kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

一年前の「女性自身」に。

2015-07-12 18:46:05 | つづきの海を はろば...

    昨日女性週刊誌「女性自身」のことを書いたのですか、今日99歳(28日で満100歳)の黒田さんの家に伺うことになり、その時話にでたのがこの写真の紙面です。 

    写真にありますように「女性自身」去年の8月12日号です。右肩に「資料C」とありますが『黒田康子の書斎より   最後の葉書』の最新版に収録されているものです。

    黒田さんと料理研究家  吉沢久子さん・96歳へのインタビューで構成されている誌面です。黒田さんは「街頭に立ち9条の尊さを訴え続けた郷土史家」と紹介されています。吉沢さんの紹介は「封印してきた反戦の思いを初告白した料理研究家」です。

    黒田さんの関係の部分を下に、

    上の写真の右頁上段の写真説明「7年前の終戦記念日、自らも発起人の1人になった平和遺族会全国連絡会で登壇し、護憲を訴える黒田さん」。その下段の黒田さんの写真には「3年前に先立った長男が撮影し、遺してくれた写真は、戦死した夫が戦地で詠んだ歌をイメージしたもの」とあります。

    左に頁上段「'41、黒田さんは結婚。“私の人生のなかでいちばん楽しかったのは、彼と暮らした3年間でした”(黒田さん)」。下段には「アラ100でもパソコンはできる。“インターネットでものを調べたり、原稿を書いたりしています”(黒田さん)」。

 

    下の写真、右・吉沢さん「 当時と現在で違うのは、報道で情報を得て、判断できること日本人みんなが“考える力”を持たなければ」。

      左・黒田さん「終戦後、夫の帰りを待ちながら、やがて期待が不安に、そして絶望へ変わっていったつらい日々を、私は忘れられません」

 


今日は11の日。

2015-07-11 19:18:34 | せいじの政治カフェ
昨日は「納豆の日」でした、7と10の語呂合わせにすぎないのですが、
今日の「11の日」は語呂合わせも何もない、ただそのままです。
そしてその普通のことがとても大事なことなのだ、と思ったのがこの
記事です、「しんぶん赤旗 日曜版」12日付です。「週刊女性」と「女性
自身」という女性週刊誌が戦争法案反対の記事を載せ読者の支持を得て
いることです。
右側の「週刊女性」の編集長は「法案反対に軸足を置いたのは、取材
の結果です。戦争法案の特集が載った号の売り上げは、いつもより3、4
%伸びました。」
左側の「女性自身」の編集長の「現場の声を拾った結果として、法案に
反対する記事になりました。昔は政治関係の記事といえば、読者アンケー
トでも下位だったんです。でも最近は上位の方にくるようになりました。
うちの読者のほぼ7割が、子供のいる40、50歳代の主婦です。こうした
読者が、東日本大震災と原発事故以後、自分の子どもの将来について、非
常に敏感になっています」。ここを読んだ時に「3月11日」が深く広く広
がっているのだ、と掴めました。
だから今日は「11日の日」です。



各編集長の言葉でなく、記事のなかから一カ所引用します。
(毎日新聞)6日付の世論調査では、「女性の61%が戦争法案に反対。男性
(55%)を上回っています。」

「てんがらもん174回」公務員とは。

2015-07-09 23:00:53 | 「てんがらもんラジオ」

   174 回→  http://www.ustream.tv/recorded/66996097

今回のゲストの上利夫さんが先月鹿児島の民生委員として東北に行かれた話を視聴したあと、河北新報の縮刷版「3・11東日本大震災 1ヶ月の記録」を広げて見ました。

 南三陸町の防災庁舎から避難を呼び掛け続けた若い女性職員のことに触れて話されていたのです。河北新報の4月11日までにはありません。関係するのは16日の紙面に「最後まで避難呼び掛け  職員二十数名いまだ不明」とあり、副町長の「年寄りは生き残り、若い職員が流されてしまった」と悔しさを記しています。

   上さんは自ら公務員であった立場から、職務を全うすることを何よりも強調されながら、自らの使命役割の重要性を示していたのだと思います。改めて思うのですが、もしあの大震災のなかでその女性職員はじめかなりの若い職員が命を維持していたら、その後の期間にどれほど多くの住民の暮らしと命を支える大きな力になったでしょうか。人々の生活と復興のためにまさに体を張っていたにちがいないと思うのです。

    上さんは当時の南三陸町ではマニアルが整備されていなかったと言い、それを教訓とする必要を話されています。南三陸町の話をある種の美談、感動的な話としてだけで終わらせてしまいがちですが、それで終らせてはならないでしょう。

    上さんは桜島の大正期に次ぐ大噴火の可能性に触れながら、東北の経験からも日常の訓練が非常の際の命の分かれ目になること、該当する地域に限らず鹿児島市または鹿児島県ぐるみの訓練体制が必要だと言われていました。

