『おくのほそ道』の平泉での一句
夏草や兵どもが夢の跡
に触れないで平泉をあとにするわけにはいきません。
これに並べて曽良の句
卯の花に兼房みゆる白毛かな
があります。
このURLで『おくのほそ道』の本文が読めます、また風景も見れます。
http://www.bashouan.com/ptBashouHI.htm
長谷川さんの文より、
≪芭蕉と曽良は義経主従が立て籠って討ち死にした高館に登りました。ここから
見わたすと眼下を北上川が流れ、上流ははるか北方の南部藩へとつづいています。
まさにこの旅の最北端の地らしい眺めです。二人は藤原一族や義経たちをしのび、
「笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ」、 時にたつのも忘れて涙を落したとあり
ます。≫
≪ここにたどり着くまで芭蕉と曽良はみちのくを旅して、古い日本の歌人たちがつくり
あげた歌枕の廃墟をいくつも見てきました。その最終地である平泉の高館に立ったと
き、二人の胸にあふれてきたのは(略)、時というものは何もかも押し流してしまうとい
う無常迅速の嘆きだったはずです。≫
二つの句について、
≪「兵ども」は直接は義経主従、次に藤原三代をさしていますが、この句はそれだけに
収まらない深々とした哀しみをそなえています。それは義経や藤原氏同様、無常迅速
な時間に押し流されたみちのくの歌枕の面影が句の背後にちらつくからです。
句の構造をみておくと、「夏草」はあたりに茂る現実の夏草の描写、「兵どもが夢の跡」
は夏草を目にして生まれた芭蕉の心の世界、つまり〈現実+心〉の句です。この句もまた
古池の句を発展させた句です。≫
一昨年、宮城の丸森の墓地に先祖の墓を訪ねた折、この高館に立ち寄り北上川の流れ
を見たことを思い浮かべ、新たな気持ちで再度訪れてみたいと思いつつ引用文のみの今
日の「つぶやき」を終ります。