身内の不幸が続いています。
軽井沢に滞在中、ウィーンに住んでいる姪からLINEが入りました。義理の姉が危篤との知らせでした。彼女は7月に一時帰国して
私もホスピスに会いに行きたかったのですが、制限があり、会うことができませんでした。危篤の連絡のあとすぐ亡くなられたとの
LINEが続けて入りました。昨日早朝にまた日本に戻ってきて、今日葬儀が臨海斎場という東京湾に近い斎場であり、お別れに
行きました。 最近のこのコロナの感染状況に親族の集まりも避けたいところでしたが、姉の人生が私の中を駆け巡りました。
私より4歳年上で、軽井沢、追分の別荘にもお邪魔した思い出があります。
コロナの時代には最後のお別れもできない状況です。同じく軽井沢でよく会っていた、叔母も6月末に亡くなっていたのに
お知らせがなくごく内輪での葬儀でした。その後緊急事態宣言も解除されるだろうと今度の土曜日に四十九日を計画したのに
コロナがますます激しくなり、いとこだけで納骨すると、参列者を心配して、一度案内が来ましたが、決めたようです。
最後のお別れもできない寂しい時代です。
ひとりの人の一生が終わりました。その一生の重みを感じながら、それぞれの人生を思い描きました。
それで昨日の夜は久しぶりにハウザーのチェロが聴きたくなり、ずっと聴いていました。
HAUSER - Medley In Love
お姉さんの人生も同時に私の人生もフラッシュバックしました。
今の私は以前なら考えられない生活です。何度も救急搬送して、ICUに入り、生死の境を行ったり来たりを繰り返した亡き主人との
生活。脳出血や静脈瘤破裂、体のあちこちに出血して、内出血は延髄に迫ったこともありました。そういうことの繰り返しの中、
職場も変わらざるを得なくて精神的にも不安定になりました。使用した血液製剤のため多くの方がエイズで亡くなりましたが、
まさか最後に癌になるなんて思ってもみませんでした。
ずいぶんと昔、入院した病院の近くで休憩している時にかかったSomewhere over the Rainbow が忘れられません。
幸せって遠くにあるのではなくて、近くにあったものだと入院するたびに思いました。
Hauser best songs, amazing relaxing cello music - Relaxing Classical Cello Music Solo
今朝、葬儀に向かうために早く出たら、ちょうど登校する小学生たちに出会いました。
夏休みの宿題か、大きな工作を手に持っていましたが。たくさん時間もあったことでしょう・・
でもこの時期にどうして新学期を強行するのでしょう・・・ 夏休みを延長すればいいのにと思いました。
救急車のサイレンの音を聞くたびに病院はみつかったのだろうかと思う日々です。
まだそんな年でない彼女の亡骸は火葬され、海洋散骨にすることにしたということでした。
葉山とかがとても好きで、まだお元気なころ、鎌倉や葉山にドライブして連れて行ってくれたことを思い
出します。
身内だけでたった6人と子供一人のお別れの会でしたが、姉は会いたい人に囲まれて満足だったと
思いました。
向かう途中、湾岸の写真を思わず撮りました。
斎場に向かうために久しぶりにモノレールに乗りました。
昔は羽田にはモノレールしか交通手段がなくて、羽田から飛び立つには、よく使いましたが
今では京急で行くようになりました。
天王洲アイルに昔、妹とジョン・ローンの舞台を見に行ったことがあったことを思い出します。
仕事では時々、臨海工場地帯にも行きました。日本の生産現場です。
湾岸地帯にはエネルギッシュなものを感じていました。
Aug. 25 2021 waterfront funeral hall