散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
コメント歓迎、ただし仕事関連のお問い合わせには対応していません。

金曜日の朝、中央線にて

2013-05-11 11:28:11 | 日記

夕べはちゃんと寝たのにむやみに眠い。

 

車両の端の、隅の席が二人分空いている。

助かったとばかり座り込んだら、隣にもうひとりやってきた。

輪郭が雪だるまそっくりの若い男性で、一人分の席に一人半分の幅をそっと押し込む。

手にした i-pad をいじるまもなくソッコーで沈没、しかも巨体がどんどんこちらへ傾いでくる。

 

最初は遠慮がちに、ついで明確な意志を込めて、最後にはかなり邪険に押し返してみるが、お構いなく寄りかかってきてこちらの息が苦しくなる。

 

立とうと思った瞬間、目の前に別の男性が立ちはだかった。

立ちはだかる意識はないのであろう、こちらに横顔を見せて、その横顔がジョニー・デップに似てるというのは、この場合まったく褒め言葉ではない。

相当の長身にジョニー・デップでなければナザレのイエスのような長い蓬髪、派手派手しいスーツのくたびれたのを着て、手首にはウズラの卵大の雑多な石を綴った腕輪をつけ、僕の前にウンコ座りに座り込んだ。

手にした缶を舐めるようにすするのは、てっきり酒に違いないと怯えが走ったが、これが実はマンゴー・ジュース。

前もふさがれた。

 

荻窪までの辛抱、既に高円寺、あと二駅と思ったら・・・

「時間調整のため、3分ほど止まります。」

車内放送の明るい声が、時間調整の理由を清々しく説明し始めた。

「東京駅での車両点検、御茶ノ水駅でお具合の悪くなったお客様の介護、さらに山手線品川駅の車内トラブルの影響などで」

山手線?ここは中央線ですが・・・

「後続の電車が遅れております関係で、3分ほど時間調整を致します。お急ぎのところ、まことに恐れ入ります。」

 

これが分からないんだな。

後の電車が遅れているから、前の電車を遅らせる。

全体の理屈としては、それもありでしょう。

しかしね、前の電車の乗客が、時間調整のために乗り継ぎに遅れたとしたらどうなるの?

その客はちゃんと時間を守っているのに、無用に遅らされたことになりませんか?

何でも良いから、早く出してくれ。

 

喘ぎながら、向こう側の液晶ニュースに目をやる。

錦織がフェデラーに勝った? すごいなぁ・・・

「図星」の語源は弓道? へぇ、そうなんだ

 

荻窪駅、這々の体で下車。

空いた席、雪だるまの隣にジョニー・デップもどきが座り込んだ。

女性が階段を駆け下り、発車間際の電車に駆け込んでいく。

華奢な女性が、幼児というには大きすぎる子供を抱き、その子のつけたヘッド・ギアが袖をかすめて風を残す。

てんかん発作などのある子が、頭を守るために装用するものだ。

 

親子が駆け下りてきた階段を入れ替わりに上る。

階段の面が、人の踏む位置にあわせて凹んでいる。

神社の階段がよくこんな風になっている。

 

階段を上りきって、クリニックまでは徒歩2分。

金曜日の朝。

Bon voyage!

 


「秘境」と「空き地」の消滅

2013-05-11 11:23:26 | 日記

やや前後するが連休最終日、日頃お忙しの次男氏が珍しく在宅。

夕食の団欒で就活のことなど話題にし、ふと、どちらからともなく今の時代の閉塞感に言及して、思いがけず感慨を共にするところがあった。

そうなのだ。すごく閉塞感があるんだよ。

 

といっても、

 

『時代閉塞の現状』のことではなくて。

これは、1910年(明治43年)に当時24歳の啄木が書き遺した。早すぎる死の二年前と知れば遺書のようなものだ。心して注意深く読み込むべし、僕らがいま話題にする閉塞感と相通じつつも位相を異にする。

 

今、問題にするのは、

 

地球上に秘境というものがなくなりつつある。端的に言えばそのことだ。

地球上に危険が存在しないというのではない。

戦争があり、経済危機があり、貧困があり、環境破壊がある。しかし、それらはすべて我ら人間の愚かしさが作り出したものだ。

人間の愚かしさをあざ笑うように屹立し、あるいは人の立ち入ることを人類発祥以来、拒んできたもの、ジャングル・砂漠・荒海・極地・高山、それらすべてが踏破され調べ尽されつつあり、わずかに深海が最後の未踏の領域として残るばかりだ。

