紫波町に用向きがあって出かけておりましたが、そのついでといいますか、2時間程早く自宅を出発して、気になっていた城館跡を探訪いたしました。
大迫城跡
花巻市大迫町内川目
遠野の城館跡探訪、秋・冬編に突入しておりますが、用向きついでに何処か探訪できないものか、と少し悩みましたが、遠野市外の市や郡(旧郡)等で、その地域を代表する城館跡ということで、紫波への道すがらということ、旧稗貫郡を代表する城館跡ということで大迫城を選択いたしました。
以前、ネット仲間の八戸の藤九郎さんが探訪した経験があって、その攻城の模様をお聞きしたことがありましたが、かなりきつい山城との印象、直前まで実は悩みながら車を走らせておりましたが、覚悟を決めて大迫バイパスから早池峰方向へ右折、間もなく目印の桂林寺に到着、勝手ながらお寺さんの駐車場に駐車させていただき、城跡の山野に分け入りました。
さて、何処から登ろうかと思いつつも民家等が数件ある沢沿いの道をテクテクと歩いていると山野へつながる林道を発見、そのまま谷沿いをまたもやテクテクと歩く・・・。
城跡は右手の隣接山野らしい・・・しかし、道沿いに徐々に登って行く・・・途中、林道が少し下るところがあって、その場所には隣接山野からの尾根があって、その尾根を少しずつ進む・・・。
間もなく空堀跡を発見、斜面には大きめの帯郭と思われる平場があって、その上はどうやら山頂らしい・・・。
案外楽に辿りついた雰囲気・・・汗・・・搦手側から登城したような・・・笑・・・間もなく本丸の背後、東端の堀切にたどり着く。
遠野の標準的な館跡の堀切と遜色はない、むしろ小さい。
どうやら二重の堀切、内側は幅狭な土橋があって、わたると若干な段差を越えるとそこは主郭、本丸と思しき大きめの平場がありました。
北側の帯郭
堀切跡
本丸は案外広く、しかもその本丸から覗いた北側や南側斜面に張り付いた階段状の平場は案外大きくて、幅も広かった。
遠野の比較的大きな館跡とは比べものにならない帯郭だっ、これより大きいのは遠野では鍋倉城か鱒沢館くらいか?切岸も高く見事といっとところ・・・。
ただ南側は藪が多くてその遺構の確認は難しい、写真もなかなか上手く撮れなかった。
西側は杉林となっておりこちらも規則正しい階段状の平場が数段展開されておりましたが、中腹に社が祀られておりました。
探訪を終えて桂林寺駐車場設置の説明板には稲荷社とあった。
山頂本丸跡
中腹の稲荷社
約1時間強の探訪でしたが、細かくは見ておりません。
それでも、稗貫一族大迫氏の往時の姿を想像するには、なかなかの城跡でもありました。
大迫城跡に関しては、別家ブログ「遠野中世城館録」で少し詳しく掲載予定です。
○大迫城主・大迫氏
大迫氏は稗貫氏の一族で亀ヶ森以外の大迫全域を分知され、稗貫領の北東部分を治めた比較的大きな勢力だったといわれる。
歴代に関しては調べておりませんので、なんともいえませんが、遠野との関係を伝承により紐解けば、綾織谷地館の宇夫方氏が宝徳年間に葛西勢を率いた金成右京大夫政実に攻められた際は、隣接の達曽部氏と共に大迫掃部が宇夫方氏援軍として参戦し、葛西勢を敗退させたと伝えられる。
いずれ他領である稗貫郡からの援兵、宇夫方氏というより達曽部氏と何かしら盟約なり誼を通じる何かがあったものと推察されますが、詳細等は不明です。
天正19年(1591)大迫城主、大迫右近の時、主家である稗貫氏が奥州仕置きで改易となると、大迫氏も没落するも九戸一揆(九戸政実の乱)に加担して抵抗、間もなく大迫右近は子の又三郎、又右衛門を連れて江刺郡人首に逃れ、彼の地で大迫右近は死去する。
時は過ぎ、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの余波は奥州にも戦乱を招き、旧和賀氏、稗貫氏の遺臣達が蜂起する。
蜂起軍は伊達政宗の物理的支援を受け、南部領となった旧領地に攻め込んだ。
