Reflections

時のかけらたち

目白庭園からスタートする一日 ・・・ starting a day from Mejiro Garden

2019-01-22 23:55:25 | a day in the life


池袋あたりはなじみのない場所で、学生時代から新宿、渋谷、銀座にはよく行ったけれど
池袋はなぜか遠い地でした。今ここに住んで、池袋は新宿に次ぐ近い場所となりました。
仕事を止めて、地域に目をやれば、落合あたりには画家や作家の家も残り、江戸の名残も多くあり、
おもしろい場所だと思い始めました。

いつか行こうと思っていた熊谷守一の美術館に行ってみようと計画を立てました。最近
池袋モンパルナスという地域にも興味を持ち始めました。佐伯祐三のアトリエが落合に
ありますが、池袋にかけていろいろな文化人が住んで、何かそういうエネルギーがある町
だったのですね。今ではあまり残っているものはなさそうですが。
そんなでこの地域に興味を持ち始めたら、私が今イタリア語とベルカント唱法をご一緒している
方が、池袋モンパルナスを作った初見さんという資産家の娘さんとひょんなことで知り合い
晩年力になったことをお聞きしました。点と線が繋がる感じ、時間と空間の線が繋がる感じって
おもしろいです。初見さんもアメリカに留学した人でしたが、そのお嬢さんという人も
女子大を卒業してからアメリカに留学して向こうで就職して離婚して子供と共に日本に戻り、
晩年はスペインで過ごそうとしたところ、やはり日本に戻ることになったという波乱万丈の
人生だったとのことです。日本人の女性で唯一New Yorkerに小説が載ったとか。三島由紀夫とも
対談して着物がうまく着れずに三島由紀夫に手伝ってもらったとか。友人も嘘かと思ったら
スペインの家に三島と一緒に写った写真があったと話していました。昔のことらしいけど。

文化勲章を断った「孤高の画家」の聖地には全国からファンがやって来る 椎名町・要町に初見六蔵
のことが出ていました。



17日の朝は富士山がバラ色に輝いていました。




朝サラダをたくさん作って、ランチに持って出かけました。




目白庭園でランチです。近くにパン屋さんがあったので、クロック・ムッシュウみたいなペストリーを
一つ買って持っていきました。




散歩に数名いるだけの静かな公園。散歩してきたおじいさんが鯉は寒いとじっとしていると
教えてくれました。この日は水が少し温んできていたのか少しだけ動いていました。










飛び石のところで人が来たのに気が付かなくて、なかなか撮れなくて苦労していたら
上の方で紅梅が咲いていたのを教えてくれたのはお昼休みに散歩のサラリーマンか・・














































やっとみつけたロウバイ。入口にロウバイが咲いていると書いてあった。










この日は夕方家にいないといけなかったので、熊谷守一美術館を目指して歩きはじめました。





途中何度も地図片手に頭の中のナビを修正しながら、カトリック豊島教会を過ぎ千早1丁目の信号まで
やってきました。スマホの現在地情報をonにしておけばいいのにね。

当初の予定だと目白庭園 - 熊谷守一美術館 - 祥雲寺 だったけど、美術館はまたゆっくり来ることに
して祥雲寺のカフェを目指して進みました。

熊谷守一美術館の他は鬼子母神とか椎名町の旧宣教師館等を訪ねる散歩道があります。
池袋から始まるウォーキングもいろいろ楽しめそうです。


Jan. 18  2019   Mejiro Garden
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織と染の技 ・・・ art of weaving and dyeing

2019-01-21 23:59:22 | art
お正月を過ぎて、出来上がった着物を銀座まで16日の通院のついでに取ってきました。
二葉苑さんは昨年末に出来上がったというメールで取りに行ったら、まだで新年になってから
送られてきました。

昨年末の私の思いがけない出会いです。着物だと簡単に乗り越えられてしまうのが恐いです。
江戸小紋と更紗のコラボと米沢織の新しい試みです。

五代目・砂川裕孝氏による江戸小紋 松綱 と私が江戸更紗を習っていた二葉苑がコラボした
江戸小紋×江戸更紗という試み。 昨年教室の作品展を見に行った時にちょうど砂川さんが染の小道紺屋巡り
のイベントで話をしていたところでした。かけてあったピンク色の小紋がいい色で明るい色が着てみたいと
どこかで思っていたのか、顔映りもよく仕事もやめてもう買えないのだけど、自分の老後の安心な生活の首を
絞める形でお願いしてしまいました。砂川さんがいたので、八掛や仕立て代はすべてサービスとなりました。