 

人間の外に立ちはだかる秘境は消滅し、人間の方が秘境にとっての脅威となっている。

今や自然環境の存続そのものが、一生物種に過ぎない人類の自己規制に委ねられている。

そういう意味で、諸々の危険の中で最も深刻なのは環境破壊・自然破壊だ。

 

ただし、自然を破壊することによって人類そのものが滅びるかもしれないということは、むしろ小さな問題。

それよりも、

環境や自然が破壊可能なもの、保護すべきもの、知り尽くされたものになってしまったことが深刻だと言うのだ。

 

秘境が消滅し、すべてが明らかにされ、すべてが管理下におかれ、すべてが去勢され馴化された世界、そんなものに何の面白さがあるのか?そんな世界に、どんな魅力を求めたら良いのか?

 

「宇宙へでも出るか?」と冗談にしてみて、すぐさまシオタレた。

宇宙こそ、政治と軍事によって最も排他的に管理されている領域ではないか。

私人にとって宇宙への直接のアクセスは存在しない。それはGPSの基準点でしかない。

 

つまらない。面白くない。面白いことが何もなくなってしまった。

これを「閉塞感」と言ったのである。

 

ふと、冷戦時代のことを思う。

あの時代、厳しい東西対立と一触即発の危機のいっぽうで、人に(少なくとも良心的な者には)不断の自己吟味を迫る緊張感があった。

自分たちのやり方は、ひょっとして最善でもなく唯一でもないのではないか、壁の向こう側の相手方は、もっと良い工夫をしていはしないか。そうした疑いが人を多少とも謙虚にする作用があったのではないかと思う。壁の向こうは互いにとって、一種の秘境だったのだ。

 

ソルジェニーツィンがソ連から国外追放され、結果的に西側への亡命を果たしたのは1974年である。

ソ連政府から「反逆者」のレッテルを貼られた彼は、西側に移ってからは共産主義のではなく、西側に蔓延する唯物論に対して戦いを挑んだ。アメリカの自由とは、子供にポルノグラフィを見せる自由だと喝破した。

彼はロシア正教徒として信仰の「秘境」に住まい、東と西とを問わずあらゆる物質主義に対して荒野の予言者として振る舞った。彼の存在は東西冷戦構造を突き抜けているが、そのあり方はどこか冷戦時代の緊張感に照応している。

 

だから、僕らはまだ良いのだ。

考えてみればすさまじいほどの、過去であれば数世紀分に相当する変化を僕らは目撃した。

直 前の世代は飢餓を知っていた。そこから解放され、復興から成長へ、飛躍から奈落へ、自分たちの国が激変する様子をまのあたりにした。初めて家にテレビが来 た日を思い出す。電話は近くへ借りに行った時代だ。いま、息子達はPCやスマホを駆使し、そしてそれが存在しない生活を知らないし想像できない。

 

壁のあった時代とその緊張感、「秘境」の与える恐れと勇気を、彼らは体験したくとも体験できない。

「そんなもの、体験できなくとも不自由しない」とは、冷戦はともかく「秘境」については言いづらい。

 

*****

 

突飛なようだが、マクロ世界で「秘境」がなくなるのと合わせて、僕らの身近のミクロ世界から「空き地」がなくなった。

「空き地」とは、ただ何もない空間という意味ではない。「空き地」には明確な特性があった。

それは誰かの地所であるはずなのに、どういうわけかほったらかされている。

立ち入ることが推奨されてはいまいが、厳しく禁止されてもおらず、少なくとも黙認されている。

誰も管理していないのに大人の目がほどほどあって、近隣の雷オヤジとか頑固ジジイとかは、野球のボールが飛び込んだときは厄介だが、大きな逸脱に対する抑止力になっている。

「空き地」には、いろいろなものが転がっている。

典型的には土管やドラム缶、いちおうは境界を区切っていたらしい鉄条網の切れっ端やベニヤ板、大人が捨てていったらしい古い週刊誌。

 

そうした「空き地」がそこここにあった。

日本中、どこへ転校していっても必ずそこに「空き地」があり、そこで仲間や敵に出会うことができた。

それは子供にとって運動場であり、社交場であり、秘密基地であり、隠れ家であり、想像力の働きによって何にでも変貌する身近の異界であった。

そして「空き地」には危険がつきものだった。

僕はそこで大やけどを負い、レイ・チャールズは ~ 彼の場合、広いアメリカの家の裏庭が「空き地」だったのだが ~ そこで弟に死なれた。

 

