英語タイトル ”The Ballad of Narayama ” のDVDを
図書館で借り
週末イリノイの家で観た。
パッキングしてしまったリモコンが見つからず
字幕(subtitles)に設定できなかったので
大まかな私の説明を聴きながら
主に映像を追い鑑賞したバッキー
その日の食べ物にも困るほど貧しい事から
口減らしの為に
70歳を迎える親を
息子が背負い
楢山に捨てる習わしがある信州の山奥が
舞台になり
そこに住む1家族を中心に話が展開していく。
食べ物を盗んだ家族を
生き埋めにし罰したり
そんな残酷なシーンもあるが
そんな場面も淡々と描かれているせいか
感情が湧かない。
性行為の場面も多いが
性欲を満たすだけの行為で
描写が 滑稽
サザエさんに出演していた 清川虹子さんが
左とん平さんが扮する”臭い男”の性欲を満たすために
寝てくれないか と
その母親(坂本スミ子さん)から頼まれた時
”長い事使ってないけど
使えるかしら、、。” みたいな事を言ったり
はたまた
とん平さんとの性行為時に
おっぱい ベロンの清川虹子さんが
”錆びないものね。”
みたいなセリフを言ったり、、、。
ストーリーのメインとなる
息子が母親を背負い
山に捨てに行く場面は
心に残る。
坂本スミ子さんが演じる
”賢く気の強い”老婆は
それゆえに 山に行く事を望む。
この習わしを自分の息子には
立派にし終えて欲しい気持ちもあったように
私には感じられた。
気持が進まない息子(緒方健さん)は
仕方なく母(坂本スミ子さん)を背におい
山に登ることになる。
同じように
親を捨てに来た男に
山で出会うが
死を怖がり抵抗する親を
その男は崖から蹴り落とす。
ボールが転がっていくように
バウンスして落ちていくその姿と
あの世に渡ることを望み
自分で織ったゴザに座って
手を合わせ
じっと祈る老婆(坂本スミ子さん)の姿とが
対照的な事もあり
生や死 恐怖、、そして信仰心を考えさせられた。
生きるとは
人間より大きな存在を信じる心を
深める事であり
それには
一日一日の命に感謝する心が
大きく関係していると思う。
この世での命を
燃やし尽くし
あの世で 又 それを輝かせる、、、、。
死は 生と同じく
新しいスタート
映画の最後のシーンに見られるこの映像は
上手く光も使われているせいか
天使に囲まれ
天に舞っていく
彼女の姿を想像させる。
この時の彼女の境地は
私がたどり着きたい境地でもあり
心に留めておきたい 姿 だ。
こんな感想でした。
姥捨てや口減らしは実際にあった事ですもんね。
私はまだまだ死に大して恐怖しかありません。
なのでその時が来たら突然崖に突き落としてほしいです(笑)
>姥捨てや口減らしは実際にあった事ですもんね。
食料にも困る時代は 使いものにならない老人は
殺されるんでしょうね
手を付けずに 生殺し? と言うのが また 残酷に思うんですがね、、。
*Leahさんへ
>なのでその時が来たら突然崖に突き落としてほしいです
うん でも トーマス君が一生 罪悪感を持って生きるのも避けたいでしょ
きっと 彼に栄誉を与えるためにも 座るタイプに思います。
>一日一日を大切に感謝し、、、
人間って 沢山感謝がある時にはそれを感じず
災害に合ったり 病気になったり 困った時に
初めて この1日の生を心からよろこびますよね。
バッキーさんは昔の日本の慣習をどう思われたでしょうか…。^^;
信州などの雪深い地方は口減らしは特に必要だったでしょうね。東北の方も辛抱強い県民性だと聞きますが風土が人間性に大きく関係するというのが頷けます。
高知は暖かく、海山の幸に恵まれているぶんだけ口減らしはそれほど深刻ではなかったのでしょうか。姥捨て伝説などは聞いた事がありません。しかし、高知でも昔は特有の哀しい慣習とかあったんでしょうね。
日本では貧しいがために姥捨てが実際にあった と
話していたせいか
どの行為も実際に起こった事として
うけ取っていたかもしれません
野蛮 と思ったでしょうね。
だからと言って 驚きもせず
観ていました。
信州と言えば
私の先祖は江戸時代に信州 長野から土佐(久礼)に移って来たんですよ、、、。うーーん
おっしゃるように気候風土と人間性って大きな関係がありますよね
どの土地でも 生き延びるために
誰かが犠牲になることはあったでしょうね。
形は違えど 今も沢山の犠牲の上に文化が発展しているんですよね、、、何か ため息、、、。
>字幕(subtitles)に設定できなかったので
汗、汗、日本語の字幕のことかと思ったらバッキーさんがご覧になるための英語の字幕ですね!
私はだいぶ年を重ねるまで「口減らし」という言葉すら知りませんでした。
うわー、70歳なんですか!
