当ブログは、かつては遠野話題のみならず遠野の郷土史や民俗的な内容をメインとしてはじめられた経緯がありましたが、年月とともに内容も変化しております。
郷土史分野での懸案のひとつ、遠野の菊池姓の謎解きも何度か簡略ではありますが掲載したこともありましたが、さらにもう一歩踏み込んで見解を示してみたい、そんな思いでもあります。
今後、何度かに分けてその謎に挑むわけですが、従来の方法、すなわち遠野の菊池氏関連での歴史の古い方(歴史の古い方から時代を下る)からの調べではなく、現代に近い時代から徐々に遡っていく方式で調べを進めて参りたいと考えているところです。
むろん、こちらでの紹介も時代の新しいものから順序よく掲載していきたいと思います。
菊池氏に関する資料、書籍等も今一度精査しましてご紹介したいと思います。
ただし、定期にてのこのカテゴリー更新はお約束できない可能性も・・・(;´Д`)
小生の気分とか調べの進み具合に応じてということで、よろしくお願いします。
第1回目としましては・・・
「遠野士族名簿から探る」と題して、忘れない頃に掲載予定といたします。
近い方からさかのぼって行くというのは、先祖探しでは一番オーソドックスな方法ですね。
一歩一歩昔へ進んで行く様子を楽しみにしています。
皆さんに期待されるほどの内容には、ならないと思いますが徐々にというか小出しにやっていきたいと思います。
まさしくルーツ探究の基本に還ってという手法で、のんびりとやっていきたいと思います。
菊池ネタ
毎度有難う御座います。
先の熊本訪問の際は拝見させて頂いただけでコメントは・・・
でしたが、
家紋
並びと互い
個人的に調べてみても
「分からん」と結論付けていますが、
「見栄」で使っている可能性が有るので何とも判断付かず<笑
先日、むつ市の方に伺ってきましたが、
実は、そこそこ「菊池」姓が居る事
最終的には斗南藩ですが、田名部まつりに参加されている方が着ている半被は向い鶴だったりとか、
聞いた話では、
文化は南部
押しは斗南=会津
各所で行われているお祭りは祇園系なので、
機会があればその辺の所を聞いてきたいと思います。
青森の菊池、ことに下北半島付近の菊池氏は歴史が古い雰囲気がします。
家紋について並び鷹に関しては見栄が介在している感じがしないでもないですね。
それと下北辺りはかつては南部藩ですがそれ以前は八戸氏すなわち根城南部氏の領域でした。
南部と会津の混在、興味が沸き上がりますね。
是非にお話しの結果をお知らせ願います。
今年54歳になりますが、2歳ころまで平倉におりました。
中学生の頃、親戚の葬儀で帰省した際に「先祖は早くに没落した橘家であったが、いずれかの時に一族が菊池姓に変わった」と聞きました。
本家には橘からの系図もあるように聞いた記憶もあります。
今後の更新を楽しみにお待ちいたします。
はじめまして。
そうですか上郷平倉に所縁があるということですね。
歳はほぼ私と同年代となりますね、それと橘姓に関わりあるとか?遠野南部家家臣にも橘家がありますが遠祖は八戸から来たかもしれませんし夢が膨らむ思いでもあります。
菊池姓調べ、当初の意気込みとは違って、なかなか更新もままならずですが、気長にお持ちください。3年も5年もお待たせはいたしませんから・・・(-_-;)
コメントありがとうございました。
今後ともよろしくお願いします。