Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

うの華 119

2019-12-10 14:24:40 | 日記

 私は祖母が言葉を止めて急にちらりと階段を見上げたので何事だろうと思った。

「お義母さん。」

今度は私にも声が聞こえ、その言葉の意味と声の主が分かった。

 私の母の声だ。母は階段から遠慮がちに足を下ろすとゆっくりと階下へ下りて来た。祖母はそんな母に、

「おや、お前さん何時の間に上にいたんだい。米糠を買いに行ったんだとばかり思っていたよ。」

そう言うと、ついと立ち上がり階段の傍に向かい、私の母を迎える様な雰囲気で立った。

 「糠は家に有ったので買いに行かなかったんです。」

母は祖母にそう言ってから、2階で一休みしていたのだと説明した。それから彼女は階段の途中まで下りて来て、部屋の様子を窺うと、祖母の自分を待ち受ける様子を案じてか、躊躇してなかなか階下迄下りて来ようとはしなかった。

 祖母は階段途中の母に、私の父が何故階下にいたのかとか、如何してこんな様子になったのか知っているかと尋ねていた。母は、多分分かると思います。ずーっと見ていましたから。と答えた。その後母は私の顔をちらりと見ると親しみを込めて微笑んだ。母は私の存在を安心の拠り所にしたいのだ。私という味方を作り、この場での母の安全を保ちたいのだ。外遊びの仲間内の遣り取りに慣れて来た私は思った。母より祖母だの私は、それと無く母の視線を外した。

 そんなつれない私に、当然母は不満そうな目付きを私に向けた。そうして何やら決心した様子で

「お義母さんがそんな所にいては、私は階段から降りられませんから。」

とはっきり意思表示した。すると祖母は私の顔色を窺い、母に対して特に何も苦情を言わずにそうかいと言うと、また父の傍まで戻って来た。その祖母の円満な様子に、私は母と祖母が喧嘩等せずに済んでホッとした。私が安心して微笑むと、母はそんな私の顔を見て、階段の一番下の登り口用に置いてある箱の上迄下りて来た。が、畳までは未だ下り切れずにいた。母は両の足をその箱の上で止めた。そして「その子のせいじゃありませんよ。」と祖母に微笑んで言った。「私は2階で見ていたんですけど、その人がそうなったのは智のせいじゃありませんよ、多分。」そう母は言った。

 祖母はそんな私の母の顔を困惑したように見詰めていたが、遂には「そう。」と言うと、きまり悪そうに静かに顔を伏せ黙ってしまった。

 そんな姑の観念したような様子に、母は漸く恐る恐るという感じで畳の上に両足を下ろした。そうして、祖母から遠ざかる様に階段の手すりに手を掛けた儘、祖母の立っている位置とは反対方向の、玄関の方向に向かう場所に立った。彼女は用心するように祖母を見詰めた。いざとなったら玄関に向かうのだろう。そんな母を見詰める私の目には、彼女の様子から、その態勢が薄々窺い知れた。「お前さん、その様子では知っているんだね。」祖母は言った。母は静かに頷いた。

 「お義姉さんから聞きました。トラウマだとか。時折その人が虎と馬になるのだと聞いています。虎と馬でトラウマだとか。」

そんな事を言った。すると祖母は一瞬目を輝かせるようにして「はっ…」と口から出すと笑い顔になった。祖母は口に手を当てると、上手い事言う人だねと苦笑いして零した。そして手を口に当てた儘で、彼女は又しゅんとして目を伏せた。

「そしてお義母さんが、そんなこの人の事を隠している事も。」

母は続けた。「お義父さんにも隠しているそうですね。」「しっ!。」母の言葉をそう制して、祖母は座敷を振り返った。彼女は不安そうに聞き耳を立てているようだ。が、座敷からは何の物音もしないので、一応彼女は安心した。祖母は再び母へと振り返った。

「知っているなら気を付けておくれ。今、お父さんは家にいるんだからね。」

祖母は祖父の昼寝の時間で良かったと言うと、母の声は大きいからねと付け加えた。その後は微笑みながら、祖母は母をじっと見詰めた。母はそんな祖母の視線と言葉を聞き取りながら、迎え撃つ様に、むすっとした感じの顔で祖母を見詰めていた。

 と、

「お義父さんなら、知っておられます。」

と、にべも無く嫁は姑に言った。これには祖母がえっ!と声を発した。彼女はぎょっとした顔付になると目を見開いた。心底驚いたのだ。

「お義父さんや、それにご近所の人も皆知っておられます。」

「その事を知らないのはお義母さんの方だ。と、お義姉さんは仰っておられました。」

母はふんとした感じでつらつらと祖母にこれだけの物を言うと、勢い余るような感じでずかずかと私の傍までやって来た。その後母は流行り病の事も知っている、ここら辺の家は皆そうだと聞いていると言うと、如何にも勝ち誇ったように、にやりと笑った。それにと、今迄心に溜まった鬱憤を晴らすように彼女はあれこれと言い出そうとした。すると遂に座敷から祖父が顔を出した。

 「ねえさん、その辺でいいだろう。」

もう言いたい事は済んだんじゃないのかい。と彼は自分の息子の嫁である母に声を掛けた。

「お前さんも言いたい事は有るのだろうけれど、この話は智のいない所で大人だけでしようじゃないか。お前さんに悪い様にはしないよ、この家の主の私がそう約束する。」

そう彼が言うと、母は何やら嬉しそうにほくそ笑んだ。それではと、私の顔に一瞥をくれてから、母はふん!と言うと、私の横をするりと抜けて廊下へと姿を消した。

 そんな母の一種狡猾な姿に、私は何やら言い知れぬ不安を覚えた。私には母が何か悪巧みをしているように感じられたのだ。それは私の未来に何か悪い事が起こりそうな予感を運んで来た。そしてその悪い事は、私が未だ好きな祖母夫婦にも同様に起こりそうな気がした。

 「聞いただろう。」

祖母は不安そうに自分を見上げる孫の私の顔を見詰めると言った。彼女は私の心の内に湧いた暗雲を打ち消すように微笑んでいた。

「お父さんは時々虎と馬になるんだよ。」

「上手いだろう、虎と馬の真似。」そんな事を言うと祖母ははははと明るく笑った。 そしてこの後程無くして、珍しい事に祖母と父はハイヤーを呼んで2人連れ立って出掛けて行った。祖父は家に残っていた。