「空き地」が消滅したのは、いつ頃か。

子供をこうした不測の事故から守ろうとするもっともな大人の配慮から、現代人の度の過ぎた強迫性から、責任を問われることへの怯えから、その他様々の思惑から、「空き地」はある時期にきれいに消え去った。

一片の予告も断りもなく、僕らの国から消えた。

今、地域にあるのは、よく整備されたグラウンドであり、生徒以外は立ち入ることのできない校庭であり、大枚を払って利用するテニスコートである。すべて完全に管理され、安全が確保されている。

僕ら自身がそうでなくては落ち着かなくなってしまった。

 

「空き地」とともに絶滅した種族があるのに、気づいているだろうか。

ジャイアンだ。

舞台に見立てて放歌高吟する土管もなければ、のび太やスネ夫を追いかけ回し取っ組み合う地面もない、そんな国でジャイアンは生きてはいけない。

密林の衰退と共にオランウータンが絶滅に向かうように、「空き地」の消滅と共にジャイアンは死に絶える。「どらえもん」は、「サザエさん」や「フーテンの寅」と同じく、僕らがまだ持っているつもりで実は疾うに消え失せてしまった前時代の思い出話に他ならない。

前時代が終わったのはつい30年ほど前だろうか、しかし前時代と今の時代とを隔てるクレバスは恐るべく深く、もはや戻るすべはどこにもない。

 

僕らは向こうからこちらへ渡ってきた。

息子達は、こちら側しか知らない。何という困難を彼らに負わせてしまったことか!

 

「秘境」と「空き地」との対応関係・・・

 

「突飛じゃないと思うよ」と次男が言った。

 

*****

【蛇足①】

カート・ヴォネガットの作品の中では、『タイタンの妖女』が良いと勝沼さんは言う。

あれはひょっとして、「秘境」を再発見する物語だったのかな・・・?

ラムファードは私設宇宙船を作らせた最初の人間、という設定だった。

読み直してみよう。

 

【蛇足②】

ガルシア・マルケスの短編に、街にすむ男が妻とケンカしてプチ家出し、ほっつき歩いているうちに道に迷い、あろうことかインディオの集落に紛れ込んで数年間そこに留め置かれる話がある。犬のように首輪でつながれるやら何やら、たいへんな思いの末、どうにか生還するのだが。

(タイトルを書いておきたいが、手許に見当たらない。最近こればっかりだ!)

驚くのは、これが荒唐無稽な作り話ではないということだ。

 

二十世紀後半にこういうことが起き得たという、これが南米の豊かさだ。

都市生活のすぐ隣に、現に秘境があったんだよ!

今も、あるのだろうか?


Y先生、信州より来る

2013-05-09 08:17:43 | 日記

たかがブログ、されどブログで、むやみに知人友人の個人情報を明かすのもためらわれ、S君とかT君とか書いている。

アルファベットは26しかなく(もっとたくさんある言葉もあるが)、実名を意識すると中国の友人でもなければXやQは使えないから、早晩重複が生じる。困ったな。

 

三男の学年は2クラスしかないところへ、同姓同名の男の子が二人入学してきてしまった。

当然ながらこの二人は三年間を通してA組とB組に分けられ、弁別のため「Aヨコ」「Bヨコ」と呼ばれる日常である。

(ヨコ◯君たちなのだ。これも個人情報をギリギリで伏せる。)

この伝で行けばいいか。

 

*****

 

連休明けの火曜日、信州のY先生に急な来京の予定が生じ(上京とは言わずにおく)、これ幸いと幕張までお越しいただいて打ち合わせかたがた歓談した。

連休には御家族と松代を訪問なさったとのこと、信州松代で何を連想する?

