Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

傘の思い出2

2018-01-27 13:01:19 | 日記

 この様に、友情に男女交際が水を差して来る事はよくある事なのでしょう。人間として未熟な思春期なら尚更なのでしょう。世の中両性があるのですから仕様が無いのかもしれません。女同士の友情に限らず、男性側でも同じ事態に陥っているのかもしれません。そしてこの時に友情が壊れてしまうケースも多々あるのだろうと想像できます。

 よく昔聞いた言葉に「こしかけ」というのが有ります。女性が就職してから結婚して退職するまで、企業に在籍している期間が短い事からこう言ったものです。結婚相手を見つけるまでの一寸した時間つぶし、人生の次へのステップの繋ぎの場、休憩場、腰掛けている程度の仕事ぶりや短い在籍期間を差して言ったらしい言葉でしたが、的を得た言葉でした。所謂無責任で根付かない状態です。

 この言葉は一寸した友人にも当てはまる気がします。腰掛程度の友人・友情、彼ができるまでの繋ぎ程度の友人というのが案外多いのだろうという気がします。過去を振り返ると、社会に出てからはそれが普通なのかもしれないとさえ感じます。それでも、どちらかというと私は友情について真摯に考える性質でした。頼まれて彼女達の恋の手助けをした時期もありました。この件については感慨深く、様々に思うところがあります。また、私が経験した感情もよくある一般的な事だと思えます。

 つまり、友人の話を聞く内に自分もその話の相手が素敵に見えてくるという現象です。同じ人を好きになるというのもままある出来事だと思えます。そう思うと、如何に友人と雖も真っ正直に何でも話してはいけないという彼女達の態度も頷ける物はあります。それでも相談された場合、私にも実際に幾つか依頼された経験がありましたが、電話掛けしたり、身元調査して情報提供したり、果ては引き合わせる手配までするという労を執った物です。これも友達の為と、頼まれるままに引き受けたり、気を回して行動したりもしたものです。しかし、この点今落ち着いて考えてみると、私自身、彼女達への真摯な友情というより、焦燥する彼女達の言動に対して、傍観者としての好奇心の方が遥かに勝っていたのは確かだと思えます。

 なるほど、私自身にとっても彼女達との友情は案外気楽な友情であったのだなと、今書いていて合点してしまいました。そして、そんな中でも私は彼女達が口にする「友達」を男友達、彼氏だとは思わなかったのです、不思議な物です。

 多分、皆の右往左往する波を受け、訳も分からず傍観するという立場に押しやられてしまい、私が何かしらのはっきりとした不満を彼女達に持ったからでしょう。彼女達から友達としての価値を感じられていない自分自身という者、そんな周りの友達への私の失望感が当時の友人や彼女達への友情を徐々に希薄なものにして行ったと考えられます。

   ある意味、私とは別に新たな友人を作った彼女達の事なんてどうでもいいじゃないか、一応頼まれたからそれなりに対処はしたと、私も腰掛程度の友人としての取り持ち方をしていたのでした。時に私は苛立たしく思い、

「新しいお友達に取り持ってもらったら。」

とはっきり彼女達に言ったものでした。思うと可笑しいですね。笑います。お互い様だったようです。


傘の思い出2

2018-01-27 12:35:01 | 日記

 それはある日の事でした。商店街のお店で友人達からそのお店のお嬢さんを友達にと紹介されました。

「私達はこれ以上何時までも彼女に構っていられないから、お願いね。」

という事でした。彼女達は去り、そのまま私だけ商店に置いて行かれた事があります。私はこの友人達の言葉の中にあった「彼女」が、商店の同学年の女子の事なのか私自身の事なのか判断が付かず迷ったのですが、商店での出来事だけに商品の購入をお願いされたのだと判断しました。この当時商品の購入をするなら母に任せるに限りました。商店での商品の購入を母に依頼して私は一安心していました。友人達からの頼みもこれで果たせたと考えていたのです。私の判断した通り商品の購入の依頼だったのか、彼氏のいない者同士が押し付け合われたのか、今でも何が如何なっていたのかは不明です。

 結局、当時の出来事は一過性の現象であった様です。程無くして彼女達は皆夢から覚めたような状態になり、私にも落ち着いた日常生活が戻って来ました。それと同時に私の登下校の顔ぶれもいつも通りになりました。当時何人に彼が出来たのか、その後どうなったのか全く知りようもありませんが、友人達の男女交際が日常飯事の事にでもなったのかもしれません。それが思ったより良いものでは無かったのか、慣れてしまい生活にゆとりが出来たのか、潮が引いた様に彼女達から何かしらの焦燥感というものは全く感じられ無くなりました。そしてこの時迄浮いていた私はまた元の彼女達の流れの中に溶け込んだ形になりました。思えばこういった思春期の前後の渦巻く荒波?の中で、日常に何の変化も無いこの時期の私だったのでした。可笑しいでしょうね。

 異性について、社会人になるまで私には焦る気持ちが湧いてこず全く成り行き任せでした。嫌なものは嫌、男女交際は自然であればよいという考えでした。どちらかというと、嫌な物は嫌が好きな物は好きに勝っていたこの時期というべきでしょう。

  当時も感じましたが、この時期は誰か音頭を取る人がいて、皆が踊らされていたのではないかと感じます。よく言われるマスメディア、周囲の何らかの環境が影響を及ぼしていたのでしょう。返って私が影響を受けなかったのは不思議な事かもしれません。唯、私も職員室で先生に2、3の男子生徒の名前を挙げられ、彼等をどう思うかと打診されたらしい経験はあります。この時私はそれを同級生の目からみた生徒間の素行話の調査だと思いました。指導関係の参考に質問されたのだと思っていたのです。この件に関しても、未だに実際はどうだったのかさっぱり分かりません。でも、私達はこんな事もしているから、と先生に言われた覚えは確かにありますね。可なり後になって、もしかしたらと思い当たったものです、時既に遅しですね、それは確かに過ぎ去った過去の出来事です。