Reflections

時のかけらたち

あの頃 ・・・ in those days

2019-01-13 23:42:07 | souvenir

 
                                                   Pillar Cottage Hawkshead

何時もカメラを持って出かける時に、一応試し撮りをしていくことにしています。
前みたいにメモリーカードが入っていなかったみたいなことがないように。
今まではブルーを撮っていたのだけど、本箱の中のスーベニアを撮ってみたらかわいかったので
続けて撮ってみました。



                                     有名なアルベロベッロの家

亡くなった義理の姉が旅行をしたときに、お土産に一つずつ買ってきてくれたものです。
他にも娘のかわいい洋服や、私もパシュミナのストールとかいろいろなものをもらいました。
彼女には私たち家族が一番お世話になり、華々しく人生を通り過ぎた人でした。相談に乗ってもらったり、
娘が熱を出した時とか、保育園に迎えに行ってくれたり、主人が具合が悪くなった時に病院に行ってもらったり
私たちが生きて行くのに誰よりもお世話になった人です。娘は小さい頃土日になると熱を出して
病院周りをしていました。その時の女医さんに3歳児なんて人に迷惑かけないでは生きて行けないわよと
言われました。仕事を持っているとそういうことになります。義理の姉はピアノの先生をしていて、都民劇場も
お友達と行っていたのですが私を誘ってくれました。そのころは私は5階の一番下のランクでしたので、休憩時間
に会ったりしていました。今でもその時のお友達の一人とコンサートをご一緒しています。もう一人の方は悲しみの
あまり、来なくなってしまいました。


                              主人が買っていたSt.George's Church

子どもが保育園に行っていた時の朝とかどうやっていたのかもう記憶がなくなっています。
仕事に持っていくお弁当を作ったり、朝の片付けもして、子どもと一緒に保育園によって通勤して・・
そんな大変なことしていたのかと今では思います。もっと小さいころは夜中の洗濯が大変だったけど。
仕事から帰る時も残業なしで帰る時間までに靴をウォーキングシューズに履き替えて、時間になったら
駆け出して保育園にお迎えに行って・・ 仕事で帰れなくなった時は児童館(学童保育)の頃だったか
お友達のお母さんに連れて帰ってもらって、家に一人でいて、電話をしても泣き声だけで、ものすごく
せつなかったときがありました。主人はそんなに帰りが遅くなかったから入院してたのか、道路が渋滞してたのか
もう生活の記憶も薄れてきています。その時はナショプロの事務をしていて、とても大変だった時代でした。
私の仕事で大変だったのはナショプロと経理の担当になった時と、いきなり国際会議の担当になった時だったけど。
ナショプロで共に仕事をした企業の研究者はその後肺癌で亡くなりましたが、同志という感じでした。
体調を悪くして病院に長くかかっていたのですが、病院で早期発見ができず残念でした。自分が癌になるなんて
信じられないと話していましたが、徐々に受け入れて行ったのでしょうね。亡くなられた後論文賞を
受賞して、代理で表彰された奥様とお嬢様に早稲田大学のキャンパスでお会いしたことがありました。
ナショプロの仕事をしていた頃、奥様は司法試験を目指していてその後パスしてそのキャリアを続けて明日に向かって
いる感じがしたことを覚えています。

国際会議の担当がいきなり回ってきたときが、一番つらくて毎日朝5時に起きてボッチェリのCon te partiroを聴いて
一日をスタートさせていました。上司にはいつになったら笑ってくれるかといつも言われて。それでも時間が解決します。
国際会議が終わりさえすればという。その後パワハラやセクハラ問題で上司が次々変わり、その次の上司は
さすが問題のない人でしたが、出向元の企業の定年となった時に鬱になってこれなくなってしまいました。その後時間が
かかりましたが治って今では定年退職をしたら5つ以上の趣味を持たなければダメと教えてくれました。
なんだかこんな小さな世界でもいろいろなドラマがありました。