こちらの色の方が近いです。


もうこれで最後という気持ちでしたが、「とみひろ」の感謝祭に行って、ちょうど米沢織の職人さんたちが
何名が来られていて、気になる工房があり、こちらは私の来年の予算で買うことになりました。
何ということでしょう! 若い職人さんで社長さんが自分で工夫して作り出していったものです。
この筬園工房に関する記事のリンクを最後に貼りましたので、興味のある方はご覧ください。
クリムトの絵のようなちょっと洋服地のような感じもするのですが、その風合いと色の揺らぎが
素晴らしくて、私のところに来てしまいましたが、これで飛び降りるのも最後です。





光の当たり方で色が全然違ってしまう面白さがあります。






〜米沢織250年の美技〜 紅泥染展


驚きの揺らぎ織 紅泥染筬園(おさえん)工房へ



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樫本大進+プラハ交響楽団コンサートとヤクランドの説明会へ ・・・ concert of Kashimoto and travel briefing

2019-01-21 22:20:59 | music
今日は久々のb-iぺルヴィスという骨盤リセットの整体のようなヨガスクールの
レッスンに行ってきました。人間の体は関節の間が押されたりして歪んで来ます。
それを自分でリセット。終わると最初ずれて違う足の長さが同じ長さにあるべき形に
戻っています。不思議です。

ヨガで久々にいつも会う方にお会いしました。家の中でなんと箪笥に足をぶつけて
足の指を何本か骨折していたとか・・家の中でも気をつけちないとね。
昨日のイタリア語でも場所を提供してくれるトドちゃんが夜中に初詣に行こうと
したところ、転んで口の上を切って、すごく出血して救急車で病院に行って
何針か縫ったという話でした。その後元気にマスクをして、ご主人の仕事について
ハルピンまで行ったとかでした。私は氷の上で転んだのとばかり思っていました。

私も正月早々歯の治療や癌検診結果の精密検査のことで、病院とのやり取りやら
今日もクリニックから電話があったり、気ぜわしい、年の初めとなってしまいました。
自分では平均寿命くらいまで大丈夫かなと思っていましたが、いろいろ前倒しに
していかないとダメかなと思い始めています。片付けも必要だけど、心の片付けも
必要。

思ったよりさらに残された時間は少ないかもしれないと思ったり・・ 
これからの再検査により、どういう状況かわかると思いますが、いずれにしろ
もっと強くこの世界との別れも意識して行かないといけないのだと思いました。
一日一日を大切に生きて行くだけだけど・・

母が晩年になって、やっとお酒を楽しもうと思ったら、肝臓が悪くなってすぐ飲めなく
なったことがありました。私もやっと自由な時間ができて、旅行もできるように
なったけど、あまり楽しむこともできなかったりして・・
貧乏性の私はパート募集とかの張り紙があるとつい目が行ってしまいます。



1月17日(木)

精密検査をする病院のヒアリングとかして何とか方針が定まり、午前中は新橋の
ヒマラヤ観光開発でヤクランドの久保さんの今年のブータン、ヒマラヤ旅行のラインナップの
説明を聞きました。仕事をしていた時は行けなかった時間帯です。

昨年久保さんにお会いして染めや織そして花が見れることブータンの昔ながらの
生活をしている国を訪ねたくなりました。トレッキングの旅も多く、昨年ちょっと北志賀で
歩いてもトレッキングは無理のように思いました。観光旅行ではないので、なにか人間が
生きることを感じる旅だともいますが、ヒマラヤの仏教文化も素晴らしく、ブルーポピーも
何種類も咲き、染織の旅でも土産物屋なし、泊まるところは最初はホテルではなく
避難訓練だと思ってほしいと言われるようなところ・・やっぱり花や寺院も見るところが
いいかなと迷ってしまったり・・・
説明を聞いていたほかの方のうち女性二人は昨年ブータンの旅行に行って、ヒマラヤとかその辺の
魅力にはまってしまったようです。やはり織物をされている方たちです。
帰りにその方たちとご一緒して、駅前の古いビルで中華粽とビーフンのランチをいただきました。



