散日拾遺

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「心」のクライマックス/アイヌと沖縄

2014-09-12 07:32:30 | 日記
2014年9月12日(金)
 『こころ』再連載、とうとうKの自殺の場面に来た。
 何度目かに行をたどりながら、ここしばらくは「先生」の優柔不断がただ不快で腹立たしく、怯懦を責める気持ちばかりが募っていた。 今朝になってようやく気づくのは、「先生」ではなく自分自身に腹を立てていたことである。
 無言で死んだKは最も厳しく自身を罰すると同時に、最も苛烈な報復を「先生」に加えた。僕をとりまく人々はKほどの辛辣をもたなかったから、これほどの報復を為さずに黙って姿を消した。自分の悪さ卑しさは、「先生」に寸毫も劣るものではない。
 完敗。

***

 先週の修論ゼミに、青森からKさん、札幌からMさんの出席があった。その前の週に浦河を訪問したので、話が弾む。Kさんは父上が国鉄マンで、しばらく静内(しずない)に住んだことがあるという。静内は浦河のすぐ西隣、駅の様子など懐かしそうに話してくれた。
 ふとアイヌの話になった。向谷地さんが初めて浦河に着任した時、同地のアルコール問題の深刻さに驚くとともに、アイヌ差別が背景にあることを容易に見てとっている。
 「色が浅黒く、髪が太く黒々していて、毛深いのです。とても優しい、穏やかな人たちです。」
とKさん。
 「抗うということをしない、理不尽を押しつけられても、のんでしまうんです。」
 理不尽を、酒で呑みこんでしまうのか。アルコール問題は、歴史上いつでもどこでも、貧困や差別と深く関連している。
 「間違った連想かもしれませんけれど、私はそれを聞いて沖縄の人々を思い出すんです。」
 「沖縄ですか」
 「彼らもまた、優しくて温順な人々です。島津の時も、明治維新でも、激しい抵抗や分離運動が起きて不思議のない状況だった。今だってそうです。しかし彼らは理不尽を受け容れて忍んだ。僕らはずっとそれに甘えて・・・というより、つけこんできました。」
 「そうかもしれません」
 沖縄の人々も色黒だが、毛髪がアイヌの人々と似ているかどうか、僕にはわからない。
 ただ、南と北のこれらの人々が同祖ではないかというのは、突飛な思いつきではなく昔から言われてきたことである。北海道から琉球にまで広がっていた彼ら先住の民の中に、半島や中国から渡来した人々が分け入って中央を制した。先住民は北と南に裂かれ、時と共に北へ南へ後退していった。 
 人文学的な根拠と共に、奇しくもB型肝炎ウィルスのサブタイプ分布に関する分子生物学的研究が、これを支持する結果を出している。
 ただ、やがて琉球人は固有の政治体制を形成し、とりわけ中華帝国から冊封という形で認知されていたが、アイヌはそれを為し得なかった。阿弖流為(アテルイ)から奥州藤原氏に至る東北の勢力とアイヌの連続性を想定してよいとすれば、この人々がまさにそのような自己形成を行いつつあった時、そのプロセスをヤマトによって砕かれたのである。地続きという事情も災いしたのに違いない。
 もしも彼らが琉球のように固有の政治体制を確立し、中華帝国から冊封を受けていたら・・・事情はいろいろと違ったかもしれない。
 琉球は併呑されつつ名を遺し、アイヌは静かに吸収されつつある。当然、ヤマトの側の責任のありようも違うだろう。