今回の旅の詳細を記そうと思う。外出用のPCでの画像処理は不慣れなので画像は少なめだが、後日追加で挿入するかもしれない。
また、日本におけるマルケ州についての旅行情報があまりにも少なく、私的に苦労したので、旅行記とともに参考としてマルケの歩き方も書き添えられたらと思っている。なにしろ「地球の歩き方」だって雀の涙で役立たずだし、唯一参考になったのは『宮下孝晴の徹底イタリア美術案内(3)』(美術出版社)だけなのだ。ちなみに、私見だがマルケ旅行をするのならボローニャを起点とすると移動がしやすいと思う。
ということで、今回の旅はボローニャと同じエミリア・ローマーニャ州のリミニから始まった。
朝、ボローニャ中央駅からリミニ行きの特急フレッチャ・ビアンカに乗ってリミニに向かった。リミニはエミリア・ロマーニャ州の南東の端にあり、アドリア海に面している。しかし、予約したホテルはリゾート用の海側ではなく、見どころの多いチェントロ側である。
さて、リミニには1時間ほどで到着。ホテルはリミニ駅からほど近く、設備もスタッフも気持ちが良いし、すっかり気に入ってしまった。それに、テンピオ・マラテスティアーノまで歩いて5分♪ 荷物を置くと、早速向かった! 青空映えるアルベルティの珠玉の作品である。
レオン・バティスタ・アルベルティ《テンピオ・マラテスティアーノ》(1468年未完成)
そして、テンピオの中にはピエロ・デッラ・フランチェスカ《シジスモンド・マラテスタと守護聖人》が!
ピエロ・デッラ・フランチェスカ《シジスモンド・マラテスタと守護聖人》(1450年頃)
うわっ、この三白眼が怖いんだわ~(^^; 。でも、シジスモンドは冷酷かつ優れた軍事才能を持ち、一方では教養も高く芸術を愛する文化人なのだ。なししろ、アルベルティとピエロを同時に使っちゃうほどの芸術への眼力&趣味の良さを持っているのだから、ルネサンス的怪物のような男だったのだろうなぁ。
このテンピオ(神殿)はシジスモンドの4人目の妻イゾッタの廟墓とするために、ゴシック建築のサン・フランチェスコ教会を改装したものだ。設計はレオン・バティスタ・アルベルティ。外壁を子細に眺めると元のゴシック壁を覆うように半円アーチの外壁が設けられていることがわかる。(テンピオについては写真を色々撮ったが、画像は帰国後に追加したい)
テンピオ(神殿)の主祭壇にはジョットの《十字架》が掛けられていた。
ジョット《十字架》(1310~17年頃)
テンピオ内を眺めていたら12時(13時だっけ?)で教会が閉まり、一旦外へ出て3時半の再開までリミニ見学をすることにした。ホテルで貰った地図を見ると、リミニはこじんまりしていて歩きやすそうだった。ということで、次に向かったのはアルベルティも参考にしたらしい古代ローマ時代の「アウグストの門」だ。
「アウグストの門」
ちょうどお腹も空いたので、街中に向かいながら途中のBarで軽食をば。
紅茶にハート型クッキーがつくなんておしゃれ♪
Barで一服したところで、ブログも一服。次回へ続く。