碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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週刊読書人に、小説「寺内貫太郎一家」について寄稿

2021年08月02日 | メディアでのコメント・論評

 

週刊読書人に、小説「寺内貫太郎一家」について寄稿しました。

 

 

深い洞察力から「家族」を大切に描いた

向田邦子著「寺内貫太郎一家」新潮文庫

 

今年5月30日、作曲家の小林亜星が亡くなった。半世紀近く前、その顔と名前を全国区にしたのは、1974年に放送された向田邦子脚本『寺内貫太郎一家』(TBS)である。

演技経験のない小林が快演した貫太郎は東京下町の「石屋」だ。気に入らないことがあれば怒鳴り、ちゃぶ台をひっくり返す、どこか懐かしい「昭和の頑固おやじ」そのものだった。

妻・里子の役は加藤治子、娘・静江が梶芽衣子、そして息子の周平は西城秀樹だ。また沢田研二のポスターを見ながら「ジュリ~!」と身をよじる、貫太郎の母・きんを樹木希林(当時は悠木千帆)が演じて人気を博した。

家族の日常を喜劇的に描きながら、人生の深淵をのぞかせてくれた『寺内貫太郎一家』。実はこの頃までホームドラマと言えば「母親」だった。50年代の終りから約10年続いたシリーズ『おかあさん』(TBS)も、70年代前半のヒット作『ありがとう』(同)も母親を中心とする物語だ。「父親」を軸に据えた『寺内貫太郎一家』は画期的だったのだ。

放送の翌年、小説版『寺内貫太郎一家』が出版された。シナリオは登場人物が口にする「セリフ」と、動きなどを説明する「ト書き」だけで出来ている。細かな心理描写も可能にする小説は、向田の表現意欲を大いに刺激したはずだ。たとえば、こんな文章がある。

目方も人の倍なら、思いやりも人の二倍は持っているのである。ただし、稀代のテレ屋なので、情愛の伝達をひどく恥しがる。七十歳になる老母のきんに対しても、「年寄なんてものは、やさしくすると早死にするんだ」ときわめてそっけないが、そのかげで、ホロリとする親孝行ぶりをみせることがある。

貫太郎のモデルが向田の父・敏雄だったことは、作者自身が明かしている。石屋ではなく保険会社勤務だったが、その性格やふるまいには父の実像が色濃く反映されていた。また貫太郎の妻には向田の母が、そして貫太郎の母親には祖母の姿が重なって見えてくる。

自らが育った昭和の向田家を原点として、「家族」というテーマを大切に書き続けた向田。

今年は不慮の航空機事故で逝った向田の没後40年にあたる。彼女の深い洞察力から生まれる普遍的な言葉を求めて、小説・エッセイ・シナリオの全作品を読み直し、『少しぐらいの嘘は大目に―向田邦子の言葉』(新潮文庫)を上梓した。豊穣なる向田ワールドが再認識されるきっかけになれば、編者としてそれ以上の喜びはない。

(週刊読書人 2021.07.30)