    上さんのこういう見方考え方を聞くと公務員に対する信頼感が強まります。伺えば33歳から25年間甑島で福祉関係を担当されてこられたと。椋鳩十さんが離島物語シリーズに関して「離島は政治のひずみがくる」と言われ「このことは物を書く人間として黙っていられない」の言葉を思い出します。その離島で家族とともに生活と仕事を住民と一緒にしてきたのです。「政治のひずみ」に対して住民の福祉の増進のための25年間だったと思います。

     定年後伊敷団地にもどって民生委員をつとめられる姿勢に、公務員にはこうあって欲しいという気持ちを強くしました。


 


今夜もプロ野球。

2015-07-08 20:36:47 | ブログ仲間


    この写真は特に巨人を応援するものではありません。今日の「しんぶん赤旗」のスポーツ面を開いたら目についたのです。でもそれだけではここには出しません、写真説明をよく見て見ると「長野」と読めます、そうです巨人・長野選手の同点3塁打が逆転につながったのです。それが何でここに出すわけになるのか? それはまことに自己中なことですので略します。

今夜のDeNAの行方は? 8回裏カープ満塁、DeNA6ー0とはいえどピンチ。
今見たら6ー1に、DeNAピッチャー交代、カープも代打、現在2アウト、
代打松山セカンドゴロ、チェンジ、5点差のまま最終回へ。
カープ投手交代、DeNA今夜は物凄の倉本、だがサードゴロゴロ1アウト、
次、梶谷ストレート四球で1塁へ、梶谷盗塁失敗2アウト、あせるな!
アウトの次はホームラン7−1だから言ったでしょの感じ、次はヒット、
そして次サードゴロ、最終回裏へ。
レフトフライで1アウト、二番手セカンドゴロ2アウト、代打もサードゴロ、
ゲームセット。

一喜一憂蛙、順位は一晩でひっくりカエル。
広島の空よ、今夜も有難う!
横浜の雨空ではスターズの輝きは見えなかったのです。


8月6日は広島デー。7/7はDeNAデー。

2015-07-07 09:41:02 | ブログ仲間

     今朝の「しんぶん赤旗」を開きましたらこの写真、記事も読めると思いますが念のために写します。

【広島は6日、広島原爆の日の8月6日にマツダスタジアムで開催する阪神戦で、選手や監督ら全員が背番号「86」のユニホームを着用すると発表しました。戦後70年で平和への願いを込め、胸に「PEACE(平和)」背番号の上には「HIROSHIMA」の文字が入り、帽子には平和を象徴する「白いハト」が添えられます。

   エースの前田健太投手は記者会見で、「カープは、地域の皆さんとともに歩んで来た球団。この日に野球ができる喜びを感じながら、忘れてはいけない思いを全国に伝えていきたい」と話しました。

    緒形孝市監督は球団を通じ、「この日が何の日なのか忘れることがないよう、歴史を継承するとともに、次世代に引き継ぐことができればと思っております」とコメントしました。】

   今日のカープ対DeNA戦、勝たせてもらいました。山崎登板でこれで安心、とはいかないところが佐々木大魔神を知っている世代としては、まだまだこれからかな。

  さてと明日は?欲が出てきます。巨人が勝ってヤクルトが負け、中日の勝阪神負け。これで順位は?どうでもいいね、1 から5の差が1.5ですから。


「からだ記念日」

2015-07-06 20:55:22 | 詩的なつぶやき

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

歌人俵万智さんの第1歌集『サラダ記念日』におさめられています。

今日の一首とも言うべき短歌ですが、ボーイフレンドに料理をほめられた

という以外はサラダも七月六日も詠みの調子からのものだそうです。

   こういうロマンチックな記念日名に対して蛙の臍曲がりは「からだ記念

日」、まぁ蛙には臍がないのですから曲がりようもないのですが。

   ところでこの歌に対してもっと強烈な「カラダ記念日」という歌があり

ます。

    「この刺青いいわ」と女(スケ)が言ったから七月六日はカラダ記念日

作家筒井康隆のパクリ短歌。

   この一首は筒井さんの短編集『薬菜飯店』におさめられているようです。

  荒梅雨に昨日と今日と大雨警戒報、どこかでこんな歌も

    「この雨じゃ帰れない」と君が言ったから七月六日はからだ記念日


百歳への「意志」。

2015-07-05 21:37:28 | つづきの海を はろば...

     まずこれを見て下さい、今日の講演会の資料ですが講師お二人の年齢です。 小野さん92歳、黒田さん99歳です。

 

   講演会は「三浦胤義遺孤の碑」の近くの逗子市市民交流センター、

  前回の講演会続 講師は百歳。でも満員で立って聴く人がかなりありましたが、今回は雨でもあり定席で間に合うと思いきや、会場内はこうでした。

     立って話されているのは92歳の小野妙恭尼、司会の座られてお話を、の言葉がありましたが、30分以上立ってのお話でした。

     こちらを向いておられる三人の真中が黒田さん、車椅子のままの講演でしたが去年より声も大きく張りもありました。

    黒田さんの会場への送迎の車椅子を押しながら話をしてみて、あと数日で満百歳を迎える人の気力というものを感じました。超高齢者の気力というと107歳108歳のきんさん、ぎんさんのぎんさんが長寿の秘訣を問われて「とにかく気力ですね」とコメントしたそうです。昨日紹介の本で稲垣さんが書いています。