私は後、2ヶ月だったら70ですよ~(涙)
>そんな場面も淡々と描かれているせいか感情が湧かない。
映画そのものも想像の世界ですが。私は出来たら観たくないですね。
今村昌平監督の作品なんですね。
「豚と軍艦」「にっぽん昆虫記」「エロ事師たちより 人類学入門」「神々の深き欲望」「女衒 ZEGEN」「うなぎ」「カンゾー先生」などなどなど、どの映画も題名はいつの間にか頭に入っていますが1本も見たことないです(泣)
えっ、この映画、坂本は当時40代で息子役の緒形拳と1歳しか変わらず、実年齢を30歳近くも上回る老女を演じるにあたり、前歯を4本削り、歯のない役作りをした。その後、インプラント処理をしているとか~wiki
「息子が母親を背負い」の下のシーンだけでも私は目をそむけそうです。
>その男は崖から蹴り落とす。
話だけでも、そんな日本があったのか!と信じられない気持ちです。
>生きるとは信仰心(無宗教でも)を深める事であり
人間の尊さですよね。
>この時の彼女の境地は私がたどり着きたい境地でもあり心に留めておきたい 姿 だ。
宗教そのもな気がしますが、俗っぽい私には到底そのような境地にはなれそうにありません。
現代の物差しで測るならば残酷物語になるんでしょうね。
そのため 外国映画が観にくい私です
文字を読むのが遅すぎ、、。
この映画の内容で 実際に起こったかどうかは 疑問ですよね
時代設定は、、、江戸時代?明治?でしょうかね
その頃 70代まで生き延びること自体 少ないでしょうし
姨捨に付いての知識もありませんが
身体も立たなくなった老人を捨てる、、、と言う感じではないでしょうかね
へ―― インプラントにされたんですか
今のお姿を見ると お若いですものね
歯は顔の老化に大きく関係していますから、、ね
>「息子が母親を背負い」の下のシーンだけでも私は目をそむけそうです。
私が変わってるのかも知れませんが
そういう感じ方はしなかったんです
ただただ この老婆の中での死 とは何か とそんな事を考えながら映像を追いました。
>話だけでも、そんな日本があったのか!と信じられない気持ちです。
あったかどうかは 分かりませんが
でも形は違えど 似たような事は今もありますよね。
蹴り落とした後 息子は 手を合わせ 恐怖におののくような表情になるんです。
生き埋めにしても 殺してから埋めればいいのに と思う事ですが
それもない
きっと 自分の手で人を殺す事は悪い事だったんでしょうね
姨捨にしても 殺してあげれば 年老いた物たちも楽に逝けるんですよね
最後に 母親を山に残した後 雪が降って来て
緒方健が母のもとに戻り
”雪が降って来てよかったな” と言うんです
少しでも楽に逝けるため
>現代の物差しで測るならば残酷物語になるんでしょうね。
残酷な内容ですが
残酷さを強調せず創られています。
それもあり 観ていられるというか
そして もっと複雑になった今の世の中の人の心にある残酷さをも思う事です。
自分が、人生終りに近づいて、考えたい自分の心ですね。
家族が彼の死を考えるようになったことがきっかけになり
自分の死を考えるようになりました
あと 霊媒師のかたから亡くなった祖母の声を聞かせてもらった事で
あの世の存在がはっきりしても来ましたね
死はいつくるかわかりせんよね
災害事故 急な病、、、などなど
その時 どうそれを受け入れるかで
何かが違ってくるように感じられます
信仰心を深める事は大きな力となるでしょうね
母が、好きな俳優さんだったので
これは〜テレビで観ました。
生々しいシーンは、詳しくは覚えていませんが
(笑)
姥捨山は、衝撃でした。
つい最近も、浅丘ルリ子さんで
「デンデラ」?で、姥捨山を取り上げた映画がありましたが
人権問題やら?うるさい今は
露骨な言葉やシーンはなかったですね(笑)
捨てられた老婆同士が、逞しく生きている?
そんな映画だった気がします。
口減らしは、確か昔々は、
男の子の生き埋めからあったのですよね?
「木枯らし紋次郎」でしたっけか?
物語の冒頭に農家の三男坊やらそれ以降の男の子?
生まれてすぐに埋めるシーンがあったので
よく覚えています。
後々?子供が中々できなかった身としましては
子供に対する虐待やら、育児放棄を知るにつけ
だったららつくるな!って思いましたが
今ではなく、江戸時代?
他に娯楽もない時代は
性(笑)生に関して正直だっただけですね
今の人達は、若くてもとても淡白というか
他のいろいろな刺激が
人という動物から、生々しいものを
奪っているのかもしれません。
生(性)を考えることって
繋ぐ命やら、生き方やら
とても深いものだと思います。
この映画も改めて観ると
冒頭に、「不適切な言葉〜云々」と注釈が
入るのでしょうね(笑)
観直してみたくなりました。