「じぇんごたれ」遠野徒然草

がんばろう岩手!

絆を考えた日

2012-02-06 18:45:58 | その他

 某日、嫁様の祖母の一周忌法要が営まれました。

 

 

そんなに積雪は無いと思ってましたが、案外積っていてゴム長で行って正解でした・・・。

 

祖母の一周忌、そして父親(義父)の33回忌法要も併せてのことですが、祖母縁の人々(祖母の生家や兄弟姉妹)と近親者(子、孫、曾孫)の少数です。

 

自宅での御勤めの後、墓所に参り、場所を某会館で故人を偲ぶ会食となりました。

 

遠野流の「ごっつぉ」(ご馳走)

 

田舎なので見た目と品数勝負といったところ、私のような「じぇんごたろ」(田舎者)にとっては見ただけで幸せを感じてしまうというか、これを今から食べるのか・・・と思うだけでもうれしくなってしまう・・・

 

遠野産ホップ使用の市販ビール

流石、地元な遠野!在庫は結構あるようですよ・・・。

 

 

さて・・・

 

 「絆」・・・3.11 東日本大震災以来、この「絆」という言葉が随所に使われ、また昨年2011年を代表する文字にも選ばれるというまさに絆に触れ、感じるという年でもありましたし、年が明けた今年も、まだまだ絆を大切にして地域の復旧、復興に向かっていかなければなりません。

 

 ここで云う「絆」、本質は同じだと思うし、差異は無いと思うことですが、一周忌法要という場において感じた私なりの絆のこと、少しお付き合い願えればと思います・・・。

 10年前、私の父親が亡くなった際に、どの範囲までにお知らせをし、忌明け法要までご案内するか・・・という話し合いの場に居たのですが(喪主なので当然)その中で曾祖母の生家にも最後になると思うのでお知らせをせよ・・・と親戚の長老から指示をされたことがあった。

 もちろん、その意に従ったのは云うまでもありませんが、曽祖母が我家に嫁いで来てから100年以上、また事情があって幼き祖母を残して離縁となり別地区の家に再嫁となったとのことですが、祖母と曽祖母との往来はあったとのこと。

 曽祖母の生家、その存在は何かで聞かされてはいたと記憶はあるが、私との交流は皆無、向こうも我家のことは知らないはず、まさに遠戚とはこのことか、ましてや100年の時が経過、しかし考えてみると父親にとっては祖母の生家ということで、故人からしてみれば当然ながら私よりは近い存在でもあろうということで納得したしだいでした。

 今回は、嫁様の祖母の法要、祖母の実家や兄弟姉妹(実際はその子達)が来られておりましたが、これもひとつの絆、人と人を結び、家と家を結ぶ絆、そして縁ということになりますね。

 「絆」という字は「糸」を「半」分と書きますが、人は糸の半分を持ち、誰かがその半分を持っていると解釈もできます。

 沢山の半分の糸、かなりの数の糸を持っているということですが、中には遠くまで延びた細い糸、たぐり寄せたら途中から切れていた糸、切れそうで切れない細い糸ながら辿って行ったら全く見ず知らずの家だったり、その人の姿がハッキリみえる短い糸にしっかりとした太い糸、様々あると思いますが、まさに親戚というものは絆の文字に当てはまる存在だと認識したのが今回の法要でした。

 年数の経過で絆が切れて行くかもしれないし、逆に新たな婚姻で絆が生まれ、さらに深まる・・・この繰り返しなのかもしれませんが、自分の代、或いは子の代、絆や縁がつながっている間はそれなりに大事にしたい、そう考えております。

 まっ、先祖を遡ると親戚だらけになってしまいますから・・・・・・ある程度で収めなければなりませんね・・・。

 

 

立春の朝

この日も氷点下13度の世界。

 

ここ数日は寒さも緩むとか?

コメント (8)
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