katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ダイジェスト作品集を販売します

2014-12-21 20:42:34 | お知らせ

初回限定版は12/25受付分まで

このたびダイジェスト作品集を販売することにいたしました。皆様からの注文をまとめて製本発注する為、ご予約なしではお求めいただけません。アトリエに在庫も持っておりませんのでご了承ください。初回のご予約は12/25受付分までとさせていただきます。

詳細は「特殊造形装飾人KATSU」のホームページへ


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リピーターさん教室とシドさんのテーブル

2014-12-21 04:34:43 | モザイク教室

今日は午後からリピーターさん教室。そんなこんなでそれまではシドさんのテーブル。

 

深海に沈んだ海賊船のお宝・・・・そんなイメージ。その切なさ・・・って部分はそこそこ雰囲気は出て、丸の縁取りを始めたんだけれど、青く・・・って言ってたから、下絵の空白・・・白かった部分の色を考えて・・・可愛くする事にした。

簡単な話で、可愛く・・・って表現に切なくに繋がるイメージは無い。可愛いは小さかったりする。30cmよりも3cmの方が可愛く感じない?・・・そんな事を考えると、お客さんの青いってのと、本来の癒しって言うのを考えると、青いのは今までの上乗せ。

しかし癒しの部分に関して、今まで切なく・・・を意識して作っていたので、そろそろ癒しに方向転換を・・・となる。では癒しって?それがシドさんには2人の子供がいて・・・だから2色で青にした。しかも小さく切って・・・・。

小さい事は可愛いに繋がり、可愛いって言うのが、子供となり、子供って言うのは、お母さんにとって・・・・もしかしたら、時に癒しにもなるのかな・・・・?勿論、場合に寄っては、大変なんだよっ・・・何処が癒しなんだいぃぃって、言われるかも知れないけれど・・・。

ただそんな事はどうでも良い・・・って言うのなら、ただ細かくなっただけのパーツって言うだけなら、それはそれで、今までの作品には無い細かさだから、それはそれで珍しさととらえれば良い。しかもトンボ玉みたいなモノが好きって事もあったし・・・・

何しろ細かいってものが好きなのだから、情緒なんて別に・・・と言われても、ただ細かいだけでも見たまんまでも十分。本当なら、この2つの色違いの丸の中に子供の思い出なんかに繋がる何か?を入れられるとより情緒は出るんだけれど・・・・。

そんな中、ご都合で遅れるって連絡があって・・・・数時間後にスタート。今日から新作になったのだけれど、文字のデザインを自宅で考えてあって、寸法なんかも計って描いてあった・・・。所が最初のSが何か違和感があって、調べるものの結局Sは普通に・・・・。

ここが大事な事で、デザインとして独自な文字って言うのは消して悪い事では無いのだけれど、仮に自分のだから・・・と、自分が読めれば良いって言うのでは、一見それはそれで良さそうだけれど、もし誰かが見る事になった時に、何て描いてある?って表現を

された時に平気ならそれも良いだろうが、まずいくらデザインだとしても、文字は読めるべき。そこを曲げると考え方として、自分が判れば、品種が判らなくても・・・・別に・・・と曖昧になってしまう。きちんとまず最低限作ったものは判って貰える・・・ここを目指す。

それがきちんと出来る様になった人が、崩して・・・って言うのなら?そこは気崩しとなり、きちんと読めるものから崩す・・・となったり、きちんと見える品種にして、ウインクしたり、花が元気に見えたり、風に揺れたり、繊細な描写も出来たりするだろう。

それを何と無くで良い・・・となると、曖昧がグレードを下げる原因になる。そもそもこの方くらい、切れるようなら、いかにそこを忠実にするか?が上手くなる秘訣で、そこは曖昧にしない方が良いのね。

それで色々検討した結果、本人が是正してこうなったのね。ただいくらかラインなんかの乱れを直して、描き直しつつ下地に写して貰い、いよいよ縁取りを始めるのだけれど・・・・まずイメージを聞くと、さくらをバックに散りばめて・・・と言うのね。

そこで、それはモチーフの話で、じゃ例えば俺の今の作品は何色ですか?と言うと、・・・青って言うのね。それそれ。まずはシンプルにまずこんな事から考えるのね。ここがああ、ここがこう・・・そうじゃなくて、全体を考える事。

