8月30日は母の命日なので
1ヶ月間だけ毎日
お仏壇の花を変えてみよう
って
これと言って意味はないけど
そんなことをふと思った私は
家の庭やキャンプ場に咲く花を
取り替えて花瓶にさしている。
母の好きな花さえ知らない私だけど
この赤いグラジオラスが似合う人だった。
3年前の8月28日
夕方仕事が入っていた私が
流しで洗い物をしながら
”母が亡くなったら
きっと私達は生きていた頃より
お互いを近くに感じるようになるかも知れない。”
と
急に
そんな事を思ったのは
その日が私の誕生日だったからだろう。
ほら
誕生日って自分の両親
特に自分を生んでくれた母親の事を
考えたりするじゃないですか。
でも
それだけでなくて
その時
母が私の事を思ったから
その思いが
ビューンと
海を超えて
私の側まで飛んできたのかも
って
そんな事を思ったりもする。
と
言
う
の
も
お皿を洗いながら
私が母のことを考えたその時
14時間時差のある日本で
母は倒れ
病院に運ばれたんです。
私が母と暮らしたのは
乳児期の18ヶ月間だけで
母に会ったのも
私の2度の帰国時と
長女の結婚式に
母が初めて来米した時の計3度だけど
自分が思う以上に
強く繋がってるんでしょうかね
母は
入院翌日の30日早朝4時半(日本時間)に
苦しむこともなく
家族に囲まれ
この世を去ったそうだ。
水曜日のランチは
夕飯はひとりごはんだったけど
カップヌードルじゃぁ
栄養悪いんで
これが結構美味しかった。
味付けは醤油とオイスターソース
バターで炒めたイカに
野菜や麺を加えて調理。
ぽちっとね
くりまんじゅうさんが 明神のたたきが美味しいと教えてくださったのでそれを楽天で探し出し母の誕生日に何度か送らせてもらいました、、、が たたきは私の好物で母の好物でないかも知れない とも思い始めた頃でもありました。
>イジーさんの誕生日と お母様の命日は近い日なんですね。
そうなのです
嫌でも母のことを誕生日が来るたびに考えることになってしまいました。
> お孫さんの結婚式に出られたとのこと
それを親孝行と言うのですね。
私が母に参列するよう頼んだのは たんにアメリカの家族に私にも日本に家族がいることを見せたかっただけでしょう。
*すみれさんへ
やはり はっきりと記憶に残ってるんですね
思い悩んで決めたことと想います
私が大橋通で乳母車から落ちたのは母が悩み事を友だちに相談していたからと聞きます
そこまで不注意になるほど悩んでいたのでしょう
祖母は手紙の代筆もしていました。
細木病院の入院患者さんで 代わりに病院食をくださったんです それも子供の私には美味しかったです。
*びこさんへ
この世に残った者があの世にいる人を思う心が一番の供養なのでしょうね
あの世で人々の魂はどのように交流しているのでしょうね
母には3人の夫がおりますが皆一緒なんでしょうかねぇ
そうですよね 縁の深い関係で何かを解決しない限りずっと 会い続けるのでしょう
それがどんな関係になるかは 今の自分の生き方で決まるのでしょうかね 生き方というか世界の見方 感じ方?うーーん
*サニーさんへ
どうしても自分の家族の側に、魂は行きたがるでしょうね
私の側を離れることなくいるのは祖母だと 霊媒師さんが話してくれました
また リーディングを受けたくもなります
*姥桜さんへ
ありがとうございます
母も私に似て光のあたり方で顔が変わりますのでうまく写真に映る時はあります
母と一緒に来てくれたのは私と父違いの妹の旦那様です なかなか出来た方で母の死を教えてくれたのも彼でした
*Reeさんへ
いろんな親子関係がありますよね
ジェイク君も自分の母親のことで悩んでいます
皆 それぞれ自分にしか分からない事なのでしょうね
でも親は一番縁の深い関係ですから悩みはこの世で解決出来たらいいんでしょうね
こちらに来てから普通に接するようになりましたけど、今日のイジーさんのを読んで、もし亡くなったら私もそう思うようになるのかな、と感じました。
焼うどん、私も大好きです。
そう言えばしばらく作ってないです。
私は母の誕生日を数か所のパスワードに使ってます。
名前なども。やっぱりその都度繋がっているって感じます。
霊感のある長女が私の近くにいつもいると言ってましたが何となく信じています。
イジーさんが思っているときお母さんも近くにいます。
イジーさんのご両親も八月の終わり頃になればお二人でイジーさんのことを話し合っておられるかもわかりません。此の世で親子になれたのは、それだけご縁が深かったということですから、幼い頃に離別されても、その深いご縁は今も続いていると私は思います。お母様は明るいお綺麗な方だったんでしょうね。
私は、4回会っています。きれいな人でした。
2月の寒い日に私の家に、かわいい女の子が、やって来て私は嬉しくて、さわりまわっていました。大人が暗い顔をしていたのを覚えています。あれから63年~ 64年経つのですね
今は、遠いアメリカで生活していると思うと不思議な気分です。
祖母👵は、絶対、よかった、よかったと喜んでいるよ。
私が、チラシ寿司を作り、持って行った時も寝ていました。血圧が高かったからね。家計簿は、きちんとつけていました達筆でしたね。父が、「死んだ翌日からは空白やった」と、当たり前のことを言ってたことが、胸に深く残っています
送ったと書いておられました。
イジーさんの誕生日と お母様の命日は近い日なんですね。
お母様が初めて米国を訪れ お孫さんの結婚式に出られたとのこと 親孝行ができましたね。