碓井広義ブログ

<メディア文化評論家の時評的日録> 
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【書評した本】 『「八月ジャーナリズム」と戦後日本』

2021年08月21日 | 書評した本たち

 

 

時代を反映 戦争番組の視点

米倉律:著

『「八月ジャーナリズム」と戦後日本』

 

毎年八月、「原爆の日」や「終戦記念日」に合わせるかのように、メディアが戦争や平和についての報道を展開する。いわゆる「八月ジャーナリズム」だ。読者や視聴者に戦争という惨禍の実相を伝え、平和の大切さを再認識させる意義と同時に、その「風物詩化」と他の時期の「沈黙」を批判するニュアンスも込められている。

元NHKディレクターで現在は日大教授の著者が、1950年代から現在までの全ての年代における、NHKと民放の戦争・終戦関連番組を分析し考察したのが本書だ。見えてくるのは、全体的に戦争を「受難」の経験として伝えようとする傾向で、著者はこれを「受難の語り」と呼ぶ。

たとえば70年代のテレビドキュメンタリーの多くが、日本と日本人を「被害者」として扱っていた。番組にアジアが登場することは少なく、取り上げるのは「太平洋戦争」が中心だった。そこでは、「被害」や「犠牲」が強調されるほど、「加害」の側面は背後に隠れてしまう。

テレビ史上、「八月ジャーナリズム」の本数が最も多かったのが90年代だ。294本に達している。戦後50年という節目もあり、80年代末に登場した日本のアジアに対する「加害」というテーマが浮上し、番組化された。また、戦争における「被害」と「加害」を対立的に見るのではなく、重層的な相互関係として探っていく番組も出てきた。「NHKスペシャル 死者たちの声~大岡昇平・『レイテ戦記』~」(95年)などだ。背景には、戦後責任や戦後補償をめぐる社会情勢の変化があった。

近年、八月の戦争・終戦関連番組自体が減少している。特に民放で顕著だ。しかも「加害の語り」が後退し、以前のような「受難の語り」が優勢だと著者は指摘する。「八月ジャーナリズム」は時代を反映し、それによって社会に影響を与える、一種の合わせ鏡だ。その機能低下が意味するものとは何なのか。本書が明らかにした歴史的経緯を踏まえて考えていきたい。

(北海道新聞 2021.08.15)