散日拾遺

日々の雑感、読書記録、自由連想その他いろいろ。
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足入れ婚からつながる連想

2014-09-26 07:58:27 | 日記
2014年9月26日(金)
【足入れ婚】
1 婚姻成立祝いをしただけで嫁は実家に帰って、婿が泊まりに通う妻問(つまど)い婚の形を一定期間とったのち、嫁が婿方の家へ移るもの。あしいれ。
2 内祝言の後、嫁が婿方に移り住む風習。あしいれ。
(デジタル大辞泉)

 これじゃ、かえって分からない。一般的にはそういう説明になるんだろうが、むしろ個別の(特殊の?)例を挙げた方がわかりやすい。
 1は平安文学などで馴染みの形式だが、ここで気にしているのは2の系列である。「内祝言の後、嫁が婿方に移り住」んだ後が重要で、たとえば、めでたく挙児に成功した暁に、初めて正式の妻として認められる(本祝言?)というものである。これは「三年子なきは去る」と同系列の発想で、つい最近まで確かに例があった。
 
 実は、北海道に住んだことのある人に聞かされたのだけれど、アイヌ系の女性が倭人の男性に嫁いだ場合、生まれた子どもがアイヌの身体的特徴を強く現していると、母親ごと実家に帰される例があったというのである。未確認の伝聞情報であり、内容もあまりに露骨で痛ましいことなので、いくら何でもと疑う気持ちがあった。しかし、この極端な話の手前に「足入れ婚」の風習を置いてみれば、実はそこにわずかな隔たりしかないのに気づく。
 「子どもを産めなければ、正妻と認めない」
 のが上記のタイプの足入れ婚だとすれば、
 「然るべき条件を備えた子どもを産めなければ、正妻と認めない」
 のが上記の伝聞情報の意味するところだからだ。

 いつの、どこの世界の話をしているかと言われそうだが、そうでもない。
 タイ人の代理母の出産した双生児のうち、「健常児」だけを引き取ってダウン症児の引き取りを拒絶したオーストラリアの依頼人、まるで製造物瑕疵の論法だけれど、これも「一定の条件を満たした子どもでなければ存在を認めない」という点で上記と共通している。
 このニュースに憤った人は少なくないと思われるが、それと「出生前診断によって受精卵を選別する」発想とが、これまたわずかに一歩を隔てるに過ぎない。

 「授かるものを受けとる」という原則から一歩踏み出したが最後、遠い奈落に至るまで、僕らの我欲には歯止めのかけようがないのだ。

海の向こうの懲りない面々

2014-09-26 07:58:14 | 日記
2014年9月25日(木)
 アメリカが、またやっている。

 敵Aを倒すために、Aと対立するBにテコ入れする。
 首尾良くAを倒したときにはBが巨大化しており、今度はこれを敵としてCをテコ入れする。あるいは倒したAにテコ入れして復活させる。
 彼の国の「外交」は、この式の連続で、歴史的な連鎖の最初のAとBが日本と中国であったことを以前に書いた。
 それで当方の失敗や落ち度を正当化するつもりはないが、このやり方自体は実に拙劣かつ迷惑なもので、特に中東では次々に大きな悲劇を育ててきたこと疑いない。

 しかるに、

 イスラム国を打倒するため、これと対立する勢力に武器供与を推進する云々とオバマ大統領。これと全く同じ発想でフセインのイラクを育て、後に同じ相手を悪魔と見なして退治に大汗かいたのだ。またやるんですかと思いながら出かけ、帰って夕のニュースを見たら。
 大統領の国連での演説を、英・仏や日本はもちろん歓迎。いっぽう、ロシアや中国がこれに批判的なのも当然の流れとして、中国の軍事評論家の主張に少々注目。イスラム国の勢力伸長の背景を作ったのは他ならぬアメリカではないか、自分が蒔いた種は他人を巻き込まず、自分の責任で刈っていただきたい、というのである。
 
