■奥の細道の旅
○現在地 中尊寺に到着しました。
○次の目的地 尿前
○次の目的地までの距離 66.0km
○次の目的地までの歩数 88,311歩で達成です。
今夜は長谷川櫂さんの「おくのほそ道」ではなく、井本農一さんの 『奥の細道を
たどる』(角川選書・昭和48年4月 原本は昭和20年代後半~30年頃のもの)
です。 「おくのほそ道」本文
≪兼て耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像をのこし、光堂は三代の棺を
納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風にやぶれ、金の柱霜雪に朽ち
て、既に、頽廃空虚の叢(くさむら)と成るべきを、四面新に囲みて、甍(いらか)を覆
ひて風雨を凌ぐ。暫時(しばらく)千歳の記念とはなれり。
五月雨を降りのこしてや光堂 ≫
井本農一さんの文
≪(略)芭蕉が来たときは、経堂の別当が留守で、芭蕉は経堂の中は見ていないの
である。だから、「二堂開帳す」は例の文飾である。事実経堂の中には三将の像などは
なく、今日も~があるだけである。芭蕉もとんだところで馬脚をあらわしてしまったもの
である。まして凡人の我々は、自分でみないこと、自分で感じないことは書いてはいけ
ない。人の話は、みんな話だと思って聞けばよい。話は、話以上のものでもなく、話以下
のものでもない。≫
俳聖(こういう言い方は嫌いですが)ともいわれる芭蕉でも「馬脚」をあらわす、となれば
kaeruの脚四本とも馬の脚のようなもので、引用文に引用文をつなげて字数を稼いでい
る「つぶやき」では、出る幕がなくなるの感です。
ものを書くことを生業としている人にはそういう厳しさが求められるのでしょうが、と言い
訳を言いつつも、それでも引用文は引用文として、「自分でみたこと・自分で感じたこと」
はそれとしてけじめをつけた書き方を忘れてはいけないと、思いました。