画像は我が住宅街の、ある小さな交差点から西方向を向いて撮影したもの。左右両側の家に生垣が見え、家によっては大きな木が道路の上にまで枝を伸ばしている。そしてはるか向こうに鎌倉山の緑が見える。
住民協定に違反して土地を分割することは、この生垣、木、緑を、住宅街が失うことにつながって行く。このあたりの土地は1960年代に分譲が開始されている。しかし販売済みの土地に法的効力を持ちそれ以上の開発を規制する縛りはなかったため、80年代のバブル期には敷地分割による土地売買取引が頻発し始め、今も続いている。
分割により、土地一区画の道路に接する距離は短くなる。例えば正方形で80坪の土地があるとしよう。正方形の一辺は16mちょっとである。道路に面したこの16mに門をつくり、駐車場をつくると、つくり方にもよるが残りは7、8m~10mほど。それなら生垣をつくることも出来よう。
ところがこの土地が2分割されたらどうか。門扉をつけ、駐車場をつくれば残りはわずか。生垣など望めない。こうした敷地分割が進めば、その通りは生垣の緑がないまま建物の壁か駐車場か門扉が続くような家並みとなり、郊外住宅街的な緑溢れるゆとりはなくなってしまうであろう。実際道路に向かって敷地は全部駐車場、車の顔を並べそれが短い接道部分のすべて、などというケースもある。こうした住宅街からは潤いが失われる。
上の画像はある交差点をはさんで西を向いて撮影されたものだ。画像の持ち合わせがないので掲載していないが、同じ交差点で南を向いて写真を撮影すると状況は一変する。上で述べたような、緑のない風景にすでになってしまっているのである。
多くの人は本来そんな状態を望まないであろう。郊外の住宅街の格は、それがすべてではないものの、緑の多さで決まると私は思っている。緑の少なさは余裕のなさを表わし、緑が多くその手入れもなされている住宅街は、そこに住む住民のある種の余裕や豊かさを表わしている。