 

僕らの世代は、松代地震の記憶がある。若いY先生は、今回の訪問で初めて聞いた由。

ぼんやりした記憶なので、どんなものだか再確認してみたら、これ正しくは松代群発地震という。

1965年(昭和40年)8月3日から約5年半にわたって続いた「世界的にも稀な長期間にわたる群発地震」とある。

原因には、地下の溶岩の上昇が関わっていたらしい。火山性のものなのだ。

 

火山は怖いが、おかげで温泉が出る。

Y先生によれば、松代の温泉は驚くほど湯の質が良いのだそうな。

鉄分と塩化物イオンを多く含み、湧出時は透明なのに空気に触れると沈殿を生じる。

疲労回復の効果が抜群で、それやこれやが有馬温泉と似ているとY先生の談。

 

歴史の話をするなら、松代は佐久間象山や恩田木工を輩出した土地である。

そしてもうひとつ、大戦末期に地下大本営の造営が進められていた場所でもあった。

いま、それは訪問可能な観光スポットとして一般に公開されているが、地元の人々や他所から徴用されてきた日本人・朝鮮人労働者にとっては、命がけの危険な作業現場であった。(仔細は wiki でも簡単に調べられるから省略する。)

 

当時わが父を含む陸軍士官学校第60期生は、繰り上げ卒業の後に小諸あたりで演習しつつ待機していた。

完成の暁には、松代大本営周辺で軍務に服す予定だったのだろう。

終戦の詔勅後、情報錯綜し、いったんは東京へ入ると告げられて実弾を配備された。

その出発が延期され、やがて中止となり、そこから各自の故郷へ散っていったのである。

 

*****

 

駅前で海鮮丼を食べる。

美味しかったが、あんなによく利くワサビは久しぶりに口にした。

「先生は・・・」と話し出した途端に絶句、鼻から目へ火の柱が上る感じ。

「ワサビ、きつそうですね」と気の毒そうに言ったY先生、「実はここのところ・・・」と話しかけて同じく絶句、涙目でこらえてらっしゃる。

ワサビはこうでなくちゃ。

 

店を出て珈琲を飲めるところを探す。

キョロキョロ見回して気づいた、Y先生は背広姿に、ごっついバックパックを背負っている。

「読むか読まないかわからない本を、つい持ち歩いてしまいまして」と照れくさそうにおっしゃった。

その姿、どこか家出少年風ですよと言いかけて思い出した、かつてY先生はホンモノの家出少年だったのだ。

 

今般は放送大学の放送授業の件でお越し頂いた。

自分の担当部分で仏教関係者の協力がほしいが、どうやって探したものか分からないとつぶやいたら、たちどころに4人ほどの候補者をあげてくださった。これが研究者というものだ。

 

「世間のどこにどういう人物があるか、日頃からちゃんと知っておくものだ」ということが、確か『氷川清話』の中にあったと思うが、僕にはこれができていない。Y先生は少なくとも死生学の領域において、そうしたことを当たり前にしている。殊更「している」というよりも、関心の赴く結果として自ずとそうなるのだ。引き比べて慚愧に堪えず。

 

大学構内を一巡り案内してフロアに戻ると、I 先生が会議を終えて帰室しておられた。

Y先生をお連れすると、いかにも嬉しそうに挨拶なさる。Y先生も嬉しそうである。

旧知の仲、I 先生もまた本物の研究者であり、またホンモノの家出少年であった。

 

少年たるもの、一度は家出しなければならないのであろう。

ジイドに『放蕩息子の帰還』という短編がある。

(たぶん、そう訳すのだと思う。珍しくフランス語で読んだので。)

むろん、福音書の物語に想を得たものだが、ここでは帰還した息子の幼い弟が、兄の話を聞いて自分もまた家を出ることを決意していくのだ。

聖書はこういう読み方をしたい。護教的な訓詁注解はたくさんだ。

 

Y先生を I 先生に送り渡して部屋へ戻ると、入れ違いにU先生に声をかけられた。

「この間は酔っ払って、ええかげんなことを言うて・・・」

これまた少年のような照れくさそうな笑顔を浮かべ、抜き刷りをひと山、手渡してくださった。

1977年から1992年に及ぶ合計9部は、いずれも旧約聖書の身体イメージをヘブル語の原典テキストに丹念に拾った労作である。創世記から始め、最後のものはヨシュア記、今も作業を続けておられるという。

 

「こんなものは、大学紀要でもないと載せてくれません。」

「ヘブル語の字母を拾うのを、印刷屋さんが嫌がってねぇ。」

なるほどそうでもあろう。

私自身、学生時代に古典ギリシア語やヘブル語のごく入門編をかじったとき、使ったテキストは手書き・ガリ版刷りの資料をそのまま製本したようなものだった。今も手許においてある。

今ならばPCフォントを使って、何の造作もないことであるけれども。

 

U先生は定年までかなりの年数を残しながら、来春には故郷三重に帰って行かれる。

この労作もまた、「研究」というものが何であるかを雄弁に教えてくれる。

 

僕自身、紀要でもなければ拾ってもらえないネタを、中途半端に収拾したまま放ってあるのだった。

ブログなんか書いてる場合ではない。

勉強しなければ!