まだ自分の今後がどうなるかわからないところで、落ち込んで何もしたくなくなったり、何をしても
意味がないと思ったり、また逆にやる気が出て、早くいろいろしないとと思ったり、揺れのあるこの頃
ですが、もっと気持ちが平坦になって、何があっても落ち着いて過ごしていきたいです。

旅行も逆に観光ではなく、何か人間を感じられるところ、または人間が生まれた地、アフリカあたりに
行って、エネルギーをもらいたいとアフリカを撮る写真家の話を聞いて2年くらい前に興味を持ちました。

ランチを一緒にとって家に帰り、夕食の準備をしてから夜は都民劇場音楽サークルの定期公演に
でかけました。





プラハ交響楽団コンサート
於)東京文化会館大ホール
2019年1月17日
アーティスト
指揮:ピエタリ・インキネン
ヴァイオリン:樫本大進





プログラム
ブラームス:ヴァイオリン協奏曲
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

アンコール
<樫本 & インキネン>
バルトーク:ヴァイオリンのための作品全集より
      第14番 ピロー・ダンス
<オーケストラ>
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲 第10番 第8番

樫本大進のヴァイオリンの音はほんとうに穏やかでやさしいけれど なぜかこの日は
いい気持ちにはなったけれど音楽が入ってこなかった。
指揮者やオケのせいかわからないけれど・・・あまり引き込まれなかったというのが
このコンサートの感想です。新世界も中学の頃、初めて叔父に買ってもらった誕生祝の
LPレコードだったのにね。カラヤン指揮、ベルリンフィルでした。
アンコールのスラヴ舞曲は良くアンコールに使われるけど、のびのびした演奏で
自由に流れて素晴らしかったです。 指揮者のインキネンは若い人でエネルギッシュでは
あったけれど、全体的にどうも何か私にフィットしませんでした。
最初のブラームスのヴァイオリン協奏曲はこんな曲だったかしらと家に帰ってから
ヒラリー・ハーンので聴き直しました。
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見事に咲いていた白梅と最後にみつけた侘助 ・・・ white plum blossoms & Wabisuke

2019-01-20 23:44:47 | seasons
小石川後楽園でロウバイを見た帰りに一回り目では気が付かなかった満開の白梅「光圀」
の横を通りました。































お弁当を食べたベンチ




橋の前を鴨が横切りました。
水の中で橋の下をもぐって移動していた鴨もいました。













有楽椿 
ウラクツバキ(有楽椿)。普通は‘タロウカジャ(太郎冠者)’、または‘ウラク(有楽)’、と呼ばれる。一重・中輪・筒咲き
~ラッパ咲き。12~4月咲き。花には香りがある。葯は不完全で花粉を作らない。かなり結実しづらいが、まれに出来た種子から
ワビスケが生じることがあり、すべてのワビスケはこのウラクツバキから生じたと考えられている。



















シロヤマブキの実



侘助










寒椿?










帰りは水道橋を抜けて、お茶の水まで歩くことにしました。
途中オフィスの中が見えて、プロジェクターでプレゼンをしながら打ち合わせをしている風景が見えて
仕事をしていた時のことを思い出しました。

私が仕事をしていた学術団体で、最初は総務や経理を担当していて、内部の人としか接していなかったのですが
部会を担当するようになってから、外部の先生や研究者のお世話をするようになり、そこで初めて、社会には
こんなに素晴らしい人がいるのかと思いました。その中で特に東大名誉教授で当時は法政大の工学部の先生を
していらした北森俊行先生は大人の世界ってこういう人たちの世界なのだと初めて思った人です。
何よりもユーモアのセンスがあるところがすばらしかったです。20年も前に名誉教授でいらしたので
かなりのご高齢ですが、インターネットで調べたら、今でも若い人たちのために力を惜しまず、教えていらして
いる姿を拝見して(実はもうなくなられたのではないかと心配していました)、勇気づけられました。
ある時会議の後で飲んで、委員が先生にどういう人を頭がいい人というのですかと聞いた時に、自分が何に
むいているのかを知っている人かなと答えられていたことを覚えています。自分を生かすことを知っている人という
意味かしら・・

