譜面が読めない(理解できない)ので何が起きて逆転勝利になったのか?
この人の勝利には、たびたびそういうことが起きるのは、それでいてタイトルを維持しつつ、8冠になれるのはこれからますます強くなる余地を残しているからでしょう。21歳、今が頂点である筈がありません。
譜面が読めない(理解できない)ので何が起きて逆転勝利になったのか?
この人の勝利には、たびたびそういうことが起きるのは、それでいてタイトルを維持しつつ、8冠になれるのはこれからますます強くなる余地を残しているからでしょう。21歳、今が頂点である筈がありません。
昨日紹介の俳誌を拾い読みをしていたら、今日も「その2」として「つぶやき」たくなりました、がその前に、
昨日の五句を送信した後で推敲して訂正してもらった一句、
潮風や秋の豊かさ東歌 を 潮風に万葉歌は秋豊か に
実は句会で点を貰えなかった二句のうちの一句なのです。
このところ『万葉集』を開く機会があり、東歌に目を通していたら「鎌倉」の地名が詠み込まれていたのです。そのことが頭にあって「東歌」を詠み込んでみたのですが、やはり「万葉集」として詠み込んだ方が良いですね。
では「滑稽」の方です。
まず俳句側から、
次は川柳、
各々二ページ分の「論考」です、ここで目につくのが これ
.
同じ歌ですが、右は「俳句」から左が「川柳」です。
論者の俳句・井上泰至氏、川柳・渡辺美輪氏が申し合わせしたわけではないでしょうから、この私でも知っている有名なこの俳諧連歌は、この種の論の出発点として五七五の世界では共有されているのでしょう。
となると「俳句も川柳も、滑稽ということ」を考えていくうえで頭に入れておく必要がある歌だと思いますので、この部分の文字移しをしておきます。
論考〜俳句と笑い 「俳」の精神
井上泰至(「上智句会」「若葉」)
「笑い」はその人のセンスや品格と切っても切れない。俳句もまた同じである。顰蹙を買いそうな猥談も、語る人次第で、破顔一笑の交流が生まれる。どのように上品な言葉を並べ立てたところで、「心」が本音のところで離れていては、会話は苦痛以外の何物でもなくなる。
俳句の源流は、饗宴の「座」という環境に求められる。目的とするところは、「おもてなし」を通して、心を繋ぐことにある。そこには酒食も伴うが、つまるところ目指しているのは、「笑い」による共感だ。「俳」とは滑稽のことなりというのは、実に正当な命名である。
しかし、「笑い」ほど趣味の成熟を照らし出すものはない。下品な言葉を使うだけなら、児戯に等しい。俳諧も、発生の局面においてまたそういう要素はあった。
霞の衣裾は濡れけり
佐保姫の春立ちながら尿をして
今日書き残された中で、初期の俳諧を典型的に示す『犬筑波集』の一連である。春「霞」を、シースルーの絹の衣に「見立て」るのは和歌以来の常套。貴族文化の「和歌」の上品な素材を詠んでおいて、「濡れ」ていたのは、春の女神佐保姫が立春に立ち小便をしたからという落差が笑いを呼ぶ。 だから俳諧は、座興として長く書き残されることがなかった。ただし、これは単純な「雅」の破壊ではない。むしろ「雅」の美に憧れ、和歌的連歌を食傷するほど詠んだ末の「座興」なのである。
論考〜川柳と笑い 川柳における滑稽・ユーモア
渡辺美輪(「現代川柳」編集長)
川柳と俳句の起源は、共に俳諧連歌にある。古代から和歌や歌道を「敷島の道」と優雅にいい、これに対して連歌はやや泥臭い・田舎じみたものとして「筑波の道」といいならわしてきた。
霞の衣裾は濡れけり
佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして
(『新撰犬筑波集』)
俳諧の「俳」は、室町時代には「そしる・非難する」の意味をする「誹」の字を当てており、「誹諧」とは「おどけて悪口をいう」こととされている。「俳句」の「俳」もまた同じく、おどけ、たわむれ、滑稽、諧謔などを意味する。
川柳は前句付として生まれた。前句付は、前句の内容を受けて発想の転換をはかり、ピリッと辛口の批判をし、あるいは読者をおもしろがらせ、あるいはあっと言わせることを旨とした。やがて前句がなくとも付句のみで句意のわかりやすいものが独立していく。古川柳の三要素といわれる「穿ち・軽み・笑ひ」は、「俳諧」そのもの。川柳は「俳諧」の申し子だったのである。
女の誉る女すくなし (『誹風武玉川』)
武蔵坊とかく支度に手間がとれ (『誹風柳多留』)
母親はもったいないがだましよい (同)
投句料(花代)を集めて点者(選者)に好作品を選ばせて刷り物にし、高得点句には賞金を出す前句付興行は、江戸の町の知識人の楽しみであった。明治時代に入り、投句先は新聞社や雑誌社となる。
川柳も俳句も本文は、五七五の十七文字ですが論するとなるとこれでなかなか奥行きも深そうです、面白さとは奥深さでもあるようです。
タイトルの話のまえに、今月の句会を経ての五句を、
.