 

 

 

 

 

 


涼しい朝、T君は出張から帰り、内田樹は新聞で吠える

2013-05-09 07:28:51 | 日記

T君は海外出張していたのだ。

ライラックなどの写真の件で御礼を言ったら、下記の返信が来た。

 

*****

 

1日から5日まで、ドバイとカイロに出張してきました。
ドバイというのはグローバライゼーションの最先端のようなところで、エミレーツ航空と24時間空港で中東、アフリカのGATEwayを目指す人工都市。世界一の800mのタワーや世界最大のショッピングセンター、そしてホテルだらけの多民族都市でアラブ人はわずか20%だそうです。どこに普通の人が住んでいるのかと思う、生活感の全くないところでした。

一方カイロは民主化と原理主義がせめぎ合い、街にはゴミがあふれる先発後進都市で、1千万都市なのに街のいたるところで馬車が走ってます。

いろんな意味で対照的なアラブの街を見て、いろいろ考えさせられました。もちろん、カイロを応援したい。

 

*****

 

へぇ~、そうなんだ。

ドバイを地図で見ると、ホルムズ海峡直近、一朝有事の際は800mのタワーがいい攻撃目標になっちゃうだろう、大変だなと思ったが、考えてみればここはブッシュ親子と世界最強のアメリカ軍が、背後にしっかり付いているんだね。このタワーを建てたのはどこの国の建設会社かな。

 

カイロを応援したいというT君を、もちろん応援したい。

ガンバレ!

 

昨日、2013年5月8日の朝刊、内田樹が「壊れゆく日本という国」と題してオピニオンを展開している。

いつもながらのキレの良さで、「ことあるごとに『日本から出て行く』と脅しをかけて、そのつど政府から(ということは日本国民から)便益を引き出す」企業のグローバル化を痛烈に皮肉っている。

 

環境保護コスト、製造コスト、流通コスト、人材育成コスト、あらゆるコストを外部化して国民国家に押しつけ、利益だけを確保しようとするのがグローバル企業の基本戦略だと総括するのだが、中でもあまりにごもっともで苦笑したのは、「グローバル化と排外主義的なナショナリズムの亢進が、矛盾しているように見えて実は同じコインの裏表」という指摘だ。

 

国際競争力のあるグローバル企業は「日本経済の旗艦」である。だから一億心を合わせて企業活動を支援せねばならない。そういう話になっている。(中略)これらの本質的に反国民的な要求を国民に「のませる」ためには「そうしなければ、日本は勝てないのだ」という情緒的な煽りがどうしても必要になる。(中略)だから、安倍自民党は中国韓国を外交的に挑発することにきわめて勤勉なのである・・・・・

 

この件と、一つ前のブログで書いた「男の子達の意味飢餓」がくっつくとエラいことになるだろうが、それはアタマのいい人々の構想の中では、たぶん既にくっついているのだ。

 

エラいことだ。

 

*****

 

経済音痴なのでその部分の当否は言えないが、大きな認識については内田樹と全面的に同感だ。

ひとつだけ追記を付すなら、「国民の利益の保護増進を至上命題とする」という意味での国民国家が、かつてこの国に存在したことがあるかどうかを疑問に思う。

それすらなかったその上に、似非の「グローバル化」が乗っかってくる。

モダンを通過しないポストモダンと、同型であり同根である。

 

 


道頓と康明治と影武者と痩せ我慢と太宰治

2013-05-08 21:30:41 | 日記

【その1 ~ 道頓】

父が置いていった文庫本、司馬遼太郎『最後の伊賀者』。

初期の(?)短編7つを収め、その最後が『けろりの道頓』

 

道頓堀の地名の由来を初めて知りました!