今の青って表現みたいに・・・・と言うと、ベージュ・・・って。なるほどね、それでは最後はベージュって表現をして貰えるように・・・作る。それをきちんと着地と考えて・・・ではそのベージュに合う文字の色は・・・・?って決めるようにする。

そう考えればトータルコーディネイトになる。けれど一つ一つ好みで繋げて行ったら、果たしてすべて上手く行くだろうか?そもそもそれだけ決まっているのなら、俺のように下絵をキッチリ描いて色を塗ると良い。そうすれば合うか合わないか?がハッキリする。

けれど文字以外は白紙・・・これでは気紛れが起こりやすい。そうならない為にも、たどり着く着地・・・それが今回はベージュ・・・そう言う着地で・・・と決めて貰った。ここが大事で、さっきの別に見えなくても・・・の考え方のままなら、別にお好きに・・・になる。

何故なら教えようが無いから。自分の中で決まった事があって、1ヵ月後に気紛れをされ、図面無し・・・それで何をどう教えるの?要するに自由って言う事は、ルールの元の自由であって、別に・・・と言われては、その都度やってしまった事に対して、どうしたら?となり、

やってしまった事のフォローしか出来ず、何をどう相談されれば良いのだろうか?にならないかな?つまり大体と言えど、着地を決めないと、例えば、バラードが作りたいんです・・・と言いつつ、テンポは速めで、暗いのは嫌だから、・・・ん・・・リズムは刻んで・・・。

と、自分の好きに作って行ったら?本当にバラードになる?つまり最低限、ここはバラードって思って貰うには何を押さえて置くべきか?になるのね。それを好きなものを集めて、果たしてバラードになるか?なのね。

要するにこの方に必要なのは、モザイクとしての切る、張るでは無くて構想。つまりオリジナルの譜面作り。それを作るには?なのね。それにはまず、何がこの作品で大事なのか?を1つだけ決める。

それによってそこから展開して行く。だからこれ、だからこれ・・・と。絶対に・・・って芯があると、ぶれる事は少ない。この場合、文字が入っているので、読めない・・・って言うのは有得ない。それを上手くなって隠し文字って言うのなら、まずそれに見えて隠すであって、

隠す前から読めない・・・は有得ないでしょ?こんな事を踏まえて、縁取りは?文字は?・・・・こうしたやり取りをして、タイルを持って帰ったんだけれど、何か初めて伝わったような気がした・・・・。教えたかった事が・・・。

そんな中、先生が切っているのを見たい・・・と言われたんだけれど・・・・。そう言えばキウイにも以前言われた事があったっけ・・・・。別に隠している訳じゃないので、軽く何枚か切って見せると、不思議そうに、それ何ですか?って聞かれたのね。

あぁ、以前オードリーに教えた事なんだけれど、切る事が上手くなったら、右手はリズムでカチカチと一定に刻む。ずっと機械のように・・・そこに左手に持ったタイルを入れるんだけれど、これはギザギザを直す時に使うやり方でね・・・・

ガチガチ・・・って1回1回入れるよりも、直るのが早い。けれど良い事と悪い事は背中合わせ。いかに左手を安定したままにしていられるか?になるのだけれど、それにはタイルをしっかり持たないとならない。

その持つ手で大事なのは左手中指になるのだけれど、爪が長いと無理なのね・・・・・。まっ次回はちょっと長く見せようかな・・・。けど見てるって、進まないんじゃないのかな・・・?なんて思ったり・・・・。

何しろ他で習った事のある方、すでにもうある程度作れていた事、オリジナルとは?・・・色んな事がある中、この文字の意味を聞いて、更にその意気込みを知って、それなら力まないで・・・になる。

意識が無いのなら、意識して・・・と言うが、意識をしたのなら、無理をせず、何しろ自宅でやる時に、それって美しい?迷ったら何度もつぶやく事。そうすれば、きっと結果は付いて来る・・・・もしどうしても悩んだら・・・・ここに来るまで保留。そして出来る事を進める。

ただそれだけ。それだけで質を落とさないで済む。マンツーマンって言うのは、俺と一緒に進めて行く・・・・そんな事だったりする。何が自分らしい作品か?・・・・とね。今までにない手ごたえが今日はあった・・・・そして今年のこの方のお教室が終わった。

 