Jan.16  2019   Koishikawa Korakuen
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蝋梅の花を探して公園をもう1周 ・・・  walking two laps to look for wintersweet

2019-01-19 23:23:00 | seasons
振出しに戻り、もう一度蝋梅を求めて公園の端っこまで歩きました。
どこの公園でも今一番の見ごろがロウバイです。



また橋を渡って、梅林の方に向かいました。







渡った先にいつもいるハックン











梅林の奥の奥に蝋梅の花が咲いていました。



  


 



 
















































































ロウバイとソシンロウバイを何時も逆に覚えていたような・・
ソシンロウバイ(素心蝋梅)は、花びら、花芯まですべてが黄色一色。花びらが同じ色の花のことを、
中国では「ソシン(素心)」と呼ぶことが、名前の由来となっているとのこと。
ロウバイはソシンロウバイと違い、家臣が赤い色をしています。


Jan.16  2019   Koishikawa Korakuen

 
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静かな公園で ・・・ in a quiet park

2019-01-18 23:05:34 | wonderland
今日も目白庭園から池袋の祥雲寺まで歩いて1万歩は越えたけれど、16日も
小石川後楽園から東京医科歯科大までJRで二駅歩いて、その後銀座へ行って、
家に戻って近くの歯科に行くというかなり合理的に動けて、歩いた距離は9kmを
越えました。用事をまとめて動くという昔の悪い癖ですが、小石川後楽園では
お弁当を作って持っていったので、充分2周もできました。

医科歯科大へは無呼吸の検査機器を返すだけだったので、待ち時間なし。
お天気もいいし後楽園に行きたくなってしまいます。梅が少し咲いていると
ネットに出ていました。

飯田橋の駅で降りて小石川後楽園に向かいます。



入口のこれは何かしら?




お弁当を作って来てよかった。涵徳亭(かんとくてい)は今年5月までまだ改装中。


人がほとんどいない公園をゆっくりと歩いて、梅林に向かう。暖かい日差しが嬉しい散歩日和、
橋を渡っていたら何か鳥たちが騒がしい。上を見たらエナガが数羽忙しそうに動いていました。

まさかエナガに会うとは思っていなかったので、マクロレンズのみ。何とか撮れたけれど、
前回おとめ山でも肥後細川庭園でも少し遠くの鳥は全く撮れなくて精神衛生上良くないことに
気が付きました。やっぱり望遠レンズがないと無理ですね。軽いのを選ぶしかないのですが。

エナガに歓迎のあいさつをされるとは・・・





















この遠さです。













この木何の木? 赤坂の路地に植えられていたのと同じようだったので、写真を撮って後から職員の人に尋ねることに
しました。







秋と冬と春が混ざり合った季節















池の周りのベンチに座ってお弁当を広げました。

























止め石




































入口に戻って、赤い実を調べてもらいました。木の図鑑を開いて、モチノキではないかとのことでした。
見つけられなかったロウバイは何と梅の奥の方で、もう一度行ってみることにしました。梅がまだあまり咲いて
いなかったので途中Uターンしてしまっていたのでした。


Jan.16 2019  Koishikawa Korakuen



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冬薔薇と女性コーラス「花の風」 ・・・ winter roses and a female chorus " wind of flowers"

2019-01-17 23:56:19 | seasons
昨日、おとといと無呼吸症候群の定期検査のためにお茶の水の病院まで通っていて、ついでに精密検査について
インフォメーションで相談してきました。新宿区の癌検診で引っかかると新宿区指定の病院に紹介状が
書いてもらえるのだけど、どうも聖母病院にしても山手メディカルにしてもピンとこないし、東京医大は論外。
それで医科歯科大に相談したら、今かかっている呼吸器内科が肺がんの精密検査をするところだから検査結果
だけで紹介状はいらないことがわかりました。慣れているし信頼できるところの方がいいので、クリニックの
明日の再検査の方針の相談をキャンセルして、通院している呼吸器内科に確認の電話をして、来週の通院に合わせて
先生に意向を伝えてもらうことにしました。やっと1件解決。

               

写真は14日の紀尾井テラスの続きです。

紀尾井テラスのガーデンで秋薔薇の名残かまだ花がいくつか残っていて、1月にも薔薇が咲くのかと驚きました。
この残っている薔薇になぜか心魅かれました。冬の陽だまりの中に静かに咲いています。薔薇にしては寡黙。















































