Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

傘の思い出

2018-01-11 15:18:41 | 日記

 今や私は引き戸のガラスに額をくっつけるようにして、しげしげと花の色合いを確かめていました。お店の中にポンポンと咲いている華やかな傘をあれこれと称賛していました。あれは如何これは如何、これは好みの色合いだ等。そしてよく見てみるとこれはどうもと、不満点に至るまで列挙する程の打ち込みようでした。この時の私は、店の前に立つ一端の傘の批評家と化していました。

 私はこうやって一通り鑑賞すると、最終的にやはりこれが1番ね、いやあっちかな、と、最初に気に入った赤と桃色の傘2つへと目が戻って来ました。にこやかに両者を見比べてみます。桃色は可愛いらしく愛らしくまた美しい。赤い色は流石に艶やかで美しく正に美その物だと。雨の事など忘れ、絵画を鑑賞するような気分で傘に施された絵その物を愛でるのでした。

 『今の私が買うとしたらこのどちらかね。』

結局、両者は私の中では甲乙全くつけがたく、何方か一方を選択する事が私には出来ないのでした。そこで『お店の人に決めてもらえばいいわね。』と思い、私は手持ちの金額で値段が折り合えば買おうと、傘を購入する決心をしたのです。

 さあて、この段階での私は、お店の人に相談してどちらが良いか決めてもらおうという心境にまでなってしまいました。人の購買欲というのは不思議な物です。私は既に客であり、このお店の人の審美眼という物にある程度の信頼を置いているのです。私の中での当初感じたあからさまなお店の商魂は何処へやら。決して人の思惑には乗るまいと思っていた反骨精神のような物も既に無く、自身で自分が可笑しいと思いながら、私はガラガラと玄関戸を開けてお店の中へと入って行きました。


傘の思い出

2018-01-11 10:37:07 | 日記

 そこで私は傘に背を向けて、お店に背を向けて、またアーケードの元の位置に戻ると空を見上げました。もう少しで止むと思うんだけどなぁと、殺風景な風景を眺めました。愛想無い景色を背景に雨はまだ暫く続きそうです。そこで所在無さに、雨の粒が線を引いて広い空間を落ちていく様を眺めてみました。

 『楽しくないわ。』と思います。何もない空間を経過して行く雨粒は素敵なのに、背景に何かある宙を落ちる雨粒を見詰める事は詰まらないわ、と思います。雨の鑑賞はやはり見る場所によるのだと再認識したのでした。そう思うと、無意識に私の意識はやはりあの有色を持つ傘に向くのでした。

 私が眺めていた景色は商業ビルが1つ2つ色合いを発しているだけ、目に映るのはほぼ無彩色の光景だったのです。そこで私は自身の嗜好に、多分一般的な人もそうなのだわと気付くと、本当にこのお店の人って的を射た事をしているんだわ、と感嘆しました。ハーッと、肩を落として、敗北感に似た脱力感でした。流石に此処は都心の一角なのだと感ずるものがありました。

 当時の私は唯でさえ湿っぽくなりがちな頃でした。それで何時も明るい物や楽しい物に目を向ける事で自分を鼓舞していました。その為この時も、『予想外の雨に降られて此処でこう沈んでいるより、ぱぁっと明るく、いっそ後ろのお店の人の思惑に乗ってしまい、気に入った傘の1つも買ってしまおうかしら。』、そんな考えが胸の内に閃いて来ました。

 『無駄遣い。』そんな言葉も脳裏に点滅していました。が、私はちらっと後ろの傘を見ました。そして意を決して振り向き、お店のガラス戸に近付いて行きました。まぁ、見ているだけなら…。戸の外で鑑賞しているだけなら…。見るだけなら只よね。こんなに奇麗な色々は無いのだから。断片的に私はそう思いました。此処に開いた傘達は、私がかつて見たことの無い(買った事が無い)様な花模様、色合いをしているのです。物珍しく、そして地方から出て来てそう間も無い私にとっては、やはり「素敵」の一言なのでした。

 ここで突然ですが、気が付いたので訂正します。この通りは杉並駅の近隣ではなく、練馬駅の近隣です。私は当時上石神井に住んでおり、練馬区と杉並区の狭間と言えるような場所にいました。それで杉並の地名もとても印象が強いのです。上石神井は当然練馬区です。この日私は区役所に用がありました。その途中での出来事なのです。