2014年9月18日(木)
午前中、放送番組収録のための打ち合わせ。Sディレクターの探してきた場所が代々木のTOMという喫茶店、これが外観と言い内装と言いレトロでシックな珈琲店でたいへん雰囲気が良い。聞けば1971年に開店したんだそうだ。僕が高校に入って上京する前年のこと、Sディレクターはまだ生まれていない。代ゼミがなくなってもTOMは残る。代々木で人と会うときは、ここを使うことにしよう。
僕は500円のブレンドコーヒー、朝食をとらずに来たSディレクターと、朝8kmほど走って早くもお腹の減ったKプロデューサーは、770円のモーニングセットの分厚いトーストとゆで卵を頬張っている。午前中は客のない広々とした二階席で、2時間ほどもじっくりやりとりし、だいぶTV収録のイメージができてくる。
先日、主婦が鬱病になった想定で簡単な架空のプロットを伝えたら、早くも3ページほどのイラスト(絵コンテ?漫画?)になって戻ってきた。その手際の良さと的確さに舌を巻く思い。できる人には何てことないのだろうか、僕自身にまったく欠けている才能であり、今や日本人が世界的に評価を得ている技芸であることが、いっそう眩しく感じさせる。ここに掲載したいが、貴重な未発表素材なので今はダメだ。
Sディレクターは、浦河へ同道した(というか、連れて行ってもらった)例の利発な女性で、Kプロデューサーは昨年度の『死生学入門』でも世話になった話し好きの男性である。Sさんとあれこれ思案している頭の上で、K氏がひっきりなしにあれこれ喋っているのが可笑しいけれど、その話というのが実はタメになったりする。
中でも近々、伊賀上野へロケに行く話は面白かった。忍者を生んだ山里が、今やちょっとした国際都市になっているんだそうだ。製造業に従事するペルー・ブラジル・中国・韓国の人々が多く住み、日本人住民に対する外国語教育も盛んになっているらしい。地方からこういうことが聞こえてくるのは、嬉しいことだ
浦河ロケには同行し損ねたK氏だが、かつてキタキツネの取材で北海道へ行ったときには、周辺を俯瞰観察せよとのカメラマンの指示で近くにあったサイロの屋根に上ろうとし、外壁に取り付けられた垂直のハシゴを10mほども上ったところで腕がなまって進退きわまり、上がりも下がりもできず落ちたら死んでしまうというので心底怖い思いをしたそうである。
その後、必死で屋根まで這い上がったものの、今度は家畜の糞尿溜から立ち上る悪臭でたちまち胸が悪くなり、20mのサイロの屋上で胃袋が裏返るほど吐いた云々。
***
午後は診療。終了後に今日も靖国神社経由で市ヶ谷まで歩く。
大鳥居の手前で狛犬を確かめた。間違いない。手前にある最初の一対は、右が阿、左が吽の定型だが、鳥居寸前の二つ目の対はどちらも阿型である。顔の彫りが浅く、四角張って平たい頭部も珍しい。
のみならず向かって左の狛犬は、背に子犬を乗せ、左の前足にも子犬をじゃれつかせているように見える。右にはそれがなく、あるいは雌雄の一対かと思われる。この一対は明らかに他と違う。これがおそらく日清戦争の「おみやげ」なのだろう。異郷にあって、どんな魔を双眸で睨みすえるのか。
例によって日本棋院の玄関ホールへ表敬。大画面には、今日から始まった名人戦第二局の経過が表示されている。5時30分にかかるところで、そろそろ打ち掛けだろうと思ったら、エレベーターから降りてきたのは紛れもない張栩九段。先日の高尾さんのこともあってためらわれたが、どこかほっとしたような涼やかな笑顔に釣りこまれて、つい挨拶してしまった。
「ファンなのです、応援しています」と言うと、
「ありがとうございます」と歯切れよく返事があった。
トイレを借りてホールを出ようとすると、横から現れたのは長身の黄翊祖(コウ・イソ)八段、会館を出たところで並んだのが王銘琬(オウ・メイエン)九段、皆和やかな表情なのは、一日目が無事に終わった解放感だろうか。対局は遠く鳥取で進行中だが、緊張と弛緩に棋士団の全体が同調しているようだ。それにつけても先日の高尾十段の厳しい表情があらためて思い出される。
ふと気づけば、今日見かけた三棋士はいずれも台湾出身なのだった。