紀尾井ホールはたくさんの人でにぎわっていました。

女声合唱団 花の風 First Concert
2019年1月14日(月) 開演:14時
紀尾井ホール

出演者 女声合唱団 花の風(合唱),岸 信介(指揮),由良郁子(Pf),なかにしあかね(Pf/委嘱作品自演)
曲目 なかにしあかね:女声合唱とピアノのための組曲「花の風」
中田喜直:女声合唱曲集Iより
信時 潔:女声合唱組曲「沙羅」
なかにしあかね:エミリー・ディキンソンの詩による5つの風景「心の扉」─委嘱初演─


私がこのコンサートに誘っていただいて、行ってみたいと思ったのはエミリ―・ディキンソンの詩を
歌にしたものがあったからです。

なかにしあかねさんは花の風で星野富弘さんの詩に作曲していましたが、エミリ―・デッキンソンの詩を
ご自分で訳して曲をつけていました。とてもいい作品で、合唱も調和があり美しかったです。

久しぶりにデッキンソンの詩を見てみたくなり、亀井俊介対訳の本をめくってみました。
なかにしあかねさんは5曲作曲していましたが、その中から 「水」と「夕陽」と 他にお気に入りの中から
「悲しみのようにひそやかに」を紹介します。




WATER is taught by thirst;
Land, by the oceans passed;
Transport, by throe;
Peace, by its battles told;
Love, by memorial mould;
Birds, by the snow.

水 それは喉の渇きが教えてくれるもの
大地 それははるかに過ぎた大海原が教えてくれるもの
よろこび それは悲しみが教えてくれるもの
平和 それは戦いがおしえてくれるもの
愛 それは思い出の鋳型がおしえてくれるもの
小鳥たち それは雪が教えてくれるもの   
                 (なかにしあかね 訳)

Blazing in Gold and Quenching in Purple(夕陽)

Blazing in gold and quenching in purple,
Leaping like leopards to the sky,
Then at the feet of the old horizon
Laying her spotted face, to die;

Stooping as low as the kitchen window,
Touching the roof and tinting the barn,
Kissing her bonnet to the meadow,—
And the juggler of day is gone!

金色に燃え上がり紫に沈み

金色に燃え上がり紫に沈み
豹のように空に跳び
それから昔ながらの地平線の足もとに
斑点のついた顔を横たえて死に備え
かわうその家の窓まで低く身をかがめ
屋根に手を伸ばし納屋を色に染め
牧場に向けて帽子で投げキッスをし
一日の魔術師は行ってしまった
               (亀井俊介 訳)



合唱曲とは関係ないけれどお気に入りの詩を

As imperceptibly as Grief by Emily Dickinson

As imperceptibly as Grief
The Summer lapsed away --
Too imperceptible at last
To seem like Perfidy --
A Quietness distilled
As Twilight long begun,
Or Nature spending with herself
Sequestered Afternoon --
The Dusk drew earlier in --
The Morning foreign shone --
A courteous, yet harrowing Grace,
As Guest, that would be gone --
And thus, without a Wing
Or service of a Keel
Our Summer made her light escape
Into the Beautiful.

悲しみのようにひそやかに
夏が過ぎて行った--
ついにあんまりひそやかなので
背信とは思えぬくらい--
ある静けさがにじみ出てきた
すでにもうとっくに始まっているたそがれのように、
あるいはひとり引きこもって
午後を過ごす自然のように
夕暮れは前より早くたれこめてきた--
夜明けはよそよそしく輝いた--
立ち去ろうとする客のように、
丁重な、しかし胸をしめつける優美さ--
このように翼もなく、
船の便もなくて
私たちの夏はかろやかに逃げて行った
「美しきもの」の中へ。
             (亀井俊介 訳)


Jan.14 2019 Kioi Garden
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紀尾井テラスのお正月 ・・・ Kioi Terrace in new year

2019-01-16 22:16:56 | wonderland
昨日の夜だったか、おとといの夜だったか私はブルーを抱きかかえて久しぶりのホワホワを
感じました。娘にブルーが帰って来たよと知らせようと思って目が覚めて、夢だったことがわかりました。
あまりにもリアルな感触で驚きました。そのあとですごく悲しくなったけれど。

