はちきんizyのアメリカ丼

料理にすると丼カップル
はちきんイジーとアメリカンいごっそうバッキーの
山あり谷ありの国際結婚ブログです。

父の日の想い出はない。

2015-06-21 | 日本の家族


父の日は母の日に比べると

そのお祝いも 地味なもの ではないだろうか。

両親がいないような中で育った私には

どちらのお祝いもした事がないので

なんとも言えないが、、、


子供の頃を振り返ると

母の日に赤いカーネーションを胸につけ

母親への感謝を示すのが

日本の習慣だったように記憶する。

それともあれは

母親に贈るカーネーションだったんだろうか?

うーーん それさえ ウボロ。


母の日の思い出はそんな形で残ってはいるが

父の日の思い出は全くない。





大学在学中に精神分裂病と診断された私の父は

その後 阪大で

前頭葉外的手術であるロボトミーを受けた

一時 仕事にも就き

結婚し家庭を持ったものの

ロボトミー患者に多く見られる 意欲の低下 からか

働く事もしなくなったと聞く。


離婚の原因はそれだけではないだろうが

見合い結婚だった母が家を出た理由は

想像も出来、納得もする。


私が6歳の時に

父は高知にある 精華園 という精神病院に入院した。

私の記憶にあるのは

強い精神薬で

口数も少なく 感情も見られない父、、、だ。



幼少の頃は 父を恐れていたが

小学高学年にもなると

それなりに精神病というものを理解していたのか

恐れはなかったが

どう交流していいか は 分からなかった。




感情の見られない父が

昔のアルバムに目をやりながら

目頭を熱くしていた様子を目に

硬直した自分、、、


父の背中から覗き込んだアルバムのページにあったのは

若い頃の父と母だった。


あれから 何十年という月日がたった今も

その場にかえる事が出来る程

鮮明に記憶に残っている のは

初めて

父の心に触れたように感じたからだろう。





写真館で記念写真を撮るのが好きな父だった

二人で並んだ写真はアルバムに何枚かある。





スペアルームの壁に掛けられたブルテンボードに

S49,6,10と片隅に鉛筆で記された

高知新聞の切り抜きを見つけた。

俳句の好きだった父が寄せた句が

高新俳壇で評価された時のものだ。

"五月雨(さみだれ)のよく降る日なり海を見る。"





父が入院生活を送った精華園は

海沿いにたち

祖母と見舞いに行った日

浜辺でお弁当を食べた日も

また想い出される。