根っからの大阪人、大阪自慢の義父が、さてこのことを知ってるかな、へっへっ、楽しみができたぜ。

ネタばらしは控えるとして、水利や運河の開発には、得てして篤志の私人の貢献があるものだね。

玉川上水に玉川兄弟あり、もっとも官命ではあったわけだが。神戸でも三宮あたりで同種の碑文を見た覚えがある。

そういえば珍しく松江出身の患者さんがいて、昔は松江城の麓あたりで遊んだものだと話したら、「今はあのあたりまで船で行けるんですよ」と教えてくれた。「東洋のベニス」と地元では言ってたっけ。

松江にもそんな人物があったのかな。

 

そうじゃないのだ、今のポイントは。

秀吉とたまたま出会い、いわば権力者になぶられる態の交流をわずかに持ったに過ぎない、素封家の道頓。

その道頓が、大坂の陣に際して何を思ったか豊臣方に参陣する。

 

「正気でござりまするか」

「ああ、正気や」

「どういうおつもりでござります」

「豊公には恩義がある」

何を言うのだ、と思った。むかし、天満川畔の青物市で肩をたたかれただけのことではないか。そうなじると、

「ああ、それでも縁は縁や。その息子と後家が負けかけているのに、だまって道頓が見ているわけにもいくまい」

 

以上、である。

どこまでが史実で、どこからが作家の想像力の産物か、例によってそれもわからない。

わからないのだが、僕にはこれは「義理に厚い」とか「判官贔屓」といったこととは、少し違うような気がするんだな。

何というのか、大きなものが動いていくときに、自分もその中に関わっていたいというような、そんな心根のような気がするのだ。

 

で、同型のこととして連想されるものを列挙してみる。

 

【その2 ~ 康明治】

って誰のことだか、分かるかな。

大江健三郎 『遅れてきた青年』

僕の大江嫌いを知ってる友達は、可笑しがるかもしれない。

いかにも、同郷の偉人ではあっても僕は彼の文章は概して嫌いだ。

でも、食わず嫌いではないってことが、これで分かるだろ。

ついでに言えば、小説は嫌いでも「ヒロシマ・ノート」「沖縄ノート」といった評論には、けっこう学んだと思う。

 

で、『遅れてきた青年』

主人公の竹馬の友である在日朝鮮人青年・康明治。

この場合、「韓国人」ではなく「朝鮮人」とことさら書く理由があるのは、彼が北に属する(と自分が思っている)人物だからだ。

その彼は、日本の敗戦の際に歓喜を露わにしたことを友人に釈明して、

「日本が負けたのを喜んだのではない、金日成が勝ったのを喜んだのだ」と語る。

そしてその後、北鮮軍に投じる志をもって旅立っていくのだが、数年後に再会した彼は、あろうことかアメリカ軍のスパイとして朝鮮戦争に関与したことを語るのだ。

そのくだり

「おれがなぜ、金日成将軍の敵の軍隊に加わったか、ふしぎに思うだろう?簡単だよ、日本から朝鮮の戦争に参加する方法はそれだけしかなかったんだ。それに子どもの頭で考えた行動法はあったのさ、おれは国連軍の機密書類をぬすんで敵の陣地に投降しようとおもっていいたんだ・・・」

 

【その3 ~ 影武者】

御存じ、1980年の黒澤明映画。主演は仲代達矢。

最初は勝新太郎のはずだったのだが、黒澤監督と衝突して降りたのだ。勝の実兄の若山富三郎は、衝突を予見していたので出演依頼を断ったのだそうな。「あいつ(=勝)は黒澤監督に心酔しているから、あんな風に衝突するのだ」と、若山がどこかに書いていた記憶がある。まるでフロイディアンみたいな父子葛藤説だったよ。

 

さて、物語。

武田信玄没後の影武者に起用された男が主人公で、映画も後半に至って正体が現れ放逐される。

消されなかったのが幸いというものだが、なぜか心は離れがたく、長篠の戦いを身を潜めて見ていた。

織田・徳川軍の鉄砲隊の前に武田の騎馬隊が壊滅するのを目のあたりにした時、男はたまらず武田の旗を拾って乱戦中に駆け込み、落命する。

 

康明治の話を飛ばして、むしろ道頓とつながるところがあるかしらん。

 

この後の二つは話が逸れるようなのだけれど、思いついたら口にしてしまうのが自由連想のルールだから、構わず書いていく。

 

