散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

先妻の嫉み/小泉八雲

2014-02-04 12:47:13 | 日記
2014年2月4日(火)

 先妻が後妻を嫉む・・・もちろん、後妻だって先妻を嫉むだろうが、「正当な既得の権利を奪われる」ことへの恐れと憤りが、先の者をより強く苛むことには不思議がない。不等辺な三角関係だ。
 それで思い出した怖い話、ラフカディオ・ハーンこと小泉八雲に『因果話』と訳される作品がある。
 
「さる大名の奥方が、死の床に伏しておりました。本人も死期を悟っているようでした。文政十年の秋口から、ずっと床についたままで、やがて文政12年 ー 西暦でいうと、1929年 ー の卯月、桜の頃を迎えようとしておりました。
 奥方は庭の桜木や春の喜びに思いをはせていました。子どもたちのこと、そして殿のあまたいる側室、とりわけ、十九になる雪子に思いをめぐらせていました。」

 奥方は「妹のように愛しんでいたお雪に、後のことを託しておきたいから」と枕辺に呼び寄せ、死ぬ前にどうしても庭の八重桜が見たいからと、背におぶって連れて行ってくれるようお雪に頼む。殿様に促されてお雪が背を差し出すと、やおら・・・
「瀕死の奥方は、人間業とは思えぬほどの力をふりしぼって起き上がり、雪子の肩にしがみつきました。けれども、立ち上がるやいなや、やせ細った手を雪子の肩口から着物のなかへと滑り込ませ、雪子の乳房をぐいとつかむと、突如、不気味な笑い声を上げました。
 『ついにやった!望み通り、桜の花を手に入れた。庭の桜より、こなたの桜に心が残り、死ぬに死ねずにいたのだ。これでやっと望みがかなった。ああ、嬉しや』
 奥方はこう叫ぶなり、目の前で腰をかがめている雪子の背に倒れこみ、息絶えました。」

・・・この後が凄いんだよ、どうぞお読みあれ。

ラフカディオ・ハーン/池田雅之『新編 日本の怪談』(角川ソフィア文庫)

 ラフカディオ・ハーンこと、小泉八雲。
 松江時代、家の近くに彼の旧居と記念館があり、わが家を訪れる親戚知人の観光案内は賢い少年の役割だった。幼少期に片眼をケガで失ったため、健眼の側からの横顔しか残っていない肖像写真や、100本を超えるキセルのコレクション、座敷の三方に四季の花を植えた庭、鮮やかに思い起こされる。
 確かギリシア人とアイルランド人の混血で、アングロサクソンの正統からは相当離れた位置にいる英語教師だった。その作品は日本文学か英文学か、日本の心を日本人以上に深く味わいつつ、これを英語の短編小説のスタイルで造形していったのだ。原文は英語で書かれているのに、この人ばかりは誰が訳してもあまりハズレがない。作家が日本の心で考えているので、器は英語であっても日本語への「訳し戻し」の道が確保されている、そういうカラクリではないかと思ったりする。得がたい存在である。
 (『常識』という作品について別に記す。)

***

 それにしても、だ。
 午後からA君のクリニックへ手伝いに行き、あらためて思ったんだが、「嫉妬」というか、男女関係へのまとわりつき方が様変わりしていないか。
 「嫉」も「妬」も女偏、だけど最近診察室で聞こえてくるのは、男性からのまとわりつきに辟易する女性の声ばっかりだ。
(続く)
 

言葉の紳士録 009: 日本語の自動詞と他動詞/植わる/うわなり打ち

2014-02-04 08:52:00 | 日記
2014年2月4日(火)

 自動詞と他動詞などということは、英語はじめ外国語文法ではやかましく言われるのに、日本語ではあまり意識することがない。
 だけど、これって注目するとたぶん面白いのだ。ほんの思いつくところで・・・

 伝わる/伝える

 備わる/備える

 すわる/すえる

 等々

 アタマはお利口なので、いくつかの例を知るとそこからパターンを抽出し、転じて類推する作業を勝手に始める。そこに生じるミスなども、進化における突然変異に相当するような、ある種の豊かさの源なのかもしれない。

 「『植わる』って、ヘンなのかな?『花壇に植わってるチューリップ』みたいなの、」
 「ヘンじゃないだろ、何で?」
 「学校で議論になったんだよ、ヘンじゃないのか、良かった。」

 議論けっこう、大いにやってちょうだい。

***

 念のため「植わる」を国語辞典で確認していたら、近くにある別の言葉に目が吸い付いた。

うわなり: ① 後妻、のちぞい。② ねたみ、そねみ。▽先妻が後妻をねたむという事から。
うわなり打ち: 室町時代に、夫が妻を離縁して後妻と結婚した時、その先妻が親類の者と共に後妻の家を襲ったならわし。

・・・ならわし、だったの?
恐いなあ、凄いなあ。 

 

果珍李柰 菜重芥薑 ~ 千字文 008

2014-02-04 07:55:53 | 日記
2014年2月4日(火)

◯ 果珍李柰 菜重芥薑(カチンリダイ サイチョウカイキョウ)
くだもので珍重すべきは李(すもも)と柰(からなし)
野菜で尊ぶべきは芥(からしな)と薑(はじかみ)

・・・「からなし」と「からしな」か・・・

 李(すもも)には思い出がある。山形六中の一年の夏、吾妻山への登山合宿の時、農家の同級生が庭なりのスモモをもってきてくれて、これが驚くほど美味しかった。山形は(柑橘類を除いて)すべての果実が美味しく、楽園のような土地だった。

 柰は奈と書き換えて良いようだ。奈(からなし)は加良奈志/唐梨、① ベニリンゴの古名、② カリンの異名とある。千字文の指すのはどちらか?

 芥(からしな)はアブラナ科アブラナ属の越年草、種子は和辛子の原料となる。
 
 薑(はじかみ)はショウガの古名・雅名、椒(はじかみ)はサンショウの古名・雅名というのでややこしい。大和言葉としての「はじかみ」は、ショウガやサンショウを含む香菜の総称だったんだろうね、漢字が入ってきたとき、その意味を学んで「薑」や「椒」の字をあてたのだろう。この種の労にあたった無名の偉人達がいたはずだ。
 「はじかみ」ってどういう意味だろう、よく分からない。サンショウウオはハジカミイオとも言うんだそうだ。頭でっかちで尻すぼみに長い輪郭が、ショウガに似ていると見たんだろうね。だけど字は薑ではなく椒が使われる。ちょっとした混同だろうか。
 
[李注]
 『世説新語』に言う、「燕国・高道県の王豊が家より好き李を出だす。大きさ鵞子(鵞鳥の卵)の如し。香、美し。熟する毎に核(たね)を鑽(き)り破り、而して之を売る。人の、種を伝うるを恐れたるなり。之を種(う)うるも生ぜず。」

 ・・・私蔵は死蔵に他ならない。