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さくらと日高氏

2014-12-20 07:14:10 | モザイク教室

今日は午後からさくら教室。それまでの間、かぐやと昨日の夜、途中となっていた金魚のみの写真集って話から始まった・・・・。こう言う時って言うのは、完全に仕事の話になるのだけれど、問題は一体誰と何をしているのか?って事をきちんと理解しないと、

長い付き合いの中では、より判り合う事もあるが、なぁなぁになっている・・・とも言える訳で・・・・。これもまた逆も真なり。それが、その都度一体どの程度の割合で起こり、それが一体どの程度の話の時に現れるのか?そして許せる範囲は何処まで?となる。

しかも、人はそう変わらない・・・と言うのなら、常にどんな時にそうなるのか?嫉妬、みたみ、欲望・・・・人を狂わす気持ちって言うのはいくらでもあって、前フリとしてそう言う事になってしまう前に、必ず前兆と言うものがある。

本来、いつものかぐやって言うのなら、相談相手として信用があるし、ある程度やって欲しい事を伝えると、それについて気が利く用意がされる事が多く、会社であったのなら有能な社員であろうと思う。

ただこれがひとたび夜叉が取り付いてしまうと、別にどうでも良いや・・・とあからさまに豹変する。これが夫婦の関係のような場合、第三者がいない分、向き合えば必ず取り返しの付かない事へ発展したり、逆に沈黙で応戦すると言った方法や、手法としてその案件での、

重みやその時のかぐやの夜叉具合で攻撃性が変わって来る。では本来のかぐやが優秀と判断してスタート・・・と考えると、0から一体どの位のプラスと考えられているか?となると、優秀って言うのは、普通とは明らかにポイントは違っていて、数字で判りやすくすると、

人より100ポイントプラスだったとする。つまりプラス100がかぐやの普通となる。だから普通の人が3プラスで良いじゃんって言われる所、かぐやは97だと、調子悪いのか?・・・になったりする。その癖、103なんて中途半端な数字では、100も103も大して変わらない。

期待されると言う事は常にこう言う事を意味する。これが俺からの目線だとして、今度はかぐやからの目線で考えた時に、俺は師匠であり、いつかその時が来た時に横に立つ・・・と言う態度で臨んでいる姿勢を崩さなければ、常に一定の距離感で何も起こらない。

しかしながら、それだけの関係性では、会社の上司と部下の関係のようで楽しくは無い。しかも、賃金を支払っても会社として社員として・・・って統率されていたりしても、信頼関係で成り立っているようなものは中々お目に掛かる事は少ない。

ならば無償の今、俺がそんなに多くを期待する事は無く、これだけはするな・・・って言う数少ないルールだけを守って貰えば良い。それは何かと言うと、侮辱に値する事は言うな、するな・・・・だけと言っても良い。

こんな単純な事だけなんだけれど、夜叉が取り付いた場合、いくらでもこのルールは破られる。賃金が発生しないと言う事がいかにもろいと言う事が判る。そうね、例えばプロ選手の契約更改なんてシーン。

明らかに本人はアップのつもりだったのに、不平不満って態度の場合、恐ろしい程の提示に開きがあったと考える。明らかにちょっとでは無い。それが現状維持なら、ん・・・って感じで、痛し痒しの来年頑張ります・・・って感じ。

それが思わぬ予想外にアップならホクホク顔になったり、いずれにせよ、これだけ人は賃金で表現を変える。なのに俺に関わっていても、お教室の手伝いなら、わずかながらの賃金も支払われるだろうが、かぐやのように弟子であって、尚且つ日々の事務や、

こう言った写真集なんかのレイアウトみたいな作成などには、賃金は発生しないし、尚且つねぎらいの言葉すら無い。仕事を発生する為の下準備ごときにいちいちそんなものは無い。こう言うと、タダでやって貰って礼儀無しって話に聞こえるだろうが、

プロと言うのは結果がすべて。それを練習を何十日やった・・・とか、こんなに努力したのに・・・なんて言うのはアマチュアの話で、どんなに努力をしようが、言い方を変えれば、プロなら努力しなくて良いから結果を出せ・・・になる。

そう言う姿勢を崩すな・・・それを実践している姿を昨晩も見せていて、そう言う態度で臨むのは俺とて大変なんだ・・・と説明もしたのに・・・・残念な事に何も伝わらなかった・・・・それ所か、もうやめておけ・・・と何度も何度もチャンスをあげたのに・・・・それでもやった。