【その4 ~ またしても『痩せ我慢の説』】

「さて、この立国立政府の公道を行わんとするに当り、平時に在てはさしたる艱難もなしといえども、時勢の変遷に従って国の盛衰なきを得ず。その衰勢に及んではとても自家の地歩を維持するに足らず、廃滅の数すでに明らかなりといえども、なお万一の僥倖を期して屈することを為さず、実際に力尽き然る後に斃るるはこれまた人情の然らしむるところにして、その趣を喩えていえば、父母の大病に回復の望みなしとは知りながらも、実際の臨終に至るまで医薬の手当を怠らざるがごとし。」

(中略)

「されば自国の衰退に際し、敵に対して固より勝算なき場合にても、千辛万苦、力のあらん限りを尽し、いよいよ勝敗の極に至り手始めて(ママ)和を講ずるか、もしくは死を決するは立国の公道にして、国民が国に報ずるの義務と称すべきものなり。すなわち俗にいう痩我慢なれども、強弱相対していやしくも弱者の地位を保つものは、単にこの痩我慢に依らざるはなし。ただに戦争の勝敗のみに限らず、平生の国交際においても痩我慢の一義は決してこれを忘るべからず。欧州にて和蘭、白耳義のごとき小国が、仏独の間に介在して小政府を維持するよりも、大国に合併するこそ安楽なるべけれども、なおその独立を張りて動かざるは小国の痩我慢にして、我慢よく国の栄誉を保つものというべし。」

 

・・・逸れるような、逸れないような。

道頓も康明治も影武者も、いずれも勝敗を度外視して自分の関わりたいものと運命を共にしている、そのことの連想なのだが、彼らが痩せ我慢しているかというと、少し違うように思われる。

何というか、アクセントの所在の違いかなぁ。

 

最後はだ~れだ?

 

【その5 ~ 太宰治】

「私は戦争中に、東条にあきれ、ヒトラアを軽蔑し、それを皆に言いふらしていた。けれどもまた私はこの戦争において、大いに日本に味方しようと思った。私など味方になっても、まるでちっともお役にも何も立たなかったと思うが、しかし、日本に味方するつもりでいた。この点を明確にしておきたい。この戦争には、もちろんはじめからなんの希望も持てなかったが、しかし、日本は、やっちゃったのだ。」

「昭和十四年に書いた私の『火の鳥』という未完の長編小説に、次のような一説がある。これを読んでくれると、私がさきにもちょっと言っておいたような『親が破産しかかって、せっぱつまり、見えすいたつらいうそをついている時、子供がそれをすっぱ抜けるか。運命窮まると観じて、黙ってともに討死さ。』という事の意味がさらにはっきりして来ると思われる。」

(中略)

「このような思想を、古い人情主義さ、とか言って、ヘヘンと笑って片づける、自称『科学精神の持ち主』とは、私は永遠に仕事をいっしょにやって行けない。私は戦争中、もしこんなていたらくで日本が勝ったら、日本は神の国ではなくて、魔の国だと思っていた。けれども私は、日本必勝を口にし、日本に味方するつもりでいた。負けるにきまっているものを、陰でこそこそ、負けるぞ負けるぞ、と自分ひとり知ってるような顔でささやいて歩いている人の顔も、あんまり高潔でない。」

太宰治『十五年間』

 

*****

 

う~・・・

やっぱり後の二つは、話が少し違うよな。

好むと好まざるとに関わらず、自分がその構成員であることを強いられるもの、「国家」というものがそこに介在するからだ。

そこで太宰が面白いのは、「私は日本に味方する」なんぞという言い方で、まるで味方するかしないかの自由があったかのようなポーズをとっているところだ。海を越えて祖国に投じていった康明治ならいざ知らず。

 

強制しか存在しないところで、敢えて自由を言い張ってみせる、これが太宰の痩せ我慢かもな。

 

そのあたりのことは含みにしつつ、「人は何かしら殉ずる対象がないと自分自身の生を支えていけないのだし、そのような帰属の欲求は日頃僕らが思っている以上に強いのだ」ぐらいのことは言えるような気がする。

そんなの当たり前かというと、そうでもないと思うのだ。

 

ついでに言うなら、この種の幻想の必要性は、女性よりも男性において、より強いものだろうと思う。

男性は意味を食べて自分の生を支える種族で、それがないとてんでダメなんだよ。

 

いま男の子達が生きづらくなっているひとつの理由は、たぶんこの辺りにある。

そして気をつけないと、おバカに見えて意外にアタマのいい人たち(つまり、悪賢い人たち)が、こうした男の子達の渇望につけこんで、またぞろ悪さをやらかすかもしれない。

 

今夜はもう休もう・・・