散日拾遺

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読書メモ 025 『生物と無生物のあいだ』

2014-02-09 22:03:24 | 日記
2014年2月10日(月)

 福岡伸一『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書 1891

 これなども「現に評判になっている本は読めない」の類いか、2007年に上梓されるや70万部を突破し、新書大賞とサントリー学芸賞をダブル受賞した快著である。
 「読み始めたら止まらない」と帯にあるのはウソではなかった。なるほどこいつは面白い。

 面白さの由来を少しだけ考えてみるに、筆者が一流の細胞生物学者であること、それもアメリカの研究者に自分を売り込んで単身渡米するようなバイタリティをもつ、積極行動型の研究者であることは必須の背景。
 それから著者はいわゆる視野の広い人で、「研究のために渡米したから研究以外のものが目に入らない」態ではなく、ニューヨークやボストンの醸し出す香りや、そこに響く通奏低音を鋭敏に感知し、それに載せて研究生活を体験している。
 さらに、歴史的センス。ここで歴史的というのは、現在自分が経験していることが、どのような来歴を経て自分のところまでもたらされたのかを、系統立てて理解しようという姿勢のことだ。そのような視座に沿って、野口英世、オズワルド・エイブリー、ワトソンとクリック、モーリス・ウィルキンズ、ロザリンド・フランクリン、ルドルフ・シェーンハイマー、キャリー・マリス、ジョージ・パラーディ、そして筆者自身までが歯切れよく活写される。
 「生命とは何か」というオープニングの問いから、「結局、私たちができたのは、生命を機械的に、操作的に扱うことの不可能性だったのである」という結句まで、ほどよい膨らみをもたせながら実は周到に無駄を廃した語りが小気味よい。
 
 しかし、僕がいちばん惹かれたのは、実はエピローグだったんだな。
 筆者は僕とほぼ同世代の人、僕が松江や山形でタニシやアオダイショウを相手に人格を形成しつつあった、ちょうど同じ時期に彼は東京から松戸へ引っ越した。「東京とその郊外が接する界面」であるとともに「戦後がなお戦前と接している界面」であった当時の松戸をワンダーランドとして、彼はアオスジアゲハに象徴される自然と出会い、生命に魅せられていく。その時期を描いた10頁余りのエピローグに、自分自身のワンダーランド体験が見事に重なって浮かんでくる。

 文章もしっかりしていて、うまい。
 売れた本にも良書はあるという一例か。
 

雪道の憤慨

2014-02-09 17:25:55 | 日記
2014年2月9日(日)

 スノーブーツのおかげで、さほどの苦もなく教会へ着いた。早く来たCSの面々が玄関周囲の雪をかいている。さっそく参戦、時々なら雪かきは楽しい作業で、すこぶる体に良い。毎日となると話はまったく違う。

***

 幼稚科の子ども達、思ったよりもずっと集まりが良く、身じろぎもせずに聞いている。ヨブの苦難を聞いて涙目する子さえいて驚いた。話し方のコツを掴んだかなと悦に入って主任に話したら、「今日は年少さんたちが居ませんでしたからね」とトーゼン顔で一蹴された。そういういことか・・・
 それより、ヨブ記のことだ。38章から41章まで「嵐の中から」語られる主の言葉は、実はヨブの泣訴とかみ合わず答えになっていない。私があなたを創ったのだ、私が創造主でありあなたは被造物なのだと繰り返す主の言葉は、ヨブの悲惨をかえって増すものとしか僕には思えない。そもそも上から目線で、典型的なパターナリズム(父権主義)なのである。
 なぜヨブがこれで鎮まるか、答えの内容からは了解不能、内容ではなく主が親しく答えてくださったこと自体が、ヨブの慰めになったと考えるほかはない。そういうことなのだろう。
 この件のもうひとつの解は、「キリストこそがヨブの問に対する主の答えである」とするものである。要するにそれだ。

***

 役目を終え、一足先に雪かきに戻る。Cさん、Gさん、女性二人がやってきて加わった。看護師資格を持つ養護教諭に看護学生、頼もしいことだ。特にCさんは腰の備えがしっかりしていて、お餅も上手に搗けそうなスコップさばきである。
 ゲームを終えた幼稚科の親子連れがぞろぞろ出てきて、雪合戦に興じるやら雪道で写真を撮るやら、和やかな風景。不思議なのは、子ども一人に両親付きで手持ちぶさたの若い父親があり、横にはスコップが2~3挺も人待ち顔に置かれているのに、誰も「手伝いましょうか」とは言わないことだ。やがて三々五々散っていく際に、「お疲れさま」もなければ「ありがとう」もない。
 「手伝ってほしい」とか「ねぎらってほしい」とかいうのではない、この精神構造がよく分からないのだ。僕なら居心地悪くてゼッタイできないことだから。
 こういうのは何と関連づけるのが正しい推論なのかな。
 「他人事」だから、つまり、この場所は毎週通っていても所詮「他所(よそ)」であって「ウチ」ではないからか。だから毎年、子どもが然るべき小学校に入った途端、あらかた姿がなくなるわけなの・・・か?
 ああ分からん。

