「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

矢崎

2006-04-06 14:29:12 | 遠野
 遠野市松崎町松崎・・・矢崎・「やさぎ」は住所では松崎となっているが地域としては駒木地区を構成するひとつの集落との位置付けでもあります。

 猿ヶ石川の西岸、戸数20戸余りの集落。

 
駒木橋付近からの矢崎

 矢崎とはアイヌ語で栗木の垣という意味らしい、また伝説によれば大同年間には灌漑用の堰が作られ、早くから稲作が盛んに行われていた・・とも伝えられます。
 大同年間とは西暦806年~810年・・・何故か遠野の昔を語る上で、この大同という年号がよく目にするが、その真意は私にはわからない。(慈覚大師円仁や遠野七観音等の関係、中央からの本格的統治がなされた分岐点たる時代を意味するかとは思いますが・・・。)

 矢崎とくれば、「母成明神」に関連する伝説が伝えられている・・・リンク集(ブックマーク)の「遠野松崎じぇんご弐」松崎町の史跡または伝説のコンテンツに概略がございますので、参考までにご覧ください。
 また、矢崎の地名の興りは、源義家(八幡太郎義家)に関連する伝説とも語られますが、前九年の役で逃げる安倍軍を追って源氏軍が遠野へ進攻、今の海上(駒木の一集落)の八幡座から八幡太郎が矢を放ったところ、その矢が落ちた先ということで矢崎となったものともいわれる・・・まあ、言い伝えは言い伝えとして大事に語り継ぐ、これはこれで必要でもあります。
 何よりも浪漫が感じられます、歴史上高名な人物との関わりがある地名、これは実害はないものでもありますし、少し歴史を調べてみても前九年の役との関わりも垣間見られることでもあり、あながち単なる言い伝え以上の何かもありそうな予感でもあります。

 
矢崎集落メインストリート・・・。


矢崎バス停、会館付近

 さて、矢崎といえばもうひとつ、二大姓があること・・・・集落の9割は「鳥屋部」さんと「海老子川」さんである・・・(とりやべ・えびしかわ)

 どちらも遠野南部氏(八戸氏)が八戸から遠野へ移封された際に付き従ってきた家臣ともいわれる。(鳥屋部平右衛門の名が確認できる)
 なお、海老子川については、その由来についてご子孫の方々でもよくわからないとのことである。
 
 いずれ、遠野市内の上記の姓名は、ここ松崎町矢崎集落に集中しており、それ以外の地域の同姓の方々も何かしらこの矢崎に関わりありといわれます。

 八戸発祥の鳥屋部姓、昨年夏に階上町の鳥屋部舘跡を訪問、また八戸市街地の鳥屋部町等も少し散策した経緯がある。

 余談ですが、真ん中の画像・・右に青い看板が小さく見えるお宅がありますが、このお宅は鳥屋部さん宅、ご主人は私の後輩でもありますが、お兄さんが私と同級生で八戸で仕事をされているとか・・・何度も八戸を訪ねている私ですが、なかなか八戸で会う機会もございませんが、この鳥屋部さん、八戸では何処の鳥屋部さんですか、と聞かれたに違いない、そして遠野の鳥屋部さんですか・・・と珍しがられたかもしれません・・・。
 先祖の地、八戸とのご縁、3百数十年の時を越えて・・・・こちらも浪漫を感じるのは私だけだろうか?・・・私だけか・・・笑
コメント (7)
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