お正月に日枝神社にお参りに行くことが多いので、紀尾井テラスにも時々行っていましたが、ここのお正月は
草月のいけ花が斬新です。豊川稲荷の後で向かいました。





























裏に出ると赤坂プリンスホテル旧館がバラの花に似合っていました。




























お散歩チワワちゃんも凛々しくポーズをとってくれました。




この奥の方に来たのは初めて。家族で犬を散歩させている人がいました。この元赤坂プリンスホテルの後には商業地
オフィス、住居、ホテルができました。こんなところに住んでいる人がいるのですね。声楽にもミッドタウンに住んで
いる人が来ていますが、現実にそういう人達がいるのだと驚くばかり。世界的に貧富の差は大きくなるばかりとか。







ヒイラギナンテンの青い実















紀尾井ホールに向かうため外に出て歩くとすぐ右に曲がれば維新號があります。上智大学の中の
クルトルハイム聖堂で結婚式を挙げて、ここ維新號で披露宴をしました。こじんまりしたお食事会と
いったところ。主賓の専務がご馳走様とおっしゃって帰られたのが面白かった。
今でも維新號があるのがうれしいです。


ランチはテラスの中の南インド料理「エリック・サウス」でミールズを。南インド料理は結構好きで、
八重洲の「ダバ・インディア」御徒町の「アーンドラ・キッチン」そして八重洲の「エリック・サウス」
とかおいしいところが多いです。時々行っていたのにミールズの食べ方を知らなかったので、今回食べ方を
教えてくれるこのお店に行ってみることにしました。サラダかヨーグルトか選べますがヨーグルトをカレーに
かけて食べるのがおいしいとか。じゃがいものおかずもおいしかったです。以前ほかのお店でキャベツと海老
をココナッツと炒めたのがおいしくて家でも作ったことがありました。









大根のお漬物



チョイスしたのははちみつバターチキンとビーフのカレー。魚のカレーでぶりとムール貝のが食べてみたかったけど
さらに高くなるのでやめました。



合唱のチケットをいただいていたので叶 匠壽庵の季節の生菓子「招福豆餅」を買って持っていきました。家用にも
買ったのですが、柔らかくておいしい豆大福でした。


Jan.14 2019 Akasaka
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過去と現在のクロスオーバー ・・・ where the past and present intersect

2019-01-15 15:11:22 | wonderland
2019年の幕開けは健康メンテで始まりました。歯医者通いから、半年に一度の無呼吸症候群のチェックで呼吸器内科と
歯科へ、そして肺癌の精密検査に向けてクリニックで説明を受けてから、検査病院を選ぶことにしました。
病院のスケジュールでいっぱいです。最近の記憶の低下も心配だけど・・とにかく人の名前がすぐ出てこないことが
多くなってきて・・
まぁこういうことも仕事をしているとなかなか進まないのでもうそういうタイミングなのかと思ったり。

昨日は午後紀尾井ホールで義理の姉の友人が合唱のコンサートを開き、チケットをいただいたので行くこと
にして、その前の時間を娘と豊川稲荷にお参りに行って、紀尾井テラスの南インド料理をいただくことにしました。
娘は合唱に興味がないので、声楽を一緒に習っている方とホールで待ち合わせました。

赤坂見附は主人の会社があったところで、若かりし頃、通ったアトリエがあった場所でもあります。
K建設の裏の路地に古い家がならび、1件家を会社の美術班に貸していました。そこでは彫金と油絵を
することができました。

今では古い路地はなくなり、すっかり整備されていました。40年も前に通っていたアトリエの近くの家からは
三味線の音が聞こえて来ていました。

その時の彫刻・彫金は芸大教授だった伊東 傀(かい)、油絵がご主人の古茂田守介のあとを継いだ古茂田美津子さん
に習いました。




古茂田先生からいただいた結婚祝いの花嫁人形の絵。アトリエでは結婚したら皆さん描いてもらえるので
これ欲しさに結婚したくなりそう・・・







この歩道橋を降りて、細い路地に入るとぼろい2階建ての建物があってみんなで油絵を描いたり、デッサンしたり・・・
彫金は同じ曜日に別の部屋でしていました。







少しだけ先に行くと豊川稲荷があります。
























































帰りにアトリエがあった路地はここかしらと覗いてみる。今では建設会社の別棟が建っています。
角に酒屋さんがあったよね。彫金から始めて絵も描いていたけど、真夜中に車で西伊豆旅行に出かけたり、北海道の
スキーや初めて上高地に行ったのもこの時の仲間。遅れてきた青春だったかも。学生時代は学生運動が盛んな時代で
遊ぶということはなかった記憶。




