社会を見て、聞いて、感じる。

人生そのものがフィールドワーク。

5月2日(日) 油断大敵。

2021年05月04日 08時28分46秒 | 2021年

 8時起床。

 朝食は、妻はお粥、娘はパンを食べていた。妻も解熱したし、娘はかなり元気になってきた。

 午前中は、家の中で娘と遊ぶ。たまに娘が寝ている妻にちょっかいを出しに行ってしまうのはご愛敬。

 昼食は、即席の鍋焼きうどんに溶き卵を追加し、3人でシェアして食べる。

 デザートは苺。

 娘が外へ行きたい、車に乗りたいと言うので、2人でドライブに行くことにする。せっかくなので車がないと行きづらく、それほど混雑していない場所を考え、大さん橋を目的地に設定する。我が家から車なら30分も掛からない距離なのだが、着くころには娘が眠ってしまっており、そのまま駐車場で小一時間過ごす。睡眠は重要だ。

 娘が起きて来たところで、大さん橋のデッキをお散歩。昨日報道されていたのを忘れていたのだが、乗客にコロナ陽性者が出たということで、大型クルーズ船「飛鳥Ⅱ」が帰ってきていた。本来なら今頃は青森へ向かっているはずだったそうだ。

 あまりに大きすぎて、娘はそれが一隻の船だと認識するのにだいぶ時間が掛かっていた。

 散歩しながら周囲の景色を眺める。今日は絶好の天気だ。娘は海が見られるし、大きなデッキを走り回れるので嬉しそうである。

 新横浜へ戻る。当初はそのまま帰宅する予定だったのだが、娘がまだ帰りたくないと言うので、岸根公園へ寄っていくことにする。「まだ帰りたくない」なんて、20年後くらいには他の男に言ってるのかなーなどと、ちょっぴり胸が痛くなる。

 娘は園内で見つけた鯉のぼりに夢中で、繰り返しその数を数えては楽しそうに結果を教えてくれる。

 さあ、芝生で遊んで帰ろう。

 と思ったら急に雨が降ってきて、しばらく木陰で雨宿りをする。

 小降りになったタイミングを見計らって車へ戻る。娘は雨に濡れるのも楽しいようだ。

 17時前に帰宅。

 夕食は、妻と娘はうどん。私はバーミヤンから出前を取る。しかし、いざ食事を目の前にすると食欲が湧かず、チャーシューとネギなどを皮で巻いて食べるものを少し食べただけで、残りのほとんどのものを冷凍保存に回すことになった。餃子だけは娘の求めに応じて2つあげたのだが、これを後々後悔することになる。

 食欲がない時点で少し嫌な予感がしたのだが、入浴を終えて出てくると一気に寒気がしてくる。熱を計ると37.0度。思っていたよりは低いが、この寒気は怖い。

 洗濯を済ませ、すぐに布団に入る。布団に頭までくるまっていても寒い。ようやく妻も娘も回復してきたと思ったら、今度は自分の番がやってきたらしい。

 21時半ぐらいから眠り、23時半過ぎに暑くて目が覚める。寒気もほとんどなくなっており、熱を計ると37.1度だった。思ったほどではない。

 妻も起きて来て、2人でみかんゼリーを食べる。

 0時過ぎ、寝室から娘の咳きこむ音が聞こえる。「やっちまった」と思いながら寝室へ入ると、案の定しっかり夕飯が戻ってきていた。妻は娘の対処、私は手袋をしてブツの処理にあたる。シーツのど真ん中だし、下には防水マットも敷いてあるので、それほど大変ではない。一方で、娘はしくしく泣いている。苦しかったのもあるが、どちらかというと吐いてしまったのが悲しいという感じだった。お父さんが調子に乗って餃子を食べさせてしまったせいだ。ごめんね。

 各所の除菌を終えてから、妻と娘は寝室へ戻る。娘はそのまますぐに眠れたようだ。

 家の中の換気をしながらシーツ類の洗濯をする。今回のは人災だよなと反省しながらシーツを外に干す。

 そうこうしている間に自分の体調不良は気にならなくなっており、熱も36.5度と平熱になっていた。単純に家中の窓を開けていて身体が冷えたのかもしれないが、身体がウイルスとの闘いに勝ったということにしておこう。

 2時過ぎに就寝(一旦)。

 ここで一段落かと思いきや、3時半、5時半、6時15分と3回の嘔吐があり、妻も私もほとんど眠れなかった。娘も寝て起きての繰り返しなので、かわいそうだし申し訳ない。

 それにしても、深夜から明け方にかけて4回も洗濯機を回し、ゴミ出しをすることになるとは。

 もう完全に外が明るい。これ以降の日記は、明日の分に回そう。