はちきんizyのアメリカ丼

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山あり谷ありの国際結婚ブログです。

ヒッチハイクの思い出

2009-01-27 |  つぶやき
15歳で自立した Jewel は、街から約20キロ離れた小さなキャビンに住んでいた。

その頃、いくつかの仕事を持っていた彼女は、

馬で町の近くに住んでいた小母さんの家まで行き、

そこから ヒッチハイク をして 職場まで通ったという。

カリフォルニア時代も彼女は よくヒッチハイクをしていたようだ。

時には小さなナイフをベルトにさして、、、。

           
       
From scene

子供の頃、祖母と入院していた父を面会に行くとき、

私たちはバスの終点から 病院までの山道を歩いて行った。

どれだけの距離だったか 覚えていないが、

今でもたくさんの木々に囲まれた くねくね曲がった道が、うっすらと浮かんでくる。

そこには 家は一軒もなく たぶんその病院だけが 

山の向こう側に建っていたんだと思う。

老人と子供がそんな道を歩いているせいか、

車が通り過ぎるたびに 止まり、私たちを乗せて行ってくれた。

            
From scene
そんな 他人からの親切 を経験した私は、

逆の立場に立った時、困っているんじゃないか と思われる人を見ると

 気になって 相手が子供や 老人だと 聞かれてもいないのに 

声をかけることがある。

ただ、よくハイウエイで 大きなリュックサックを肩からかけ、

親指を立てて、後ろを振り返りながら歩いている ヒッチハイカー を

ピックアップしたことはない。

気にはなるが、ストレンジャー の多いこの国では、

つい変な想像をしてしまい 怖くて出来ない。

悲しいことだが たぶん それが 無難 だろう。


        
From scene
高校時代、叔父の家で暮らしていた私は、

彼らの信頼を失い 門限 が夕方の4時半だった頃があった。

そんな窮屈な生活で考え出したのが 

皆が 寝静まった夜中に 窓から 抜け出す ことだった。

ハイウエイまで歩き そこで ヒッチハイク をし 街まで出ていた。

一度 2人の男の人が乗せてくれた事があった。

たぶん20代だっただろうが、その頃の私から見ると おじさん だった。

何を云われたか はっきりとは覚えていないが、危険を感じた 私は 

車が走っている中 ドアを開け、飛び出す格好をした。

ほんとうにする必要があったら たぶん していただろうが、

彼らはそれを見てから 変な話 (?) をしなくなり、目的地でおろしてくれた。

  高校時代の私は そんなところからも分かるように 

不良のレッテル を貼られるような生徒だった。

けっして悪い人間じゃなかったんだけどね。

Jewelの日記を読んでいて そんな昔の自分を思い出した。

        
From family
      

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