アトリエで絵を描いた後は一ッ木通りのしろたえやカフェ・イ・アルテでお茶を飲んだり、ディスコに行ったこともあったり、
銀座の日本酒センターで日本酒を飲んでみんなと話したり、春の上智大土手の寒~い夜桜のお花見もいい思い出です。




豊川稲荷でもらった御朱印。豊川稲荷の御朱印帳が榛原の和紙でとてもかわいいので今の大観の下谷神社のが終わったら、
手に入れたいものです。

ここから紀尾井テラスとそのあと紀尾井ホールへと向かいました。紀尾井テラスは旧赤プリ後に建った建物。



昨日も合唱から帰ってからもQUEENをたくさん聞いてしまいました。


No-One but You (Only the Good Die Young)



These Are The Days Of Our Lives



Teo Torriatte

When I'm gone
No need to wonder if I ever think of you
The same moon shines
The same wind blows
For both of us, and time is but a paper moon...
Be not gone

Though I'm gone
It's just as though I hold the flower that touches you
A new life grows
The blossom knows
There's no one else could warm my heart as much as you...
Be not gone

Let us cling together as the years go by
Oh my love, my love
In the quiet of the night
Let our candle always burn
Let us never lose the lessons we have learned


手を取り合って このまま行こう
愛する人よ
静かな宵に
光を灯し
愛しき 教えを抱き

Hear my song
Still think of me the way you've come to think of me
The nights grow long
But dreams live on
Just close your pretty eyes and you can be with me...
Dream on

手を取り合って このまま行こう
愛する人よ
静かな宵に
光を灯し
愛しき 教えを抱き

When I'm gone
They'll say we're all fools and we don't understand
Oh be strong
Don't turn your heart
We're all
You're all
For all
For always

Let us cling together as the years go by
Oh my love, my love
In the quiet of the night
Let our candle always burn
Let us never lose the lessons we have learned


Jan.14  2019  Akasaka
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あの頃 ・・・ in those days

2019-01-13 23:42:07 | souvenir

 
                                                   Pillar Cottage Hawkshead

何時もカメラを持って出かける時に、一応試し撮りをしていくことにしています。
前みたいにメモリーカードが入っていなかったみたいなことがないように。
今まではブルーを撮っていたのだけど、本箱の中のスーベニアを撮ってみたらかわいかったので
続けて撮ってみました。



                                     有名なアルベロベッロの家

亡くなった義理の姉が旅行をしたときに、お土産に一つずつ買ってきてくれたものです。
他にも娘のかわいい洋服や、私もパシュミナのストールとかいろいろなものをもらいました。
彼女には私たち家族が一番お世話になり、華々しく人生を通り過ぎた人でした。相談に乗ってもらったり、
娘が熱を出した時とか、保育園に迎えに行ってくれたり、主人が具合が悪くなった時に病院に行ってもらったり
私たちが生きて行くのに誰よりもお世話になった人です。娘は小さい頃土日になると熱を出して
病院周りをしていました。その時の女医さんに3歳児なんて人に迷惑かけないでは生きて行けないわよと
言われました。仕事を持っているとそういうことになります。義理の姉はピアノの先生をしていて、都民劇場も
お友達と行っていたのですが私を誘ってくれました。そのころは私は5階の一番下のランクでしたので、休憩時間
に会ったりしていました。今でもその時のお友達の一人とコンサートをご一緒しています。もう一人の方は悲しみの
あまり、来なくなってしまいました。