***

 以上はフシギだったこと、以下はフンガイしたこと。
 幼稚科ご一行様がいなくなるのと入れ替わるように、十字路の北側から女性が小さな姿を現した。80歳を優に超えていそうな高齢の様子で、足元が覚束ない。車の轍伝いに歩いてきたまま、十字路で立ちすくんでいる。
 「大丈夫ですか?転ばないでくださいね。」
 「いま転んだんです、そこで。」
 「どっちへ行くんです、駅の方?」
 「行こうと思ったけど、もうやめました。帰りたいの。」
 「お家はどちら?」
 「その、すぐ上の・・・でも」
 緩やかな上り坂、2ブロックほど先を指さしてから、前を向き直った。
 「今会った人が、表通りをぐるっと回って帰った方が良いって言うから・・・」
 「え?」
 耳を疑った。まっすぐ50m降りてきた道を、表通りを迂回して戻るならわざわざ四角形の三辺をなぞるわけで、少なくとも3倍の距離になる。そっちの道がすっかり除雪されているならいざ知らず、どこもかしこも雪かき中なのは、見れば分かるではないか。見上げれば、彼女が降りてきた道沿いの6~7軒から人が出て、てんでに家の前の雪をかいている。皆、この女性の家の50m圏内に住む「隣人」なのだ。無責任な「助言」を投げたのは、いったいどいつだ?
 「まっすぐ戻った方が良いですよ、御一緒しましょう。」
 腕を貸して道をあがっていくと、思った通りの高齢らしく、すぐに息が切れてしまう。
 「ひとりでお住まいなんですか?」
 「いえ、息子がいるんだけど、日曜だから。」
 日曜だから不在なのか。どういう意味か、それ以上は分からない。
 雪かきに余念のない近隣の人々、「お気をつけて」などと声をかけるのは同じく高齢の女性ばかりで、壮年の男性らは知らん顔である。シャイなんですね。「苦しい、苦しい」とつぶやきながら無事に帰り着き、立派な戸建ての門を入っていくのを見送ってホッとした。
 振り返ると、真向かいの家では40歳ぐらいの男性がせっせと何かしているが、むろん頑なに視線を合わせない。見れば家の前の路面はほったらかしのまま、敷地内の駐車スペースを入念に手入れしているのだ。車のフロントには、例の三つ扇形の外車マーク。そういうエリアなんだね。

 教会に戻りながら、久々に心の底から腹が立った。

***

 一昨日のクリニック、70代後半の男性Qさんの「愚痴」を採録しておく。かつては労働運動の闘士であり、売れない作家でもあった、独特の雰囲気をもった長身の老紳士である。

 「明日は大雪ですか、ええ、買い物はしてあります。震災の時にたいへん困りましたのでね。地域のスーパーなんぞから必需品が一斉に消えましたね。日本人はああいうことをするんですねぇ、もっと困る人のために、少しは買い控えしようという観念が、どれだけの人にありましたか。あっという間に、全てが消えましたから。」
 「先生御存じの通り、私は認知症の妻と二人暮らしですから、大した量のものは要らないんですが、あの時はちょうど米を切らして買おうと思っていた矢先だったので、非常に困りました。米がなくては、私たちの世代の者は特にね。昔ならば米屋も八百屋も地域の顔見知りですから、物にしても情報にしても何とかなったものですが、国中からコミュニティが消滅したということは、そういう時に助け合えるネットワークがなくなったということなんですな。」
 「日本人は礼儀正しくて災害の時にも混乱しないなんて、あれは全くウソですよ。まだまだ物があるから騒がなくて済んでいるだけです。まあ、私たちの世代から、少し遅れて団塊の人たちぐらいまで、みんな死に絶える頃には日本の人口も5千万か6千万か、ほどほどのレベルで落ち着くんでしょう。その時代の人たちが、それからどんなコミュニティを再構築するのか、私自身はとっくにいないわけですが、ちょっと見てみたい気がします。この国に未来があれば、ですけれどね。」

 雪道で足をとられて立ち往生している高齢女性を、近隣の人間がこぞって見て見ぬふりする社会に、未来などあるものかどうか。疑わしいと僕も思う。

弔民伐罪 周發殷湯 ~ 千字文 013/ヨブ記の朝

2014-02-09 07:27:56 | 日記
2014年2月9日(日)

◯ 弔民伐罪 周發殷湯(チョウミンバツザイ シュウハツイントウ)
民を弔(あわれ)み、罪を伐(う)ったのは、周の武王や、殷の湯王であった。

 押韻の都合で前後が入れ替わっているが、悪王として名高い夏の桀を伐ったのが殷王朝の開祖である湯、その殷王朝の最後となった暴虐の紂を伐ったのが、周王朝の開祖である武(發)、そういう関係になる。
 「殷王受、号して紂と為す。性狷介にして猛獣を手獲す。」
 高校二年の頃、夢中で暗誦した史記の一節だ。

 弔は「弔(とむら)い」とばかり読んでいたが、「弔(あわれ)み」でもあるのか。なるほど「弔い」には「弔み」が伴わなければウソだ。つまり、葬りが愛と共感によって行われるのでなければ。

 「李注」は紂王が悪妻にたぶらかされて国政を誤ったこと、そしてこの王妃が実は九尾の狐であったとの説話を伝えている。これと対比するに、司馬遷の筆法が「歴史」のはじめであること、頷かれる。

***

 僕にとって、ヨブ記は聖書中最大の難敵である。要するに納得していない。
 そのヨブの物語を、今朝は幼稚科の子どもたちと親たちに伝えなければならない。少々難儀なことだ。
 
 白い雪景色の上に、青天が戻ってきた。