この時、大迫兄弟は伊達政宗からの後援を得て一族旧臣約3百の兵を以て大迫城を攻撃し、これを落城させ宿願が果たされたかのようにみえたが、南部利直の反撃で大迫城は再び南部勢の手に落ち、和賀氏旧臣達が籠る和賀岩崎城(北上市)の戦いで大迫又三郎は討死、弟又右衛門は捕えられて盛岡で処刑されたと伝えられる。
なお、大迫兄弟の叔父で大迫右近の弟、十郎兵衛の系統は南部氏に仕えとされる。
寶鏡山桂林寺(曹洞宗)
大迫右近によって永禄年間(1578-80)開基と伝えられる。
大迫氏の菩提寺であり右近の墓地と位牌があるという。
おまけ・・・
久しぶりに温泉・・・汗
用向きの前に山野徘徊での汚れをサッパリと洗い流し、着替えもして・・・。
野暮用の後はちょっと遅い昼食
久しぶりに・・・・
今月26日から、またもや例の冷麺祭りとか・・・汗
今回もいくぞぉ~・・・・おっぉ~・・・
初めて知りました・・汗
無知?勉強不足な自分が恥ずかしいなぁ~。
とらねこさん!凄いです。遠野だけじゃなく、歴史詳しい、尊敬します。
こ~やってここで、お勉強させて頂きます。
いつまで覚えてて?いつまで頭に入ってるかは・・自信ありませんが。
無理しなくてもよろしいですよ。
人はそれぞれで好きな分野等も違いがありますから・・・興味がないものはスルーしても良いと思います。
でもいつか和賀氏関連の記事なんかもご紹介してみたいと思いますので、その際は地元の歴史としてご覧いただけたらと思います。
いずれ和賀関連もアップされるということで、楽しみにしていますよ。
確かに館跡探訪に身体も慣れたといいますか、山登り等のコツみたいなものがわかってきたからだと思います。
また遺構等がある場所も大体地形等をみればわかるようになっておりますから、場数を踏むというのも為になっていると思います。
和賀関連、今期は難しそうですが、来春辺りから遠野と境を接するところとか、和賀氏の代表的な館跡を少しですが探訪したいと目論んでおります。
久々の攻城だったのではないでしょうか。
でも普段、鍛えているでしょうから…たいしたこと無かったですか。
あっというまに雪が降っちゃいましたね、足場が悪くて、二の足を踏んでしまいます。
大迫館跡、いいですね、桂林寺というお寺さんの裏手の山ですか?
確か、岳早池峰神社に行く途中の道、右手に入り口があるお寺さんですよね。
こんばんは。
今シーズンの館跡探訪を開始しておりますが、大迫館と3箇所目となっております。
ブックマークにリンクの遠野中世城館録というブログにはこれまだ探訪した館跡を随時追加しておりますので、良かったらご覧ください。
大迫城は桂林寺の南西隣接山野です。
お寺さんの駐車場に縄張図付きの案内板がございますのでご参考としてください。
はじめまして・・・。
完全な山城で、木々が多く、しかも藪も多くて夏の山城探訪は厳しいと思います。
まずは麓のお寺さんの案内板をみただけにしたら・・・と思います。
突入の場合は服装も長袖とか帽子とか、それなりの軽装備が必要だと思います。
いずれ気をつけて探訪してください。
有意義な岩手での一週間をお過ごししたようですね。
大迫城跡は残念でしたが、寒い季節なら積雪以外でしたら、案外簡単に制覇できると思いますので、次の機会に期待ということですね・・・。
また、遠野ジンギスカン・・・高かったですか?遠野のスーパーでジンギスカンを安く販売してますので、次回のお試しください・・・。
また大迫の方が打倒遠野とは?遠野としては打倒される何かが有るわけでもないですがね・・・笑・・・観光も含む地域活性化の取り組みとかですかね?まっ、目標とされるのは光栄だと思いますし、負けていられないという奮起の材料にもなりますから、何が何だかわかりませんが、望むところです・・・と言っておきます・・・笑。
遠野の城館跡探訪の計画がありましたら、ご一報ください。
出来る範囲でご案内或いは情報提供いたしたいと思います。