                              主人が買っていたSt.George's Church

子どもが保育園に行っていた時の朝とかどうやっていたのかもう記憶がなくなっています。
仕事に持っていくお弁当を作ったり、朝の片付けもして、子どもと一緒に保育園によって通勤して・・
そんな大変なことしていたのかと今では思います。もっと小さいころは夜中の洗濯が大変だったけど。
仕事から帰る時も残業なしで帰る時間までに靴をウォーキングシューズに履き替えて、時間になったら
駆け出して保育園にお迎えに行って・・ 仕事で帰れなくなった時は児童館(学童保育)の頃だったか
お友達のお母さんに連れて帰ってもらって、家に一人でいて、電話をしても泣き声だけで、ものすごく
せつなかったときがありました。主人はそんなに帰りが遅くなかったから入院してたのか、道路が渋滞してたのか
もう生活の記憶も薄れてきています。その時はナショプロの事務をしていて、とても大変だった時代でした。
私の仕事で大変だったのはナショプロと経理の担当になった時と、いきなり国際会議の担当になった時だったけど。
ナショプロで共に仕事をした企業の研究者はその後肺癌で亡くなりましたが、同志という感じでした。
体調を悪くして病院に長くかかっていたのですが、病院で早期発見ができず残念でした。自分が癌になるなんて
信じられないと話していましたが、徐々に受け入れて行ったのでしょうね。亡くなられた後論文賞を
受賞して、代理で表彰された奥様とお嬢様に早稲田大学のキャンパスでお会いしたことがありました。
ナショプロの仕事をしていた頃、奥様は司法試験を目指していてその後パスしてそのキャリアを続けて明日に向かって
いる感じがしたことを覚えています。

国際会議の担当がいきなり回ってきたときが、一番つらくて毎日朝5時に起きてボッチェリのCon te partiroを聴いて
一日をスタートさせていました。上司にはいつになったら笑ってくれるかといつも言われて。それでも時間が解決します。
国際会議が終わりさえすればという。その後パワハラやセクハラ問題で上司が次々変わり、その次の上司は
さすが問題のない人でしたが、出向元の企業の定年となった時に鬱になってこれなくなってしまいました。その後時間が
かかりましたが治って今では定年退職をしたら5つ以上の趣味を持たなければダメと教えてくれました。
なんだかこんな小さな世界でもいろいろなドラマがありました。

聴き飽きるほど聴いたボッチェリの歌っていた曲をこれから練習することになりました。
20年も前の曲ですが、最近歌っているのがあったので貼り付けました。イントロの早口言葉が難しい。



Con te Partirò

Quando sono solo
E sogno all'orizzonte
E mancan le parole
Sì lo so che non c'è luce
In una stanza quando manca il sole
Se non ci sei tu con me, con me
Su le finestre
Mostra a tutti il mio cuore
Che hai acceso
Chiudi dentro me
La luce che
Hai incontrato per strada

Con te partirò
Paesi che non ho mai
Veduto e vissuto con te
Adesso sì li vivrò
Con te partirò
Su navi per mari
Che, io lo so
No, no, non esistono più
Con te io li vivrò

Quando sei lontana
Sogno all'orizzonte
E mancan le parole
E io sì lo so
Che sei con me, con me
Tu mia luna, tu sei qui con me
Mio sole tu sei qui con me
Con me, con me, con me

Con te…



                                 結婚の時お祝いにリクエストしてもらったガラスのオーケストラ

コン・テ・パルティロ Con te Partirò
タイム・トゥ・セイ・グッバイ Time To Say Goodbye

一人きりのとき水平線を夢見た
そして何も言えなくなった
太陽 そうあなたがいないと
部屋に陽の光は降り注がない
私のそばにあなたがいなければ
窓辺からみんなに見せて
あなたが火をつけた私の心を
私を満たして
あなたの人生で出会ったすべての光で

旅立ちのとき
誇りを持って生きてゆけば
水平線も遠くはない
新たな場所で生きていく
さあ旅立ちのとき
船にのり 過去という海をわたり
さあ旅立ちのとき

あなたと遠く離れていても水平線を夢見る
そこに言葉は必要ない
あなたはいつも私のそばにいるとわかっているから
月のように私のもとを離れず
太陽のように私のそばにいて

旅立ちのとき
誇りを持って生きてゆけば
水平線も遠くはない
新たな場所で生きていこう
さあ旅立ちのとき
船にのり 過去という海をわたり
あなたとともに私は生きていく

旅立ちのとき
船にのり
過去という海をわたり
あなたとともに私は生きていく

旅立ちのとき

私はあなたとともに


やっぱり最後はQueenで

Freddie Mercury  Forever




コメント (2)
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