2014年2月12日(水)
◯ 遐邇壹體 率賓歸王(カジイッテイ ソツヒンキオウ)
遠くの者も近くの者も一身(ママ)同体となり、
連れだってやって来て、王に心服する。
遐は「遠い」、邇は「近い」意だそうだ。
「壹體」は「一体」だよね。
イザヤ書、あるいは第一コリント12章を連想させる。
李注は「天子は天下の首(こうべ)なり」「蛮夷は天下の足なり」という賈誼(かぎ)の言葉を引用している。賈誼は『漢書』の著者とある。
キリストは教会の頭(かしら)であるという。キリストの天子たる所以だ。
「賓客」などと言うから、賓の字は「高貴な」という意味かと思っていたら、これは「率土の賓」(地の涯)という用例を踏まえているとの研究があるそうだ。すると「賓客」は、「はるばる遠来の客」という意味か。
はるばる遠くの仕事場へ、そろそろ出かけましょうか。
◯ 遐邇壹體 率賓歸王(カジイッテイ ソツヒンキオウ)
遠くの者も近くの者も一身(ママ)同体となり、
連れだってやって来て、王に心服する。
遐は「遠い」、邇は「近い」意だそうだ。
「壹體」は「一体」だよね。
イザヤ書、あるいは第一コリント12章を連想させる。
李注は「天子は天下の首(こうべ)なり」「蛮夷は天下の足なり」という賈誼(かぎ)の言葉を引用している。賈誼は『漢書』の著者とある。
キリストは教会の頭(かしら)であるという。キリストの天子たる所以だ。
「賓客」などと言うから、賓の字は「高貴な」という意味かと思っていたら、これは「率土の賓」(地の涯)という用例を踏まえているとの研究があるそうだ。すると「賓客」は、「はるばる遠来の客」という意味か。
はるばる遠くの仕事場へ、そろそろ出かけましょうか。