散日拾遺

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琉球とアイヌ、スコットランドとカタルーニャ、冊封体制、要するに分離と統合のこと

2014-09-14 06:31:18 | 日記
2014年9月14日(日)
 ヤマトの側の責任のあり方、って乱暴な言い方だけれど。
 彼らが初めから当然に、「日本」の一部であるという思い込みを修正するところから始める。
 その場合、琉球/沖縄の人々は、もしも彼らが望むならば「分離」を申し立てる正当な歴史的背景をもち、またそれを構想するだけの潜在的な実力をもっている。少なくともスコットランドやカタルーニャがそれを主張できるのなら、琉球がそれを主張できない理由がない。そのような存在として彼の地の人々を尊重し、一種の同盟ないし連合として現在の「日本」を描き直す弁えが僕らに必要である。
 いっぽうのアイヌ、彼らもまた永遠の法廷において論じ立てたい、数えきれないほどの主張があるだろう。けれども悲しいかな、今からそれを掘り起こしたとしても、分離という形で主張することが彼の人々の利益になるとは思えない。そのような程度にまで細かく砕かれ、「日本」の一部として取り込まれている。そうだとすれば、そのような少数者の存在に注目し、その権利を擁護するのはもっぱら「日本」というシステムの責任だ。それは日系米国人の強制収容が既に「日本」の問題でなく「アメリカ」の問題であるのと全く同様である。
 くどいようだけれど念のために言えば、現在でも「日本」のそこかしこに見られる沖縄出身者への差別意識(信じがたいことだが、現にある)については、もちろん「日本」の問題なのだ。しかし琉球/沖縄は「日本」のメンバーとしてその修正を要求するばかりでなく、「日本」から離脱する選択肢すらもちあわせていると言いたいのである。
 それもこれも、彼の人々がぞれを望むなら、だ。統合にせよ分離にせよ、相手の頭越しに勝手に事を決めて顧みない傲慢を、少しは修正して21世紀を過ごしたい。

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 分離と統合は微妙な問題で、歴史上しばしば(というか、いつでも)流血の原因になってきた。正直に言えば、この問題がナゼそうまで深刻な紛糾を呼ぶのか、僕にはよく分からないところがある。しかしそれが事実であることは間違いない。
 アメリカ南北戦争の原因として、世界史の教科書などは南北の経済的対立(育成途上の工業を守るために保護貿易を必要とする北部 vs 綿花などの大規模輸出を自由貿易で促進したい南部)、奴隷制をめぐる政治的対立(解放を主張する北部 vs 維持を譲らない南部)、だいたいこの二つで論じている。けれどもここに第三の理由があり、大方のアメリカ人にとってはこの方が大事なのだ。それというのが、「意見を異にする州が合衆国を離脱する権利があるかどうか」という問題だった。南部はまさにそれを主張し、Union を結成して分離独立しようとした。北部はそれを許されないことと主張した。それは外部の僕らからは、戦争の口実に関わる最も表層的な理由に見えるが、アメリカ人の自己意識にとってはおそらく最も譲れない争いだったのである。
 ゲティスバーグの古戦場は、広い平原一帯が屋外博物館のように保存されているが(日本でも関ヶ原など、そんなふうにしたら良いのに)、その一隅に巨大なモニュメントが「我々は二度と分裂しない」と記している。

 ヨーロッパは古来この種の流血沙汰を繰り返してきたし、その一々をたどることはたぶん欧州史の全体を検証することに等しい。夥しい消耗を重ねた末に彼らがたどり着いたのがEUであり、非暴力的な手続きによって統合と分離を模索するシステムそのものが、超・世界遺産級の歴史産物なのである。そしてそのことは、僕ら東亜の民にはまだまだ目新しいものだ。スコットランドやカタルーニャが平和の裡に分離したらいいのにというのは、それが僕らにとって良い模範になることを期待するからだ。
 そんなことを先日来考え、ヨーロッパ型の離合集散の歴史がこちらにはないと嘆じた時、ふと思い出したのは冊封体制のこと、中華帝国をたぶんに名目的で時に実質的な宗主国と仰ぐ、放射状の国際秩序が存在したではないかということだった。それはいかにも鷹揚で、特に海域については領海の概念すらはっきりしないような曖昧さを含むものだったが、その体制の中に名を記されたものにとっては、立派な存在根拠となるものだった。
 琉球は冊封体制の中で、朝鮮や日本と対等の存在であったと四月に書いた。アイヌと東北の先住民は、悲しいかな冊封を受ける水準にまで政治体制を整えることができなかったと、先週書いた。そういうものとして東アジア史を振り返る意味があるのではないかと思う。
 それにつけても、昨今の中国の態度は残念だ。500年後に歴史を見直したとき、中華人民共和国に与えられる評点は、明・清王朝のそれに及ばないのではないかしら。