2014年2月10日(月)
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 1891
これなども「現に評判になっている本は読めない」の類いか、2007年に上梓されるや70万部を突破し、新書大賞とサントリー学芸賞をダブル受賞した快著である。
「読み始めたら止まらない」と帯にあるのはウソではなかった。なるほどこいつは面白い。
面白さの由来を少しだけ考えてみるに、筆者が一流の細胞生物学者であること、それもアメリカの研究者に自分を売り込んで単身渡米するようなバイタリティをもつ、積極行動型の研究者であることは必須の背景。
それから著者はいわゆる視野の広い人で、「研究のために渡米したから研究以外のものが目に入らない」態ではなく、ニューヨークやボストンの醸し出す香りや、そこに響く通奏低音を鋭敏に感知し、それに載せて研究生活を体験している。
さらに、歴史的センス。ここで歴史的というのは、現在自分が経験していることが、どのような来歴を経て自分のところまでもたらされたのかを、系統立てて理解しようという姿勢のことだ。そのような視座に沿って、野口英世、オズワルド・エイブリー、ワトソンとクリック、モーリス・ウィルキンズ、ロザリンド・フランクリン、ルドルフ・シェーンハイマー、キャリー・マリス、ジョージ・パラーディ、そして筆者自身までが歯切れよく活写される。
「生命とは何か」というオープニングの問いから、「結局、私たちができたのは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである」という結句まで、ほどよい膨らみをもたせながら実は周到に無駄を廃した語りが小気味よい。
しかし、僕がいちばん惹かれたのは、実はエピローグだったんだな。
筆者は僕とほぼ同世代の人、僕が松江や山形でタニシやアオダイショウを相手に人格を形成しつつあった、ちょうど同じ時期に彼は東京から松戸へ引っ越した。「東京とその郊外が接する界面」であるとともに「戦後がなお戦前と接している界面」であった当時の松戸をワンダーランドとして、彼はアオスジアゲハに象徴される自然と出会い、生命に魅せられていく。その時期を描いた10頁余りのエピローグに、自分自身のワンダーランド体験が見事に重なって浮かんでくる。
文章もしっかりしていて、うまい。
売れた本にも良書はあるという一例か。
福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 1891
これなども「現に評判になっている本は読めない」の類いか、2007年に上梓されるや70万部を突破し、新書大賞とサントリー学芸賞をダブル受賞した快著である。
「読み始めたら止まらない」と帯にあるのはウソではなかった。なるほどこいつは面白い。
面白さの由来を少しだけ考えてみるに、筆者が一流の細胞生物学者であること、それもアメリカの研究者に自分を売り込んで単身渡米するようなバイタリティをもつ、積極行動型の研究者であることは必須の背景。
それから著者はいわゆる視野の広い人で、「研究のために渡米したから研究以外のものが目に入らない」態ではなく、ニューヨークやボストンの醸し出す香りや、そこに響く通奏低音を鋭敏に感知し、それに載せて研究生活を体験している。
さらに、歴史的センス。ここで歴史的というのは、現在自分が経験していることが、どのような来歴を経て自分のところまでもたらされたのかを、系統立てて理解しようという姿勢のことだ。そのような視座に沿って、野口英世、オズワルド・エイブリー、ワトソンとクリック、モーリス・ウィルキンズ、ロザリンド・フランクリン、ルドルフ・シェーンハイマー、キャリー・マリス、ジョージ・パラーディ、そして筆者自身までが歯切れよく活写される。
「生命とは何か」というオープニングの問いから、「結局、私たちができたのは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである」という結句まで、ほどよい膨らみをもたせながら実は周到に無駄を廃した語りが小気味よい。
しかし、僕がいちばん惹かれたのは、実はエピローグだったんだな。
筆者は僕とほぼ同世代の人、僕が松江や山形でタニシやアオダイショウを相手に人格を形成しつつあった、ちょうど同じ時期に彼は東京から松戸へ引っ越した。「東京とその郊外が接する界面」であるとともに「戦後がなお戦前と接している界面」であった当時の松戸をワンダーランドとして、彼はアオスジアゲハに象徴される自然と出会い、生命に魅せられていく。その時期を描いた10頁余りのエピローグに、自分自身のワンダーランド体験が見事に重なって浮かんでくる。
文章もしっかりしていて、うまい。
売れた本にも良書はあるという一例か。