 たぶん、その通りなのだ。
 アメリカ主導の国際社会における中国の野党的役割が、珍しくも頼もしく見える一瞬であるが、おかげで話はかえってややこしくなる。頼もしい野党というよりは、乱暴者のゴリラ君なんだからね、実際。
 それはともかく、僕らが現実にどういう選択をするにしても、アメリカのやり方の危うさはよく知っておく必要がある。イスラム国が鎮静した後(それ自体、そう簡単にいくとも思えないが)、アメリカの手で強化された勢力が間違いなく次のトラブルメーカーになるだろう。際限のないマッチポンプの連鎖の背後で、笑いが止まらないのは軍需産業ばかりという悪魔の図式である。

祝! LPレコード復活の兆し

2014-09-26 07:57:59 | 日記
2014年9月25日(木)
 木曜午後のいつもの仕事の後、久しぶりにレコード店を覗いてみた。
 オイストラフ父のブラームス/チャイコフスキーが、これ一枚の愛蔵CDなんだが、そういうものに限って難に遭うもので、先日聞こうとしたらバリバリ雑音がするばかりになっている。CDにも劣化というものがあるのだ。こればかりは他に代え難くて買いなおそうと思ったが、残念ながら店舗にない。
 その代わり、嬉しい風景を見た。店舗の奥半分が昔懐かしいLP盤のコーナーに様変わりし、僕より少し年輩と見えるオールド・ファンたちが、人を寄せつけない熱気を放ちながらレコードを漁っている。再生機の見本も複数展示され、はっきりとLP人気の復活を現している。
 ついにこの日が来た!

 1980年代だろうか、CDというものが出現したときは、その手軽さを喜び歓迎したが、次に来る事態を予想していなかった。CDが非常な勢いで市場を席巻するにつれ、従来のLP盤があっという間に消えたのである。LPを再生するターンテーブルも消えていき、企業が原盤を潰し始めたと聞いたときは血も凍る思いだった。
 単なる懐古趣味ではない。音楽ファンなら誰でも知っていることだが、LPとCDではナゼか音がはっきり違う。CDのデジタル音は確かに細部まで(過剰なほど)精確で輪郭明瞭だが、裏を返せば聞き疲れするメタリックな音質で、むやみにダイナミック・レンジが大きくて、要するにジャカジャカドンドンの大騒ぎになる。
 ロックはこれでいい(これがいい?)けれど、クラシックには全く不向きで、殊にバイオリンやピアノの柔らかい音を聞くことができなくなった。ジャズも本当はCDでは聴けないように僕は思う。うるさ型が多く、層も厚い日本の音楽ファンが、なぜこの文化破壊に抵抗しないのだろうと不思議でならなかったのだ。

 良いもの、価値あるものは、必ず復活する。大事な盤どもを捨てないでおいて良かった。
 実に嬉しいけれど、ここまで30年は時間のかかり過ぎだろう。どうしてこうヒステリックに右往左往するのかな。この間に失われた逸材も少なくないはずだ。ヘンだよ。
 「現に手の内にある宝を大事にすること」が幸せの秘訣だと、どこの文化圏の格言も口を揃えて警告しているのに。

ウラル・アルタイ語族・・・じゃないんですか?

2014-09-25 09:14:40 | 日記
2014年9月25日(木)
 以下はすべて Wikiのコピペ。

【ウラル・アルタイ語族】
 ウラル・アルタイ語族(ウラル・アルタイごぞく)は言語の分類の一つであり、かつては、印欧語族、セム・ハム語族(現在のアフロ・アジア語族)とともに世界の3大語族とされていた。現在、ウラル・アルタイ語族は、ウラル語族とアルタイ諸語の関連性が否定され、別々に扱われている。日本語・朝鮮語をウラル・アルタイ語族(アルタイ諸語)に含める説もあった。
 共通の特徴としては、膠着語であり、SOV語順(例外もある)、母音調和があることが挙げられる。
 しかし共通する基礎語彙は(ウラル語族を除いて)ほとんどなく、上の特徴も地域特性(言語連合)である可能性が高い。そのため現在は、それぞれウラル語族、アルタイ諸語に分類されている。

・・・そうだったんですか、アルタイは「諸語」であって、「語族」とすら見られないわけね。

【アルタイ語族】
 アルタイ諸語を共通の祖語をもつアルタイ語族とする説は古くからあるが、母音調和を共通に行う3グループですら数詞などの基礎語彙が全く違うため、少なくとも伝統的な比較言語学の手法によってアルタイ祖語を復元し、アルタイ語族の存在を証明することは困難である。

