核戦争が……、という不安もまじる終戦記念日を迎えた今年です。あらためて八月十五日をみつめてみたいと思います。正午黙祷のあとこの本を開いてみました。
(本の帯の言葉)
あふれ出た涙がいま、鮮烈に蘇る‼︎
ーー泣くことさえ禁じられていた日本人は、その日に何を見て、何を想ったのか。戦争がもたらした2文字の空白。それは憂い・苦悶・悲嘆・慟哭・動顛の日々であったーー
(帯の右側)
てんと虫一兵われの死なざりし
久保田万太郎と『春燈』を創刊した安住敦の句である。
戦局が最悪の状況に追い込まれた日本政府・軍部は “ 本土決戦 ” の作戦を本気で練りはじめた。男子の根こそぎ動員が行われ、緊急に本土防衛部隊が編制された。
安住敦もその一人だったのだ。
本土決戦がもし実現していたなら、安住敦は絶対に死んでいたはず。「一兵われの死なざりし」の短い言葉の裏に、本土決戦の無謀、原爆投下の是非論等、多くの問題が考えられるのである。
また、ほんとうに死なずにいられたものだ、という実感が、同じく「一兵」であった私には臓腑を抉るほどの強さで迫ってくる。
「われの死なざりし」
この言葉は、昭和二十年八月十五日を迎えたすべての日本人の心からの声ではないだろうかーーー。
• ーーまえがきより抜粋
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