聴き飽きるほど聴いたボッチェリの歌っていた曲をこれから練習することになりました。
20年も前の曲ですが、最近歌っているのがあったので貼り付けました。イントロの早口言葉が難しい。



Con te Partirò

Quando sono solo
E sogno all'orizzonte
E mancan le parole
Sì lo so che non c'è luce
In una stanza quando manca il sole
Se non ci sei tu con me, con me
Su le finestre
Mostra a tutti il mio cuore
Che hai acceso
Chiudi dentro me
La luce che
Hai incontrato per strada

Con te partirò
Paesi che non ho mai
Veduto e vissuto con te
Adesso sì li vivrò
Con te partirò
Su navi per mari
Che, io lo so
No, no, non esistono più
Con te io li vivrò

Quando sei lontana
Sogno all'orizzonte
E mancan le parole
E io sì lo so
Che sei con me, con me
Tu mia luna, tu sei qui con me
Mio sole tu sei qui con me
Con me, con me, con me

Con te…



                                 結婚の時お祝いにリクエストしてもらったガラスのオーケストラ

コン・テ・パルティロ Con te Partirò
タイム・トゥ・セイ・グッバイ Time To Say Goodbye

一人きりのとき水平線を夢見た
そして何も言えなくなった
太陽 そうあなたがいないと
部屋に陽の光は降り注がない
私のそばにあなたがいなければ
窓辺からみんなに見せて
あなたが火をつけた私の心を
私を満たして
あなたの人生で出会ったすべての光で

旅立ちのとき
誇りを持って生きてゆけば
水平線も遠くはない
新たな場所で生きていく
さあ旅立ちのとき
船にのり 過去という海をわたり
さあ旅立ちのとき

あなたと遠く離れていても水平線を夢見る
そこに言葉は必要ない
あなたはいつも私のそばにいるとわかっているから
月のように私のもとを離れず
太陽のように私のそばにいて

旅立ちのとき
誇りを持って生きてゆけば
水平線も遠くはない
新たな場所で生きていこう
さあ旅立ちのとき
船にのり 過去という海をわたり
あなたとともに私は生きていく

旅立ちのとき
船にのり
過去という海をわたり
あなたとともに私は生きていく

旅立ちのとき

私はあなたとともに


やっぱり最後はQueenで

Freddie Mercury  Forever




コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新しい散歩道 肥後細川庭園へ ・・・ new walking course " Higo-Hosokawa Garden"

2019-01-13 00:41:53 | a day in the life


1月12日
ヨガはもう始まっていたけれど、今日は今年初めての声楽のレッスン。今週は何も予定が
入っていなく、よく歩いた週だったけれどやっと「始動」と言った感じです。
肺を膨らまして、息を出しているだけで、いい運動になります。
最初に「私のお父さん」をさらって、次に初めて取り組む”Con Te Partiro"のイントロから
いつもの後ろから歌い上げて反復しながら全体まで歌えるようにします。
最後に”Voi che sapete" を通しで歌って、改めてこの曲の素晴らしさを知る。
モーツァルトの歌曲の再発見。先生にこの曲を選んでくれて感謝しています。
先生方が物凄く面白いので笑いっぱなしのレッスンです。
2月23日にはサークル体験があります。楽しく歌っているうちに「私のお父さん」が歌える
ようになります。歌いたい方は10時から九段の生涯学習会館へいらしてください。


                 


昨年のお正月に甘泉園まで散歩したときに、近くの肥後細川庭園に今度行ってみようと思って
一年たってしまいました。

「肥後細川庭園」は文京区立の公園で、熊本藩主・細川家の江戸下屋敷跡に残る池泉回遊式庭園。
明治15年に細川氏の本邸となり、昭和35年に東京都が購入し、昭和36年に公園として開園。
さらに昭和50年から文京区立「新江戸川公園」として開放。平成29年春から「肥後細川庭園」に改称。