・・・ははあ。

【アルタイ諸語】
 アルタイ諸語(アルタイしょご、Altaic Languages)は、比較言語学上たがいに関係が深いとされる言語のグループのひとつ。 北東アジアから中央アジア、アナトリアから東欧にかけての広い範囲で話されている[2]諸言語である。
 これらの諸言語間の共通性は、たとえばインド・ヨーロッパ語族のように定論が確立している語族と比較すると極めて小さいと言わざるを得ない。そこで、多少存在する類似性は言語接触の結果であり、アルタイ諸語にはそもそも言語的親戚関係は存在しないとする見解と、これらの言語は一つの祖語をもつアルタイ語族というグループを構成するとする見解が対立しており、仮にアルタイ語族という説が成立するとしても、具体的にどの言語をアルタイ語族に含めるかに関して様々な見解が存在する。
 「アルタイ諸語」の名は、中央アジアのアルタイ山脈にちなみ命名されたもの[3]。

・・・う~ん

【構成言語と共通特徴】
 アルタイ諸語であることが確実とされる言語グループには以下の3つがある。 これらそれぞれの中での系統関係は実証されているが、これらの間の系統関係については決着を見てはいない。
  ツングース諸語(エヴェンキ語、満州語など)
  モンゴル諸語(モンゴル語、オイラート語、ブリヤート語など)
  テュルク諸語(アルタイ語、トルコ語、ウズベク語、カザフ語など)

これらの言語グループにはいくつかの重要な共通の特徴が見られる。
  母音調和を行う
  膠着語である
  原則としてSOV型(主語 - 目的語 - 述語)の語順をとる[4]
  語頭にRが立つことを嫌い、固有語に語頭Rの単語をほとんど持たない

などの諸点である。
 加えて、日本語(日本語族)と朝鮮語(朝鮮語族)の2つもアルタイ諸語に含めることがある。 ただし、その近縁性はたしかに認められたとまでは言えず、定説には至っていない。
 上記特徴のうち母音調和だけは日本語と朝鮮語が欠いているものだが、朝鮮語については過去に明らかな母音調和があった(中期朝鮮語)ことが知られている。 また、日本語についても、過去に母音調和を行っていた痕跡が見られるとする主張もある[5]。

***

 何を考えたかというと、だ。
 ユーラシアの西半分を印欧語族が占めている。今日の表舞台で主流と言えばこのグループだ。
 いっぽう、東半分には偉大な中華文明があり、往事の栄光再現を夢見ている。シナ・チベット語族である。
 アルタイ語族はその狭間にある存在だが、中華との関係では狭間というより周辺をぐるりと取り巻いて、中華側から見た蛮夷の外縁を形成している。トルコ・モンゴル・ツングース・朝鮮・日本そして琉球まで。

 アルタイ語族の文化連合みたいなものができたら、何かこの世界を豊かにするような影響力がそこに生まれないかと、そう思ったのだ。印欧でもなく中華でもない、基本的に辺縁にあるものの豊かさである。祖語が存在しない「言語連合」だというなら、それもかえって良いかもしれない。
 モンゴル人力士の活躍が突出することを歎く日本人は多いが、僕はそれほど残念と思わないんだよ。そもそも日本の相撲の源流の一つは、モンゴル相撲に通じる大陸由来の格闘技だったはずだ。相撲道を正しく継承してくれる限り、出自が何処であっても少しもかまわない。モンゴルなんか大歓迎だ。
 「日本」という文化が、そもそもそのように創られてきたのだし、それこそが僕にとっては誇らしい。帰化人を祖先にもつ(かもしれない)嬉しさである。

 棋界で台湾出身の(そして蘇耀国のような中国出身の)棋士らが活躍することも、同じ趣旨で喜ばしいことだ。
 先に書いたコスミちゃんの話、実は台湾人の父と日本人の母をもつ少女が韓国出身の棋士を讃仰する図になっている。そこに登場する全ての人々が、等しく「日本の」棋士なんだよ。何てこの世はすばらしい!

 
 「アルタイ語族」の分布地域
 (中国東北部 ~ 「満州語」エリア ~ は含まれないのかな??)