Jun日記(さと さとみの世界)

趣味の日記&作品のブログ

傘の思い出2

2018-01-26 10:02:56 | 日記

 この時に、自身の友達という立場や存在について真実考えさせられました。と同時に自分の尊厳についても酷く自信を損なわれた物でした。正直沈み込んでしまい悩んだものでした。私は人から友人としての価値を見出されていなかったのかと思い、孤独感を感じた一時期でした。何時も一緒に登下校した仲間が1人2人と欠けるようになり、遂には1人で下校するような事態になると、私は彼女達にとって友人としての価値が無かったのかなと改めて思い、1人孤独感を感じないではいられませんでした。

 彼女達が正直に男友達や彼が出来たと言ってくれればよかったのに、そうすれば暇な時にまた付き合おうねと言う事になったでしょう。この一時期、友達や友情について明確に考え悩まずに済んだ事でしょう。私は当時全くそう言った事について考えが及ばなかったのでした。友人達の男女交際について気付いていなかったのです。これには中学時代の体験が尾を引いていたと言えるでしょう。青年期になるまで、私は積極的に彼を作ろうとは思わなかったのでした。当時の思春期の皆の考えが全然理解できなていなかったのでした。

 実際、私は青年期でさえ異性との交際は様子見というような状態でした。この時期に何らかのアプローチを受けた人には煮え切らない人物だと思われた事でしょう。事実当時入っていたサークルでは、「落ち着いて居るのでてっきり彼がいるのだと思っていた。」と言われたくらいです。もう決まった相手がいるのだと思っていた。いるんでしょう。というこの言葉は、その後も確かに聞く事があった私なのでした。

 本題に戻ります。鵜の目鷹の目で皆が彼氏を捜していた時期、乗り遅れまいと同年代の友人達も何かしらの男友達を作ろうとしていたようでした。私が世事に疎かったと言えばそれまでですが、暢気に構えていたのは確かでした。そんな私は全く彼女達から邪魔者扱いされた経験もあるのです。


夏です

2018-01-26 09:28:40 | 日記

 昔から冬より夏の方が好きです。やはり寒いのは苦手です。

 昨日も、猛寒波の中コタツに潜り込むと出ていけなくなってしまいました。こんなに寒いなんて、何だか極寒に感動してしまいました。寒さに感動するなんて、こんな感動は初めての事でした。

そうですか、25日が日本最低気温の記録日でしたか、こんな日はやはり暑い夏に憧れてしまいます。昔から暑さには案外平気な私だったからかもしれません。が、しかしです。近年は猛暑にも泣いてしまいます。暑さが酷く堪える年齢になったという事なのでしょう。極寒も猛暑も加齢と共に体調に酷く影響してきます。その様な訳で、身をもって保養地や避暑地が出来る訳が分かります。

 『心頭滅却すれば火もまた涼し』と言いますが、とても凡人にはそんな真似は出来ないのでした。人間程々に、我慢は禁物、そんな事が分かる年代になったという事でしょうね。若い頃はクーラーの無い部屋で、額にノリ(アイスノンが無い頃でした。でんぷんノリを冷蔵庫で冷たく冷やしてタオルで巻いて額に巻き付けたものです。)で勉強し、冬は寒稽古の早朝登校、凍ったタオルで手や顔を拭き、ホッカイロなど無い時代、トウガラシを布やティッシュに包み、ポケットに入れて暖を取り我慢したものです。

 冬は暖かな部屋でのんびり、夏はクーラーを利かせて程よく、何でも程々のそんな状態が今は好ましいです。


傘の思い出2

2018-01-25 10:15:30 | 日記

 人の繋がりというのは不思議な物です。1人だけでいる沈黙の時間が長く続くのかと思えば、思いがけず連れが出来て会話が生まれ、また、外つ国で外つ国の見知らぬ人に出会い、ふと心の交流めいた物を感じたりするのですから。友情とは何でしょうか。時間や場所、年齢とは関係の無い物なのかもしれません。

