雲海シーズンもラストに近づいてますが、濃霧の朝を勤務地で迎え、帰宅の際は盆地が濃霧にスッポリ覆われる光景の中を帰って来る・・・。
完全雲海出現の朝だったのだろうと少しばかり悔しい・・・汗
雲海ポイントには標高が低すぎますが、夜景撮りはよさそうな雰囲気・・・でも八幡山が立ちはだかり、街の灯りは少ないかも・・・?
林道・海上~西内線より・・・
本日も良いお天気・・・・・
そんな中・・・
遠野ぶれんど仲間で歴史民俗班メンバーであるaboutさんが夏頃から土淵町栃内の「地獄山」探しに取り組んでいるという情報を入手、なんでも「山崎の金勢様」背後の山を越えた松崎町駒木、妻の神にかかる辺りか?とのことで、小生も地元、駒木妻の神の地獄山探訪は予てから懸案事項のひとつでしたので、この探訪に便乗させていただくことになり、この度、久しぶりに中年探検隊を結成して、地獄山探しを敢行いたしました。
松崎町海上と土淵町西内を結ぶ林道に入って、土淵町栃内、山崎の金勢様が山下に位置すると思われる箇所で、aboutさんが何度か現地調査され、なんとか侵入路を見つけ出したとされる場所より山野侵入となりました。
かつての林業関連の道跡が鹿等の獣道と化した雰囲気・・・。
それとaboutさんが刈り払い鎌で以前にある程度の障害を排除していたらしい・・・謝
aboutさん
最初の沢から北側に直線距離約8百メートルで次の沢に到達できるらしいが、最初に見えたピークに上るも、既に自分達の位置がどうも掴めない・・・大汗
尾根伝いに国土調査等で近年に歩いたと思われる道があったので、その道の通りに尾根伝いに北東側と思われる方向にしばらく進む・・・。
かなり進んで来た雰囲気、何本かの尾根を息を切らして上ると、向かいの至近に耳切山がみえる。
耳切牧道沿いの大沢不動より荒川高原側へ少し進んだ場所で、私は其処で眼下の駒木~遠野市街地の写真を撮る場所辺りと思われる。
そうしますと、現在地は妻の神の奥地で、土淵町西内へ至る西内峠近辺にいることになる・・・。
地獄山発見の期待が大いに高まる雰囲気・・・。
[妻の神地獄山]
地獄山というと何処かおどろおどろしい響きですが、まさしくその通り、遠野でいう地獄山は、賽ノ河原や塚をもった不思議な光景で、霊的雰囲気を漂わす場所でもある。
地元民俗郷土史冊子には・・・
「駒木の地域では、この地を地獄山という。共同採草の時代、昭和12年~30年代は一帯が草山で毎年火入れが行われ、この場所だけは大切に保存されていたので遠くからでも松の大木がハッキリと確認でき、場所を印していたものだった。
駒木の妻の神から土淵西内に通じる峠を西内峠というが峠より峰を南に30m程のところに小石の盛地、賽ノ河原が小高く積まれ、所々に石碑が立っている・・・・中世の頃、阿曽沼時代から大槌等の海岸へ通じる道でもあったという・・・略」・・・・参考 「まつざき歴史がたり」
また・・・
「駒木の奥、土淵西内に越える小路より東南に走る峰の上にある。
十余本生えていた松の木の根元に直径3.6メートル、短径1.8メートルの楕円形の塚があって、その前方には石を積み重ね一字一石がその間を埋めて、塚内にも堆積している。愛児を失った人々は、その冥福を祈るため、塔婆と草履をあげて拝むのであった。
松の木に耳を寄せると小児の声が聞こえると言う伝説も語られる場所でもある・・・」・・・・参考 20世紀までの歩み「駒木」
地獄山と称される場所は遠野市内に複数存在している。
幼くして亡くなった子供の冥福を祈るため、小石を積み重ねて賽ノ河原がつくられ、古道近くに形成される場合が多い。(早池峰山や六角牛山の高山にある場合もある)
さらに古道を通る人々が賽銭代わりに小石を積み上げて行くこともあったと語られる。
私の少年時代、妻の神の耳切牧道が作られる以前、集落奥の最後のお宅から約数百メートルの場所に数本の松の古木が存在していた。
その松木が古の西内峠へ通じる古道であったはずで、古老達の話では昭和30年代までは、当時の川井小国村(現宮古市)や大槌へ行く際の主要な道だったといわれている。
その後、牧道整備の際に松木は切り倒され、原野だった周囲も植林等がされ、雑木や杉の林となって、古道を通る人も無くなり、その存在を語れるのは私の親父の年代以上の方々となってしまい、その記憶もハッキリとした場所を示す程ではない。
昭和50年代、地獄山近くで杉木の伐採作業に従事した地元の方が何十年ぶりに地獄山の賽ノ河原をみたと言っていたが、それでも既に30年近くは経過している。
いずれ、今は林の中となってその場所も判らないと云われている。
さて、中年探検隊は、位置的に妻の神の最深部、至近に耳切山、直前に越えた尾根は地元で「太郎沢(たらじゃ)」と呼ばれる山で、福泉寺がある山の続きで耳切山と太郎沢山の間の峰に私はいることになる。
しかし、かつての妻の神の古道跡がわからない・・・?