午前中、放送番組収録のための打ち合わせ。Sディレクターの探してきた場所が代々木のTOMという喫茶店、これが外観と言い内装と言いレトロでシックな珈琲店でたいへん雰囲気が良い。聞けば1971年に開店したんだそうだ。僕が高校に入って上京する前年のこと、Sディレクターはまだ生まれていない。代ゼミがなくなってもTOMは残る。代々木で人と会うときは、ここを使うことにしよう。
僕は500円のブレンドコーヒー、朝食をとらずに来たSディレクターと、朝8kmほど走って早くもお腹の減ったKプロデューサーは、770円のモーニングセットの分厚いトーストとゆで卵を頬張っている。午前中は客のない広々とした二階席で、2時間ほどもじっくりやりとりし、だいぶTV収録のイメージができてくる。
先日、主婦が鬱病になった想定で簡単な架空のプロットを伝えたら、早くも3ページほどのイラスト(絵コンテ?漫画?)になって戻ってきた。その手際の良さと的確さに舌を巻く思い。できる人には何てことないのだろうか、僕自身にまったく欠けている才能であり、今や日本人が世界的に評価を得ている技芸であることが、いっそう眩しく感じさせる。ここに掲載したいが、貴重な未発表素材なので今はダメだ。
Sディレクターは、浦河へ同道した(というか、連れて行ってもらった)例の利発な女性で、Kプロデューサーは昨年度の『死生学入門』でも世話になった話し好きの男性である。Sさんとあれこれ思案している頭の上で、K氏がひっきりなしにあれこれ喋っているのが可笑しいけれど、その話というのが実はタメになったりする。
中でも近々、伊賀上野へロケに行く話は面白かった。忍者を生んだ山里が、今やちょっとした国際都市になっているんだそうだ。製造業に従事するペルー・ブラジル・中国・韓国の人々が多く住み、日本人住民に対する外国語教育も盛んになっているらしい。地方からこういうことが聞こえてくるのは、嬉しいことだ
浦河ロケには同行し損ねたK氏だが、かつてキタキツネの取材で北海道へ行ったときには、周辺を俯瞰観察せよとのカメラマンの指示で近くにあったサイロの屋根に上ろうとし、外壁に取り付けられた垂直のハシゴを10mほども上ったところで腕がなまって進退きわまり、上がりも下がりもできず落ちたら死んでしまうというので心底怖い思いをしたそうである。
その後、必死で屋根まで這い上がったものの、今度は家畜の糞尿溜から立ち上る悪臭でたちまち胸が悪くなり、20mのサイロの屋上で胃袋が裏返るほど吐いた云々。
***
午後は診療。終了後に今日も靖国神社経由で市ヶ谷まで歩く。
大鳥居の手前で狛犬を確かめた。間違いない。手前にある最初の一対は、右が阿、左が吽の定型だが、鳥居寸前の二つ目の対はどちらも阿型である。顔の彫りが浅く、四角張って平たい頭部も珍しい。
のみならず向かって左の狛犬は、背に子犬を乗せ、左の前足にも子犬をじゃれつかせているように見える。右にはそれがなく、あるいは雌雄の一対かと思われる。この一対は明らかに他と違う。これがおそらく日清戦争の「おみやげ」なのだろう。異郷にあって、どんな魔を双眸で睨みすえるのか。
例によって日本棋院の玄関ホールへ表敬。大画面には、今日から始まった名人戦第二局の経過が表示されている。5時30分にかかるところで、そろそろ打ち掛けだろうと思ったら、エレベーターから降りてきたのは紛れもない張栩九段。先日の高尾さんのこともあってためらわれたが、どこかほっとしたような涼やかな笑顔に釣りこまれて、つい挨拶してしまった。
「ファンなのです、応援しています」と言うと、
「ありがとうございます」と歯切れよく返事があった。
トイレを借りてホールを出ようとすると、横から現れたのは長身の黄翊祖(コウ・イソ)八段、会館を出たところで並んだのが王銘琬(オウ・メイエン)九段、皆和やかな表情なのは、一日目が無事に終わった解放感だろうか。対局は遠く鳥取で進行中だが、緊張と弛緩に棋士団の全体が同調しているようだ。それにつけても先日の高尾十段の厳しい表情があらためて思い出される。
ふと気づけば、今日見かけた三棋士はいずれも台湾出身なのだった。