( )の句はその前の句の句会に出した原形、
第一句の「祈りへと挙げる手の形曼珠沙華」は、「合掌の形連なり彼岸花」と詠んで出したのですが、句会での出た評価意見で推敲しました。
タイトルの方はこの俳誌によります、
昨日の「つぶやき」でユーモアについて触れたので、雑多に重ねてあった雑誌の間からこの「滑稽」が目につきました。抜き出してパラパラめっくって少し読もうと思い、ここにアップします。
内容は目次としては、
で、更には
特にこの部分、
俳句の源流としての俳諧、それを源泉にした川柳そして俳句と川柳の違い等々、俳句と川柳の双方に浅いとは言え関わっている者として、「少し読む」では済まないのではないかと思います。
今日はこれだけにして、随時内容を紹介し感想等「つぶやき」たいと思い今夜は「その1」にしておきます。
先ず「特選」について。
昨日は柳誌「つばさ」の未着でかなりLINEでやりとりをしました。
今日昼前に無事到着、
村永さんが巻頭言を書かれたことはLINEで知っていました、
これです,
「百歳を目指したっぷりある未来」 村永チトセ
私が川柳とご縁ができたのは、団地のおばあちゃんで構成したFM銀河 「てんがらもんラジオ」で川柳コーナーを発足させた日です。ゲストの石神紅雀さんに一句詠みなさいと言われ、即興で
「クリスマス誰か私にケーキくれ」
苦し紛れに詠んだこの句、石神師匠が笑い転げて「これでいいのよ」と言いました。17文字で口語が原則、人間を詠む。初心者の私は次々はったりの効いた、前向きで元気の出るような句を詠んでいました。
「古木だが回り支える傘となり」
初心者の域で時に入選、時々特選までいただきました。 「あれ、もしかしたら?」と思ったのが大変な勘違いでした。恥ずかしながら 「川柳入門 田口麦彦著」を4年前から手にしているのに、やっと読み終えました。著者のあとがきにも、3月も続けると句会でも入選句として詠みあげられるでしょう。 「入口が広くて手軽に詠める。」 それが落とし穴だと田口氏。作品には作家の存在感がなければならない。人間を詠むことを突き進めて社会を詠む。確かに自分の存在をいつも誇張して詠んでいる私です。 しかし、「見えないものを見る」「イメージ・比喩」 これが私のぶち当たっている壁でしょうか? 大先輩の句を詠むにつけそれを理解する力すらない、川柳をもっと深く見つめよう、何をどのように詠むかという目的をはっきりさせよう。先人たちの血のにじむような歴史があり、言論の自由のない時代に身体を張って詠み繋いできた人たち。社会を詠むことはなかなかむずかしい。世の中の出来事に目を背けないで生きていかないと詠めないものですね。
川柳が「たった17文字で世の不正を暴いたり文明を批評したりできる唯一の文芸である」すごいことです。高校生の頃小林多喜二の蟹工船に出会い、衝撃を受けたことを思い出しました。
「手と足をもいだ丸太にしてかへし 鶴 彬」
多感な青年期に、平和を願ううたごえ運動に出会い、反戦への思いを合唱で歌い続けた私に、出会うべくして出会った川柳だったのですね。
「人間の心抜かれる兵士たち」
とはいえ時事川柳はなかなか詠めていません。
「百歳を目指したっぷりある未来」
私の川柳人生はまだ序の口です。
ここ言われてる「川柳コーナーを発足させた日」が、
こちら2014年12月26日の「kaeruのつぶやき」です。
千葉市の会員さんには今日着いているのですが、神奈川県三浦郡は未着。多分、同じヤマト運輸でも荷の多く配達範囲の狭い市街地が優先され、郡であり町である地域は後回し、そうなっているのでしょう。
それが民間企業の利益優先の営業方針ですから。
というようなことを「つばさ」のLINEでやりとりして来ました。
この写真は、「つばさ」が着いたらその該当ページと合わせてアップしようと思っていたもので、鹿児島の村永チトセさんから送信してもらったものです、一足先に……。
「つばさ」未着問題の遠因は、小泉改革「郵政民営化」にあるのですが、この10月から導入されたインボイス制度へのヤマト運輸の対応と結びついているようで、少し勉強をして「つぶやき」たいと思います。