遠野市宮守町達曽部にある達曽部八幡社の例大祭に出かけて参りました。
例大祭日は9/15であろうと思ってましたが今年は9/7との情報を入手、民俗郷土芸能班長の笛吹さん曰く遠野では、なかなかみられない郷土芸能がいくつか出るとの内容と共に宮守町は任地でもあるので、何もなければ個人的にも顔を出してみたいし、もちろん郷土芸能を楽しみつつ撮ってもみたいということで、初めて出かけてみたところです。
達曽部舘跡の山野
八幡社と山野続きは古の城館跡、達曽部舘となっている。
何度か城館跡探訪に来たことがあるので八幡社の存在も知ってはいましたが、八幡社に関しては創建が慶長13年(1608)、江戸初期らしい・・・
当然、隣接の山野には達曽部氏の舘跡があるので、達曽部氏によって建立と思うも、詳しくは調べてないので不明というところ・・・
ちなみに達曽部氏は本姓を多田氏と伝えられ、現在は達曽部の宿(しゅく)、赤坂、舘さらに米田、湯屋は多田姓の方々が多い地域でもある。
中世の頃の達曽部は遠野郷の内と思いきや資料等によれば紫波郡の斯波氏の影響下にあったことが垣間見られますが後の江戸時代でも遠野南部家領ではなく盛岡南部家直轄(南部藩)の大迫通りに組み入れられ代官支配でもありました。
さて、お祭りですが・・・
境内から御神輿や郷土芸能団体が出発して、宿の通りを北方向に進み、町はずれまで・・・
そこから通りを戻り南方向に進み郵便局辺りまで行ってUターン・・・
宿の街並
かつては遠野と盛岡間の街道の宿場町
国道のバイパスができる前は、商店の他に旅館もあって、けっこう賑やかな通りでもあったと記憶している。
Uターンした御一行は・・・
宿の中央付近にある鳥居をくぐって境内へと向かいます。
趣のある里道というか参道を歩いて来ます・・・
小学校体育館裏の山野に至るルートとなりますが、境内までは真っ直ぐ伸びる石段が控えており、まさしく心臓破りの石段という感じですね・・・。
その石段を御神輿は弾みをつけて一気に登り切ります。
前を歩いている人達は急かされます・・・(-_-;)
御神輿の担ぎ徒ばかりではなく、他の方々も息を切らして大汗となります。
達曽部八幡社
かなり立派というか大きめの拝殿と広い境内が目に飛び込んでくる・・・。
旧宮守村地域では、一番広く大きい神社という印象がします。
御一行は拝殿を3周するんですが・・・
まずは一息を入れてから・・・
時計回りに3周すると拝殿では神事、郷土芸能団体はそれぞれ奉納となります。
達曽部 舘、赤坂太神楽
神社のある地元の団体となりますが、吾輩は初めて観ました。
達曽部 米田太神楽
こちらは8月13日にめがね橋前でのイベントで初めて拝見しております。
陽もだいぶ傾きかけていて画像に明暗がありますが、ご容赦を・・・
達曽部 湯屋神楽
行山流 達曽部 湧水鹿踊
湧水神楽も参加してましたが、今回は鹿踊メインのようです。
(神楽と鹿踊は同メンバー・・・掛け持ち)
お昼前、早目に出かけましたが緊急事態が発生して一時、場を離れることに・・・
よって、あまり郷土芸能団体については撮っていません・・・
(-_-;)
宮守町もけっこう色んな郷土芸能が伝承されているという雰囲気、しかもほとんど外部に知られていない郷土芸能もあるとかで、これは記録として残す意味合いと伝承への応援も含みながら皆さんにご紹介したいですね。
いずれ地域密着型、鎮守の森の秋のお祭りという雰囲気抜群のお祭りを堪能いたしました。
これこそ日本のふるさとのお祭り、かつて各地で行われていたお祭りそのもの・・・
という感じがいたしました。
座敷童子?も、祭りに・・・笑