散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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「レッテルを貼る」は使えるか?(続き)

2014-09-17 07:40:16 | 日記
2014年9月17日(水)

 さんざん考えて、「レッテル」という言葉に落ち着きかけている。だけど、これって・・・

 え~い、もう時間がない。続きは後で。

***

 今日の患者さんの中に、大学院で英米文学に取り組んでいるという若者あり、つい食指が動く。
 「して、英と米ではどちらに関心がおありで?」
 「アメリカです、20世紀前半の。」
 「ロスジェネですね、フィッツジェラルドとか?」
 「まさしく」
 お調子乗りが言い当てることもあるもので、思いがけず話が弾んだ。

 別の患者さんは、不機嫌に押し黙っているのを何とか寛げたいと思い、「趣味 → 散歩 → 美術館 → 故宮博物院展」と辿って、美術展の話になったとたん、別人のように表情が輝いた。
 この商売はやめられない。

***

 「レッテル」の話だ。

 Labeling is central to the process of stigmatization.
 人にレッテルを貼るという行為こそは、スティグマ形成過程の中核を為すものである。

 こんな感じでどうだろう。少々説明的に過ぎるけれど、ポイントは labeling を「レッテルを貼る」とやったらどうかということだ。
 そう思い立って高校以来使い慣れた英和辞典を開けば、下記の例文あり。

 The bottle was labeled "Poison." びんには「毒薬」というレッテルが貼ってあった。
 They labeled him a liar. 彼を嘘つきと呼んだ。
 
 前者のレッテルはラベルと同義で(今ならその方が良い)、後者は「人は彼に嘘つきのレッテルを貼った」と言い換えられる。
 ああ良かった、これでいいのだ、これで行こう。

 ただ分からないのは、今どきの若者が「レッテル」という言葉をどれほど親しく感じるか、そのことだ。死語とは言わないまでも、半死半生みたいな言葉を使ってドン引きされてはつまらない。ピッタリな言葉なんだけどな。
 さあどうだろう?

異文化交流としての結婚

2014-09-17 07:32:46 | 日記
2014年9月17日(水)
 別に国際結婚のことを言うわけではなくて、そもそも結婚というものが元祖「異文化の出会い」だというのだ。
 この一事から、たくさん、た~くさんのことが出てくる。

✔ レヴィ=ストロースが定式化した(そうだよね、確か?)、社会的交換システムとしての結婚のこと。
✔ 戦利品として略奪された花嫁が、逆にひとつの文化を内側から略奪すること。
✔ しっかりした文化をもつ者同士が互いを受け容れ合う、堂々たる結婚。
✔ 出会いにおいて示すほどのものをもたない者同士の、先の見えない野合。
✔ 自分が変えられることを恐れて相手ばかりを変えようとし、結果として何も学ばない男/女。
✔ 理想の相手に変えられることを夢見て結婚し、自分では何も責任をとろうとしない女/男。

等々・・・

 「堂々たる結婚」について、よくできた映画でもあれば見てみたいものだ。きっと人生も捨てたものではないと感じられる・・・ような気がする。

涙によって寛ぐこと

2014-09-17 06:45:34 | 日記
2014年9月17日(水)
 御嬢さんは泣いていました。奥さんも眼を赤くしていました。事件が起こってからそれまで泣く事を忘れていた私は、その時漸く悲しい気分に誘われる事が出来たのです。私の胸はその悲しさのために、どの位寛いだか知れません。苦痛と恐怖でぐいと握り締められた私の心に、一滴の潤いを与えてくれたものは、その時の悲しさでした。
(先生の遺書百四)

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 何も言うことはない。漱石という人、人生のどこでこういったことを学んだんだろう。