ただし、山仕事等の木出しの為の道跡があるので、駒木側から続いている雰囲気で否応なく期待感は高まる・・・。
途中でaboutさんとはぐれてしまうが、結局、耳切牧道の牧野に出たという
途中にあった標柱跡?
そして・・・
最近のモノではないですが・・・汗
耳切山、太郎沢~高楢山は遠野市内屈指の熊生息地帯ですが、熊は御免ですが日本鹿、野鳥にいたる生き物達と一度も遭遇しない探訪でもありました。
やはり、地獄山と称される何かあるのだろうか?
aboutさんと携帯電話で連絡を取り合いながら合流、松の木の林は数多くみましたが、今回は残念ながら地獄山は発見に至らずというところでした。
かなり残念でしたが、事前の情報力不足や収集不足、古地図なんかも駆使しての下調べも不十分というところでした。
しかし、再挑戦のつもりですし、次は西内側からアタックした方が入り易いものか?それとも駒木側の古道跡を探して辿る探訪か?とにかく期待が高まる地獄山探しとなりそうです。
貞任高原の地獄山(賽ノ河原)
そして本来は、こんな感じのイメージが・・・
福泉寺の賽ノ河原
民俗調査だと思うと山歩きも苦痛にならないと思います。
「地獄山」もそうですが、「耳切山」という地名も興味をそそります。
是非、地獄山の調査のほう、続行してください。
地元の民俗的な事柄、この分野も少しは調べてはいるのですが、どれも続かず・・・といいますか、場所に辿りつけなかったり、かつての場所と称されるのみで、資料もなく口伝のみ・・・しかし地獄山に関しては、絶対にその跡はのこされているはずで、なんとしても発見してみたいと思っております。いずれ今年は今後どうなるかわかりませんが、遅くても来年の今時期には準備を怠りなく再挑戦のつもりです。
それとこれからの城館跡探訪の足慣らしも完了というところで、こちらも準備万端です。
昨日はお疲れさまでした。
土渕側から尾根を越え、比較的平坦な辺りがポイントのようですね。妻ノ神側の登り口が確実にわかれば場所の特定が早い感じがします。暇をみて登り口を探してみようと思っています。
ちなみに、親父に経緯を話してみたところ、「もうわがんねんだ」とあっさり切られてしまいましたorz
それだからこそ探すのにハマってしまうのだと思いますw
とりあえずはご苦労様でありました!
だったら~私も行きたぁぃぃぃぃぃ
貞任高原
あるある探検隊
(な~んて・・・
ついて行ったら、絶対、途中でゼィゼィ言い出し・・・(爆)
足手まといで・・そのまま放置されるんだろうなぁ。
なんかこわそうですが・・。
貞任高原って・・こういう場所多いんですか
耳切山って名前のとこも貞任高原なんですか
この度は色々とお世話になりました。
結果としては次回へ持ち越しというところですが、案外近くといいますか距離的に栃内と妻の神が至近であったこと、妻の神の山奥も堪能できたこと含みで、良い経験でもあったと思ってます。
次回は古老達の記憶もさらに聴取したりして駒木側からの突入で一気に解決できれば思うところです。
無くなっているものではなく、その痕跡は必ず残されていると確信しております。
まずはこの度はありがとうございました。
今回添付の貞任高原の賽ノ河原画像はイメージということで添付したもので、私が探訪した場所とは違います。
貞任高原は広い牧場といいますか牧草が整備された高原で、風力発電のとんでもない大きな風車が20数基立っておりますので、遠くからでもよく見えます。
昔は大槌は釜石といった沿岸への古道があって、内陸と沿岸の交通の要衝で人々の往来がけっこうあった場所柄です。
今も和山、新山という峠道を使って貞任高原に出、遠野~大槌、釜石という主要幹線ではないですが、車の往来もあります。(冬は通行止め)
耳切山と貞任高原は直線ならモノすごく近く見えますが車でも30分はかかりますね・・・汗
まさしく地獄山は恐山のミニ版のようなところです。
地域で語られるその場所探しという内容ですが、なかなか見つけられず難儀という場面ですが、その近くまで行ったということで次回はさらなる進展がありそうな予感がします。
松茸・・・無いことはないと思いますが、私は採ったことがないのでわかりませんね・・・汗
就職決まりました
来年からも岩手にいるのでよろしくです
ご無沙汰でした。
岩手での就職が決まったご様子、おめでとうございます。
岩手の未来はよろしくお願いします・・・頼むぞ・・・笑