道の角に差し掛かると、この角にある店のおばさんが、ひょいっとばかりに戸口から顔を出してこちらを見た。
「来た来た。」
彼女は店内に振り返り、店の中に向かってそう言った。この彼女の言葉は私の耳にも聞こえて来た。
『誰だろう?。』彼女の声に釣られるように、私は自分の背後を振り返って見た。しかし予想に反して、そこには誰も来る気配の無い灰色の舗装路が広がっていた。道の端には木造りの電信柱が数本続いて立つばかりだ。遠くに人影がない事も無さそうだったが、こちらにはっきりと向かって来る人を私は見出す事が出来なかった。
『誰が来たんだろう!?。』
不思議に思いながら、私が元通り振り向いてその店の扉を見ると、そこに立っていたおばさんの視線は、明らかに私の顔を注視していた。そして、今や歩を進め店の前に到達した私を、如何にも出迎える様に道路に迄出て来た。
このお店のおばさんは、普段から忙しい忙しいが口癖のような人だ。実際にも、このお店は見るからに繁盛していた。何時も誰かしら幾組かの客達が集い、入れ代わり立ち代わりこの店を訪れていた。店内は何時も数人の話声と商談で溢れていた。そんな中、それでも年端の行かない、ましてや客でも無い私がひょいと顔を出し、「こんにちは。」と言って立ち寄ると、こんな訪問者では何の得にも為らないし邪魔になるだけだったのだが、一応御近所だからという名目で多少は相手をして貰えない事も無いお店、気の良いおばさんだった。しかし一度客が混むと、これでねときっぱり、私の相手を打ち切ると立ちどころにそそくさと客の所へ行ってしまう。公私の緩急というのか、仕事と余暇の時間を分ける歯切れの良さという物が確りとあった。そんな点は冷たい感じも受けた私だったが、これが商売人という物なのだなあと、同じ店という物を家に持つ身としては、客大事、商売大事というお手本として感銘を受けた場所だった。
『だから儲かるんだなぁ…。』
一人店内で取り残された私は、そんな内心の呟きと共にこのお店を去ったのだ。
それが今日の様に、如何にも私のお出でをお待ちしていました、と言わんばかりに目に歓喜の色を浮かべたこの店のおばさんが、さぁさぁと、にこやかに私を店内に招き入れるのだから、私は今日はこのおばさんは一体如何したのかしら?、と思った。大体、このおばさんが店先の道にまで顔を出している事自体が非常に珍しい事だった。店内に何時もいるおばさんはそれだけで忙しいのだ。彼女は商品管理から帳簿付け迄していたようだ。ご主人はおろか店員迄、あちらこちらから声が掛かると彼女は店内を右往左往していた。そして客が混むと、店内の接客が忙し過ぎて益々入口の透明なガラス戸には近付けないでいた。だから彼女は一歩も店の外へ出る事が出来ない様な人だったのだ。事実、私を迎え入れた彼女はその儘戸口から往来を遠く眺め、久しぶりの外の息吹に触れた儘の状態で、暫くガラス戸に手を置き考え込むように佇んでいた。ある種の感慨に浸っていたのだ。
「埃臭い空気が…。」
懐かしく感じるなんてね。そんな事を呟いたおばさんに、埃臭い?私が問いかけると、彼女はややしんみりした感じで、埃でも砂埃の匂いだとぼんやりと言った。そんな彼女に、案じるように視線を送る私の顔に、彼女は気を取り直したように明るく笑って見せた。