この様に、友情に男女交際が水を差して来る事はよくある事なのでしょう。人間として未熟な思春期なら尚更なのでしょう。世の中両性があるのですから仕様が無いのかもしれません。女同士の友情に限らず、男性側でも同じ事態に陥っているのかもしれません。そしてこの時に友情が壊れてしまうケースも多々あるのだろうと想像できます。
よく昔聞いた言葉に「こしかけ」というのが有ります。女性が就職してから結婚して退職するまで、企業に在籍している期間が短い事からこう言ったものです。結婚相手を見つけるまでの一寸した時間つぶし、人生の次へのステップの繋ぎの場、休憩場、腰掛けている程度の仕事ぶりや短い在籍期間を差して言ったらしい言葉でしたが、的を得た言葉でした。所謂無責任で根付かない状態です。
この言葉は一寸した友人にも当てはまる気がします。腰掛程度の友人・友情、彼ができるまでの繋ぎ程度の友人というのが案外多いのだろうという気がします。過去を振り返ると、社会に出てからはそれが普通なのかもしれないとさえ感じます。それでも、どちらかというと私は友情について真摯に考える性質でした。頼まれて彼女達の恋の手助けをした時期もありました。この件については感慨深く、様々に思うところがあります。また、私が経験した感情もよくある一般的な事だと思えます。
つまり、友人の話を聞く内に自分もその話の相手が素敵に見えてくるという現象です。同じ人を好きになるというのもままある出来事だと思えます。そう思うと、如何に友人と雖も真っ正直に何でも話してはいけないという彼女達の態度も頷ける物はあります。それでも相談された場合、私にも実際に幾つか依頼された経験がありましたが、電話掛けしたり、身元調査して情報提供したり、果ては引き合わせる手配までするという労を執った物です。これも友達の為と、頼まれるままに引き受けたり、気を回して行動したりもしたものです。しかし、この点今落ち着いて考えてみると、私自身、彼女達への真摯な友情というより、焦燥する彼女達の言動に対して、傍観者としての好奇心の方が遥かに勝っていたのは確かだと思えます。
なるほど、私自身にとっても彼女達との友情は案外気楽な友情であったのだなと、今書いていて合点してしまいました。そして、そんな中でも私は彼女達が口にする「友達」を男友達、彼氏だとは思わなかったのです、不思議な物です。
多分、皆の右往左往する波を受け、訳も分からず傍観するという立場に押しやられてしまい、私が何かしらのはっきりとした不満を彼女達に持ったからでしょう。彼女達から友達としての価値を感じられていない自分自身という者、そんな周りの友達への私の失望感が当時の友人や彼女達への友情を徐々に希薄なものにして行ったと考えられます。
ある意味、私とは別に新たな友人を作った彼女達の事なんてどうでもいいじゃないか、一応頼まれたからそれなりに対処はしたと、私も腰掛程度の友人としての取り持ち方をしていたのでした。時に私は苛立たしく思い、
「新しいお友達に取り持ってもらったら。」
とはっきり彼女達に言ったものでした。思うと可笑しいですね。笑います。お互い様だったようです。