散日拾遺

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神保町から市ヶ谷まで

2014-09-04 23:23:33 | 日記
2014年9月4日(木)
 歩くのは、実益を兼ねた趣味のようなものである。
 20代でドイツへ遊びに行く機会があった時、リューベックの街の外壁沿いに歩いて一周してみたのは、自分の思いつきとしては上の部類だった。歴史家の誰だったか、農村との共存を前提として成立した中世都市は、地中海の古代都市国家よりよほど小さいものだと書いている、その小ささを「数時間の散歩で一周できる」という事実で実感したものだ。トーマス・マンの故郷であり、ホルステン門とブッデンブローク・ハウスで知られるハンザの街リューベックである。
 街は歩くに限る。歩きたくなる街が良い街で、東京は本来、そのような街のはずだった。
 歩くには口実が要る。口実というか「よりしろ」というか、とりあえずの目標地点とか経路とかいったもので、きれいな川などは格好のよりしろだが、それに限ったものでもない。御茶ノ水で仕事があった時は、神保町から靖国通りを西へ向け、市ヶ谷までが30分の手頃な行程である。途中、靖国神社の前庭を抜けるときには、1974年頃だったろうか、母方の祖母をそこへ案内したことを思い出して軽く胸騒ぎがする。祖母はサイパンで戦没した最愛の長子を覚え、はるばる四国からそこへ参ったのだ。
 嫉む神に遠慮のあることで、僕自身はいつも大村益次郎の足もとあたりで早々に靖国通りへ戻り、南側へ渡ってあとわずかの距離を市ヶ谷へ向かう。
 目標という訳ではないが、駅の直前を左へ折れると50mほどで日本棋院がある。緩やかな坂を上って近づくと、ビルから出て来たのがあれは確かに高尾十段。早足でいくぶん乱暴に体を揺すり、どんどん近づいてくる。すれ違いざま、「高尾先生」と遠慮がちに声をかけてみたが、聞こえなかったのか無視したのか、目もくれずに歩き去った。テレビでは、真剣勝負の対局中でももう少し和やかな表情をしている。怒ったようなひどく厳しい顔つきと、空気を切っていく激しい勢いに少し驚いた。むやみに呼びかけるものではなかったかもしれない。棋院の上の階には対局室もあり、出入りする棋士らにとっては戦場である。
 それに、おまけに、
 忘れていたが今日は名人戦挑戦手合いの開幕、押しも押されぬ第一人者の井山裕太名人に、今期絶好調、至るところで勝ちまくっている河野臨九段が挑戦する、その初日なのだった。会場は椿山荘だが、棋院のビル一階の大画面には打ちかけの局面が映し出されている。高尾十段はこの画面を背に出ていった。本来対局場にいるべき人だけに、殺気立っても不思議はないが、それにしても何が彼の頭の中を巡っていたのだろう。
 アマチュアとは愛好者の謂、こちらは気楽なものである。2階の購買部で碁盤や碁石を眺めれば、それだけで眼の保養になる。南北線で帰宅、しめて8,700歩。市ヶ谷では一万歩に達しない、次は四谷まで伸ばすかな。