江戸時代に徳川家の御三卿・清水家、一橋家の屋敷を経て、幕末に肥後熊本藩・細川家の下屋敷に。
庭園名の改称にあわせて改修整備された「松聲閣」(しょうせいかく)は細川家の学問所やお屋敷
として使われていた建物。リニューアル後は休憩所や会議室・ギャラリー等の憩いの場としても使用。

またかつては周辺の「永青文庫」、「和敬塾本館」まで細川家の敷地だったとのこと。すぐ近くのホテル
椿山荘(山縣有朋旧宅跡)や関口芭蕉庵、早稲田大学構内の大隈庭園、甘泉園公園と合わせた日本庭園巡りは
オススメの散歩コース。

東京の台地と谷という地形を巧みに利用した大名庭園。神田川が流れる新宿区には、まさに地形と湧水を
効果的に使った大名庭園があります。そしてこのエリアは、東大、早稲田大学という大学の中にも大名庭園
が残ってるのが特長です。明治維新で、華族、そして明治政府の重鎮が大名庭園を保持した結果、奇跡的に
今に残されたというケースです。

彦根藩下屋敷/大隈庭園(早稲田大学)
御三卿・清水家下屋敷/甘泉園庭園
高遠藩下屋敷/新宿御苑
尾張藩下屋敷/箱根山(都立戸山公園)
久留里藩下屋敷/椿山荘庭園
熊本藩下屋敷/肥後細川庭園(旧・新江戸川公園)
加賀藩上屋敷/三四郎池(東京大学)
水戸藩藩下屋敷/隅田公園
笠間藩・宮津藩(本庄松平家)下屋敷/旧安田庭園

東京の面積の半分を大名が所有していたというような記事もどこかで読みました。



1月11日
グーグルマップで調べると家からこの肥後細川庭園までは2.6km、31分となっていて、
それにしたがって歩いて行きました。帰りに写真を撮ったりしないで帰ったら、
35分かかりました。リーガ・ロイヤルホテルのシャトルバスを使う手もありますが、
この日は歩かなくてはと思ったので、しっかり歩きました。



地元で時どきお参りに行く諏訪神社の前を通り、




大学が近いと、神保町みたいな古本屋さんも何件かありました。




マップとはちょっと違ってしまったので、川沿いを歩きました。




おもしろそうな紙ナフキンのお店もありました。




橋を渡って、公園側を進みます。




肥後細川庭園の門をくぐると、こんなに広々とした風景が目の前に。

























望遠のカメラを持っている人が3名くらい池を囲んでいたので、カワセミでもいるのかしらと尋ねたら
目の前の枝にいることを教えてくれました。











近くの枝にビタキ系も着ていたのですが、これ以上近づくとカワセミの方が逃げそうだったので
写真を撮ることができませんでした。

写真を撮っていたシニアの方が今までにカワセミが水に飛び込んで、お魚をくわえたりしている写真を
見せてくれました。残念ながらブログはやっていないとのこと。300mmを使っていました。水しぶきまで
撮れていい写真がたくさんありました。私が数日前おとめ山で見たことを話すと、神田川沿いに移動して
いることを教えてくれました。3~5月には神田川の排水溝に巣を作ったりするそうです。

1時間近く鳥が飛びこむのを待っているとのことでした。私も鳥用のレンズが欲しくなってしまう今日この頃。








かわいい声で鳴いているメジロを発見。今年初のメジロン。



















季節のバトンタッチ。コブシがつぼみをつけています。











ワカケホンセイインコの群れがにぎやかに食べ散らかしていました。






カワセミが今度は藤棚のところに来ていました。
















松聲閣(しょうせいかく)でお抹茶をいただきました。
















熊本のお菓子もおいしかったです。細川家の家紋が入っています。クマモンの手みたいな。













次回は永青文庫に石仏を見に来ることができればと思います。
後行ってみたいのは雑司ヶ谷旧宣教師館とか、文京区、豊島区、新宿区が入り組んでいるところって面白そうです。






Jan.11  2019  Higo-Hosokawa Garden 





コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする