゃけ、どうよ?」と訊いてみたい気持ちが一瞬あったが、それでは宗教講演が台無しだ。
治安維持法の昔、あるいは学園紛争の時代と比べても、学生たちは幼くなったのである。
そういう僕ら中高年は、果たして成熟しているだろうか?

Service and Sacrifice
雨の朝、台風27号通過中。
古い記憶がよみがえる。
前橋から松江へ引っ越した昭和40年の秋、確か台風27号の接近で集団下校したことがあった。松江市立内中原小学校へ転校直後のことだ。
ネットで調べてみても、しかし27号は出てこない。
その代りこの年は、23号から25号まで強い台風が3つ続いて上陸・接近し、全国的に甚大な被害を生じている。記憶違いかな。
ともかく当たり年だったのだ。ただし9月10~18日にかけて、まさしく二百十日、二百二十日の頃だ。
今年も当たり年だが号数を比べるとずいぶん遅く、数としては少ない。
それが何を意味するか、すぐにはわからない。
*****
水曜日、CATの雑談の中で「日本の右翼がアメリカ大好きの不思議」に話が及んだ。
右翼というのは国粋主義なんだから、自国以外はすべて潜在的な敵と見るのが基本姿勢だ。
たいへんわかりやすく、一貫している。
だから、かつてのソ連や現在の中韓を敵視することに不思議はないけれど、いっぽうで敗戦以来ほぼ常に親米的であることが、良し悪しはさて置きよく分からない。
「明治以来の日本の基本路線は親英米で、第二次大戦前後の30年ほどが例外だったのだ」というのは理屈であり、経緯はともかくこの国を焦土に変えたのがアメリカだったことは、否定しえない事実なので。
理屈ではなく素朴な心情に訴えるのが、国粋主義の身上であるはずだし。
**
今朝の天声人語が特定秘密保護法案の国会提出に触れ、「その一面を荒っぽく言うなら、米国からもらった情報を守るために自国民を罪に問う法」だと表現した。
前振りに、米国の情報機関が同盟国であるドイツの首相の携帯電話を盗聴した疑惑のことが記され、「メルケル首相が怒ってオバマ大統領に直接抗議した」と紹介されている。
「安倍首相の携帯は大丈夫か」との質問に、「まったく問題ない」と官房長官が強調したそうだが、これは大笑いだ。何がおかしいかって?
もしもメルケルの携帯は盗聴するが、安倍の携帯はお構いなしというのであれば、「まったく問題ない」のではなく、「まったく問題にされていない」のである。日本はドイツと違ってナメられているということを、自ら認めるようなものだ。
むろんアメリカは日本をナメているが、およそ気を許してなどいないから、メルケルを盗聴して安倍を盗聴しないはずがない。
盗聴されても、アメリカに睨まれるようなことを何も言ってないから「問題ない」という意味かな。
「怒ってオバマ大統領に直接抗議する」ような首相を、僕らはいつになったらもてるだろうか。
**
精神分析のマクロ適用は「あり」だと書いた。
さっそくの活用例、キーワードは「攻撃者との同一化 identification with the agressor」だ。
これは使えるよ。日常生活でも国際政治でも。
*****
考えてみれば、名前を伏せる話でもないか。
木曜日に講演に行ったのは東京女子大である。
同校がキリスト教ミッション校であることは、意外に知られていないかもしれない。
というか、自分が知らなかったのだ。
同校の英語名称は Tokyo Woman's Christian University、「1910年のキリスト教世界宣教大会(エジンバラ)における決議に基づき、北米のプロテスタント諸教派による援助を受けて開設された」とある。
特定教派の単独ミッションによる設立学校の多い中で異色である。
初代学長は新渡戸稲造(1862-1933、学長 1918-1923)、Service と Sacrifice を組み合わせた校章は新渡戸の創案だそうだが、彼は1920年から国際連盟事務次長となり、ジュネーヴに赴任するため短期間で職を離れた。
実質的には二代目の安井てつ(1870-1945、学長 1923-1940)の薫陶が影響大であったという。
治安維持法により共産党員として検挙された卒業生・在学生を慰問したこと、開戦直前まで政府の圧力に抗してアメリカやカナダの恩人たちと交流を保ったこと、戦時中も同じく圧力に抗して英語専攻部を閉鎖しなかったことなど、気骨をうかがわせる逸話がいろいろある。
・・・などとは付け焼刃のネット勉強で、今回は6月の信徒講演を聞いた東京神学大学のT先生が、東京女子大の宗教主任をつとめる奥様に御推薦くださったのだった。
同校は春と秋に「宗教週間」を設けており、秋の部の学生への講演を拝命したという次第。
女子大というところは、足を踏み入れるのも落ち着かない。
バス停を降りて正門を入ると、見あげたところに「宗教週間」と大書されていて一瞬クラッと来たが、心のこもった歓迎を受けて正気をとり戻した。
スタッフの出身母体は日本基督教団のほか、バプテスト、ルーテル、カトリックなど多彩で、建学の趣旨を引きつぐエキュメニカルな雰囲気が嬉しいことである。会話の端にも日頃の和気藹々たる様子がうかがわれる。
きれいに手入れされた中庭が、和風の緑を洋風に配して美しい。
それを取り囲む建物は1930年代から30年代創建のもので、いたずらに屹立することなくじっくり落ち着いてそこにある。
図書館など新しい建築群はキャンパスの左奥に広がり、古きと新しきが調和を保って同居しているようだ。
講演後に案内されたキリスト教センターは、かつて安井学長の居館であったとのこと。
暖炉の横にリードオルガンが置かれた居間が、今も会議室として使用されている。
学生が一人、「授業と重なって講演には出られなかったので」と尋ねてきた。日頃から出入りし、先生方に可愛がられているらしい。
放送大学に移る前の勤め先のスクラップ&ビルド路線を思い出し、何かと比較するところがあった。
講演?
まあそれは、用意して行った話をしてきたということで。
後で要旨を学内報に載せると聞いて、原稿のないのを申し訳なく思った。
録音から文字に起こすのはたいへんな手間なので。
女子大生たちは行儀よく、ただ、反応が乏しくて笑うはずのところで静まり返っているのは、僕などにはやりづらいところだ。私語や遅刻は、これなら少ない方か。
しきりにメモを取っている姿があるのは、授業扱いで出席レポートでもあるのかな。
フロアに降りていって、「ぶっちゃけ、どうよ?」と訊いてみたい気持ちが一瞬あったが、それでは宗教講演が台無しだ。
治安維持法の昔、あるいは学園紛争の時代と比べても、学生たちは幼くなったのである。
そういう僕ら中高年は、果たして成熟しているだろうか?

Service and Sacrifice