向島百花園は江戸時代からの庶民の庭園。この規模感といい、くつろげる感じがなんともお気に入りの公園です。
江戸の町人文化が花開いた文化・文政期(1804~1830年)に造られた庭園。庭を造ったのは、それまで骨とう商を営んでいた佐原鞠塢。
交遊のあった江 戸の文人墨客の協力を得て、旗本、多賀氏の元屋敷跡である向島の地に、花の咲く草花鑑賞を中心とした「民営の花園」
を造り、開園しました。
開園当初は、360本のウメが主体で、当時有名だった亀戸の清香庵字臥竜梅の梅屋敷に対して「新梅屋敷」と呼ばれたほどです。その後、
ミヤギノハギ、筑 波のススキなど詩経や万葉集などの中国、日本の古典に詠まれている有名な植物を集め、四季を通じて花が咲くように
しました。「百花園」の名称は、一説で は、「梅は百花に魁けて咲く」または「四季百花の乱れ咲く園」という意味でつけられたものです。
百花園は当時の一流文化人達の手で造られた、庶民的で、文人趣味豊かな庭として、小石川後楽園や六義園などの大名庭園とは異なった
美しさをもっています。
民営としての百花園の歴史は昭和13年まで続き、同年10月に最後の所有者の小倉未亡人から東京市に寄付され、翌14年7月に東京市が有料で
制限公開を開始しました。なお、昭和53年10月に文化財保護法により国の名勝及び史跡の指定を受けました。
花を見ないではいられない、自然の中で過ごしたくなって、ヨガでストレッチした後、今回は西日暮里、北千住を経由して行きました。
調べたら日暮里からバスもあるのですが、緊急事態宣言が解除されているせいか道路が混んでいるような気がして、全部鉄道にしました。
行きは急いでいたので正確に動ける電車でしたが、帰りはバスで日暮里まで出ました。道路は別に混んでもなく、途中都電に乗り換えの
駅もあり、家の方から乗っていく都電の行き先三ノ輪がこのあたりだということを初めて知りました。どんなところに行くのだろうと
ミステリアスな都電でしたが。帰りも都電に乗り換えればシルバーパスが使えましたが、帰って調べたら1時間近くかかることが
わかりました。
ヨガスタジオから一番近いのは小石川植物園でしたが、向島百花園のリンドウの花が一番見たかったので向島までにしました。
手を入れすぎていない、自然を残した庭が好きです。
この青空の下、向島百花園の前の行列ができるパン屋さんでパンを買って
お昼ご飯です。
和風鯖サンドとイチジクとクリームチーズのアンパン
鯖サンドには紫蘇の葉と多分蜂蜜梅干しで和えているような感じの鯖の甘辛煮が挟んでありました。
おなかがすいていたので、作ってきたコーヒーとパンを食べてから、秋の花を見つけながら
園内をくるくる歩き回りました。
ツワブキ
センニンソウの綿毛が見え始めています。
フジバカマ
萩
コセンダングサ
池のふちにたくさんのリンドウが咲き始めていました。
発見した時はすごくうれしかったです。
園の入り口に鉢植えもありました。
センブリも一輪だけ鉢植えでありました。
Oct. 30 2021 Mukoujima Garden