   実はこの講演会について広報活動をはじめた頃、黒田さんが入院され一ヶ月位自宅に戻れませんでした。準備する側は少し心配しつつでしたが、あらためて元気を頂戴したわけです。会場をいっぱいにするのもそういう元気さに触れて自分も元気になる、その場として雨にもかかわらずこられるのでしょう。

    そして黒田さんも小野さんも多くの人の視線のなかに触れてご自分も元気になられるのでしょう。車椅子に乗りながら「たくさん来たね」と喜び、(車椅子で)「楽ちん、楽ちん」と軽口もでました。

   『100歳までの上手な生きかた』より、

「将来、あなたもあなたのつれあいも、寝たきりの生活にならずに100歳まで健康で長生きしようという強い意志こそが大切なのです。」 


「吾輩はkaeruである」からはじまって……。

2015-07-04 20:20:47 | 100歳へ上手な生き方

「吾輩はkaeruである」というのはこの四コマ漫画です。

「しんぶん赤旗」の人気まんがです、犬小屋内の雨宿り蛙(たぶん風邪をひいていて大事をとって濡れないように?)。見ているとkaeruが鏡に写す顔に似てますので、今日のつぶやきはこれで終りにしょうと思いました。

   ところが「日曜版」の俳句欄に、稲垣元博さんの名前がありました。

   そこで下のこの本です。

  本の奥付は2002年9月、本文の終りに「さぁ、あと17年。100歳の当面のゴールまでに、我ながら拍手できるような俳句や短歌がいくつつくれるか、お楽しみです」と書かれています、そう書かれてから13年目の一句です。 

 本の著者略歴に「48年芝病院初代院長に」とありますがそれは東京都港区で、60年頃kaeruがうたごえだとか何だとか動き回っていた地域です。当時稲垣先生と呼び、私はよく知っていますが先方は知らない仲です。

 「稲垣元博」で検索しましたら、この写真です、小さいのですが落語を一席の図です。ドクター落語というすべて創作で十八番は「オッパイは成功のもと」だそうです。聴きたいでしょう、私も聴きたい。

  

   今夜は落語の話ではく、本のなからこの一文を。

《    健康で幸せに毎日を送りながら長生きできる「生き方上手」な人生を全うできるかどうかは、医師としての私の経験からいわせてもらいますと、「これがいい」と思ったことをすぐ実践に移せる人だと思います。私を含めてそうした人は、おしなべて元気に暮らしています。》  だそうです。 


日本共産党と自衛隊。

2015-07-03 21:03:38 | 葉山そして人

 blog.gooから下の案内が届きました。「自衛隊と日本共産党」という話にも関係しますので関心のある方はお読み下さい。

kaeru-23 さんが 2014年07月03日 に書かれた記事をお届けします。
 
自衛隊員、その家族の立場に添って。
今日(7/3)の「しんぶん赤旗」のトップの記事です。(赤字はkaeru)他国の戦争には送り出せない 自衛隊父兄会佐賀県副会長                憲法解釈変更を批判 安倍内閣が1日に「閣議決定」した集団的自衛権行...
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 また、葉山町町議会議長選挙(5月12日)にあたり次の様な質疑がありました、参考にして下さい。

 議長候補者の近藤議員(日本共産党)に対して、公明党の鈴木議員の質問。

3点目、自衛隊の問題でございます。これから災害等が予測される今日の状況にありまして、やはり葉山町といたしましても災害支援の点から自衛隊との関係、技術の支援をいただくということは大変に重要な視点かと私は思っております。この自衛隊のいろいろな行事、議長にも招待状、町長にも招待状が来ている状況だと思っておりますが、この行事等に対する出席をなされるかどうか。自衛隊に関しては共産党さんはお認めになっていらっしゃらないかというふうに見聞しておりますが、その辺のところはいかがでございましょうか。

近藤議員 (近藤議員は前副議長)

これまでのね、副議長の立場で行ってきた対応と全く変わらないと私は思っております。特に議長となれば、役職として議会を、先ほど言いましたように議会を代表するという形になりますので、議会の皆様方の意思に従って行動したいと考えております。それは全ての問題について、最後の自衛隊の問題までそのように考えております。

鈴木議員

私はかねがね、逗子・横須賀もそうでございますが、退職自衛官の採用というようなことも提案をしてきております。この点についても、これは議員の皆様の全体の問題でございますけれども、あえてそれも公正…公平な立場から対処するというふうに理解してよろしいでしょうか。

近藤議員

先ほど言いましたように、議会を代表する役職でありますので、議会の皆さんの指示に従いたいと考えております。

これらの質疑の後、議員による選挙が行なわれ近藤議員が議長に選出されました。

なお議長副議長選挙後の議会で日本共産党の議員より次の発言がありました。

先ほどの鈴木道子議員の発言の中、近藤昇一議員の立候補表明のときなんですけれど、共産党は自衛隊を認めていないというような趣旨の発言がありましたが、共産党は決して自衛隊を認めていないわけではありませんので、そこのところを確認したい…確認のため、よろしくお願いいたします。