Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

傘の思い出2

2018-01-16 19:54:49 | 日記

 結局、友人達は家庭が大事なのだから、夫なり彼氏なりの方が優先であり、女友達の私はそう重要な存在では無い、または無くなるくなるだろう、と、自らの内で彼女達との現在や将来の関係を見越していました。

 また、私は男友達を作ろうとは思いませんでした。男女間の友人は無理だという事を自身の幼い頃の幾つかの経験で分かっていましたから。しかし、当てになりそうな所を当たってみたり、交際をお願いしておいたりはしました。社会的には男性の方が当てになるだろう事は分かっていました。私は大都会に母子2人で飛び出すという無謀な事は出来なかったのです。

 実際に上京してみて、思いの外女性友達が多く出来た私は生活の安全について安堵しました。それで私は、自分の家庭生活をきちんとして行く事だけを考えていました。安定収入と学業と子育てです。平日の日中は仕事、夜は学業、休日は子供に時間を取ってやる、上京中そんなサイクルが自然に出来上がって行きました。慣れると大学での履修単位もトントンと増えていきました。

 何回かの転職後貯蓄が出来るようになると、これでもう生活が安定し、子供との将来も大丈夫だとホッと一息吐いて再び安堵しました。そしてその安心感の後に挫折が来たのです。この為ダメージや反動が大きかったのだと思います。そのまま絶望感でパタパタと通信の大学を退学し、もう帰らないと決めていた故郷にふらふらと帰郷してしまったのです。今から思うと残念な事に思えます。残念に「とても」がつかないのは、学習時間を子供との触れ合いの時間に回す事が出来、その方が家庭的には良かったと思うからです。正直にいうと、当時の学生会や、大学などへの不満が有った事もありました。そこで出会った友人達は結局皆長続きしない友人達だったからです。

 1人だけ、例外的に私の方から交際を断った方がいます。まだ通信に在学中で、退学した私の事情を打ち明けて向学の思いに悪影響を与えたくなかったからでした。そしてもう1人、私が後に迷惑を掛けてしまった別の友人もいます。この方も途中で交際が途絶えてしまいました。この2人は通信大学関係の友人でも、思えば私の所属していた学生会とは全く関係の無い人達でした。


傘の思い出2

2018-01-16 11:12:10 | 日記

 日本の首都である東京という都会へ私が出て来たのは、離婚したという理由もありましたが、父から再三家を出てくれと言われた事が主となる原因でした。どうせ家を出るなら、子供が肩身の狭い思いをしないよう知人の多い地元では無く、心機一転、当時通信教育を取っていた大学のある東京まで出ようと決心したのでした。単位を取るためのスクーリングにも出やすいからと、私は念頭に卒業を据えていました。

 新しい生活を始めるに当たって、今までの友人達にもすっきりと決別して、都会で一人で頑張るつもりでいました。しかし、住まいを探す段になると、当初申し込んでいた区域では適当なところが無く、紹介されたのが上石神井でした。「かみしゃくじい」と読むのだと不動産の方に言われ、暫くしてからこの地名に思い当たりました。高校の友人が年賀に書いて来ていた住所でした。思いがけず近くに高校時代の友人が1人いる事になり、心丈夫な都会住まいの門出となりました。

 その後、学性時代のサークル仲間にも連絡が取れて、近しい連絡先は2件となり、通信大学の学生会の知人や履修教科で知り合った友人も出来て、仕事もあり、当初は順調な滑り出しのように思えました。しかし結局私の都会生活は破綻しました。社会的な仕事上の人間関係で躓き、当時の私は相当なダメージを受けて敢無く帰郷する事になるのですが、東京には丸2年間住んでいました。

 東京で過ごしている間、私はあまり友人に連絡を取らないようにしていました。それは其々に生活があり、結婚している人もいれば彼氏のいる人もいたからでした。恋愛の先にある「結婚」という物に失敗した私が、現在恋愛中の友人や結婚している友人に何かしら悪影響を与えるのでは無いか、そう考えると、どちらかと言うと私の方で彼女達を避けていたのかもしれません。これには

「女同士の友情は結婚したら終わりだってね。」

そう言っていた、結婚当時のある友人の言葉が胸にあったからでした。 

 

    


傘の思い出

2018-01-16 10:40:46 | 日記

 実は私は生来緑色は好きではなく、絵にも写生の時の植物以外は殆ど使わない色でした。勿論身の回り品にも殆ど緑色は持たず、また所持していても滅多に使用せずに過ぎましたから、それらは新しい色合いの儘に消えていったのでした。此処でこの傘の緑色を選んだのは私にすると相当な心境の変化でした。しかも気に入ったシリーズの商品の中の緑色系でした。何時もなら1番最初に外す色です。

 「子供が好きな色なので。」

おかみさんに、自身は昔から好きな色じゃないので身近な商品にこの色を選択した事が無いと四方山話すると、そう言えばお客さんは何故練馬に来たのかと理由を聞かれ、私が区役所に用事があって来た話などしている内に、離婚の届け出ですか?とか、この近辺はそんな人ばかりだとか、問わず語りで彼女と話す事になりました。私は彼女に離婚した事を言い当てられて吃驚しました。丁度ひとり親が役所へ証明書を貰いに来る時期だったからでしょう。私は、離婚したくらいだから堪えしょうがないのかもしれないと言って微笑み、今回は子供に合わせてこの色をと、最終的に緑の傘を購入すると、このお店からアーケードの通りに戻って来ました。

 未だ雨は少し降っていましたが、私は買ったばかりでもうお気に入りになったこの傘を、直ぐ雨で濡らすのが酷く勿体無くて、手にその傘を持ったまま早々に区役所へ向かったと思います。今はもう昔の事なのでよく覚えてはいません。そうですね、区役所で書類を貰っての帰り道、この日の用事が済んで気の緩んだ私は初めてこの折りたたみ傘を広げると、くるくると回しながら気分良く帰宅するために練馬駅へと向かったと思います。

 雨が降っていなければ向かわなかったアーケードのある方向、予定に無い、必要でも無い商品の購入、思いも掛けなかった系統の色合いを選んだその時の私。不思議な偶然で手に入れたこの傘は、後に海外まで私のお供をする事になります。この作品の前に書いた紀行文の中で、グリーン島の桟橋で差していた傘がこの傘でした。もう廃棄にしてしまったと思っていたのに、棚の中に存在していたなんて、私にすると本当に意外であり不思議な傘です。

                                                     傘の思い出   終