 事によると、人によっては性別も関係ないのかもしれません。この事については私は未経験です。私の場合、幼い頃異性の友人の家に通うようになると、大抵は結婚を前提とする付き合いなのか如何かと、本人やその家族の人に問われたものです。ほんの児童時代でさえそうですから、以降は異性の友人を持とうとは考えなかったものです。私の友人関係は同性にのみ限られていました。

 女性同士の友情は儚い物なのでしょうか、昔はそんな風に思わなかったものです。世間一般の風聞としてそういう話を聞いた事もありました。しかし、当時は人によりけりだと思ったものです。友達は友達として大切に思い、若い頃はどの友人に対しても確りとした友情を築いてきたつもりでいました。が、何とはなしに異変を感じ始めたのは青春期の頃でした。

 「私お友達が出来たの。」

そう友人達に言い出される事があるようになりました。それは同時期でした。当時はそれが何を意味するのか皆目見当がつかない私でした。現在考えてみると、それは彼女達に彼が出来たという事だったようです。異性の友人というものは出来無いもの、異性間の友情が成り立たないものと思っていた私は、当時彼女達が言った「友達」を女友達だとばかり思っていました。今から思うとどうもこの彼氏が出来たという時点から、女同士の友情に波風が立ち始め、果ては破局を迎えるのだという事なのでしょう。

 「彼氏が出来たの。」と言ってくれれば万事了解出来たのに、妙に遠慮して「友達」という遠回しな表現で言い出された分、私は彼女達の友達では無かったのか?今までの交友関係はどうなっているのだろうか?と、深刻に考えてしまいました。


傘の思い出2

2018-01-24 11:28:55 | 日記

 さて、1人になってみると、私は本当に連絡を取りたい相手のいない事に気付かされました。幼い頃からの幼馴染や友人、親戚等、沢山途絶えることなく周りにはいた筈なのに、この人という、思いを打ち明けて連絡を取る事が出来る相手が誰一人存在しない事に気付き、私は自分ながらに愕然としたものです。

 確かに、身に起こった出来事を話す相手は何人もいました。しかし通り一遍の話をしてしまうと、実際に私が受けた痛手を実感してくれる様な相手は皆無なのでした。年代的にも同年代は働き盛り、子育て中の年代でした。もし相手の事情構わず連絡を取っても、長期休暇を共にしてくれる友人は実質いなかったと思います。

 この様に社会的に孤独といえばそう言えたかもしれなかったこの時期、まだ文学会にも参加していなかった頃だったと思います、人との交流は皆無でした、社会的な繋がりが途絶えていた時期だったのです。

 人生の中での契機、挫折から来た停滞期と言えば、雨にあい、降り注がれながら桟橋の長い板の上を渡っている感覚に似ていました。その先に目的地がある事は分かりながら未だ未体験の場所である事。今いる場所が途中でありやはり初めての場所である事。そこに立ち竦むのでは無く進んで行く事、目的地に向かって。1歩1歩が初体験のこの過程をゆうるりと噛みしめるように進んでいる感覚、まさに自分の人生の中でその様な感覚を感じている時期でした。

 遊覧船から降り、降り出した雨。雨脚が激しくなっていく中で、私は待ちかねたように荷物から折りたたみ傘を取り出しました。降りしきる熱帯雨林気候の通り雨だと知っている中で、私は機を逃すまいとポンと傘を咲かせ、嬉し気にその模様の風情を愉しんでいました。1人旅の気楽さ、その興趣のみを味わおうとしてしていたのです。


メールです

2018-01-24 11:03:05 | 日記

 携帯電話のメールで連絡を取り合うことが多いです。

 子供が小さな頃は、メール機能が無かったので電話ばかりでしたが、メールが登場してからはメールのみが多く、緊急の場合だけ電話です。しかし年寄りには電話です。メールが読めない事や、返信してこれない事から、年齢に合わせてメールと電話の使い分けをしています。

 友人の場合はメールが多く、アドレスの分からない知人は電話です。急がない時は郵便です。そう多く連絡する事が無いので、年に数えるほどあるかないかですね。年賀の時期が最高潮です。暑中見舞いは出していません。