では何故こんな事になるのか?と言うと、かぐやは本来アトリエに毎日いたい・・・いつか売れて・・・と願っている。まぁその気持ちは俺と一緒である。ほら困った時は検証・・・ではこうやってすごろくのように進んだ時に、一体何処でずれて行くか?になる。

あはははは。まっ簡単な話で、ヒントはここにある。俺達は・・・と始まった場合、一緒と言うセリフとなる。つまり同じ目線である。がしかし、俺は・・・と始まった場合、線を引いた。つまり確実に何か考えがあって引いた線・・・・。

ではこの場合どうするのか?になる。果たしてさっきと同じで良いのか?それならわざわざ言い方を変えないし、変えても意味が変わらないのなら、変える必要は無い。違うかな?その時に、かぐやが調子が良かった場合なら、じゃこれもやっとくね・・・だろうね。

そうね、良くも悪くも師匠でも上司でも無く、判ったぁぁって感じ。けれど、そんな事はどうでも良い。賃金が発生してもいないのに、働く者に言葉遣いまで要求しようとは思わないし、プロは結果がすべて・・・と言ったんだから、おっ、気が利くじゃんで構わない。

ただ問題なのは、俺が・・・と線を引いた時に、覚悟を持って、意見の違う時に、私は・・・・と自分を語るのなら、おっこれは・・・と、聞きたくなる。何かこいつは自分を語る・・・・ってね。けれど、その俺は・・・と引かれた線の内容の中に、これからかぐやの言わんと、

している否定に聞こえるような事や、意見の食い違い、いずれにせよ、どうせ聞かないんでしょ・・・あぁもう良いや・・・と言う態度が、返事一つがいつもと変わって来る・・・・そんな場合、最初の私は・・・の熱意どころか、逆に雑になる。

今、俺が真の上司なら、お前の話を聞こう・・・って態度で臨もうとするが、こう言う事には気をつけろ・・・の諸注意で、もう良いですって話すのを止めた・・・聞いてと言って、もう良いや・・・・一体何様だ?って話になる。

では、俺とかぐやでの話を理解出来たとしたら、かぐやと誰か・・・の俺以外の人に変えて考えれば、何が変わって来るか?俺はかぐやの師匠であって上の立場であったりする。年齢だけでも・・・けれど現実こう言う事が多々起きる。

では、俺抜きの第三者とのやり取りになった場合、かぐやさん、でも・・・と意見を言おうとした時に、もし自分と違う意見だったとして、俺にも威嚇のような態度で望む者が、果たして他の人にはやらない・・・なんて変えられると思うのか?って話。

それを出来る。と断言するような奴は俺は信用が出来ない。むしろそこで、気が付くような奴で無いと、人の上に立つとか、師匠と弟子とは?・・・修行って何だ?・・・と、日々成長しているとは思えない。単に腕だけの人としかね・・・。

常に作る前の姿勢、態度で作るものであって、そう言う人が作るから人に凄いって言われるものであって、小手先のテクニックや大きさで凄いって言わせるものでは無い。今追いかけて来る人達の作品の凄さは、作っている人達よりも、かぐやが一番脅威であろう。

だからこそ腕で追いかけて来るのだから、作る姿勢がみんなと違う・・・その態度が心技体に繋がって行く訳で。そんな事を安定的に出来無いかぐやにもどかしいし、そいつに教える側として情けない・・・指導力の無さの露呈であるし、今更ながら信頼関係の薄さに

ただただ呆然としてしまう・・・。こんな程度か・・・伝わっているのは・・・と。毎日毎日積み重ねた10何年はこの程度だったかとね。ただ人としてはその程度かも知れないが、腕だけはあるが・・・。つまり人として器が大きくなれば、腕はこうして認めているのに。

しかしながら、そのモザイクの腕を人として要求するのは、認められればられる程、人の評価なので押し潰されるプレッシャーになる。そもそもへたっぴには掛からないものなのに、凄い上手い・・・って言われれば言われるほどね・・・・。

その時の為の心作りなのに、ばかちんなのは、強い心を意固地や頑固、曲げない姿勢なんて思ったりする。その態度になってしまった時、夜叉が取り付いた瞬間である・・・と気が付けば良いのに、取り付かれた事にすら気が付かない・・・・。器が知れている。

そもそも名は体を現すと言う。親がその思想を盛り込んだ最初の儀式・・・・それが正論なら、逆も真なり。アイドルの名前にしよっと・・・って親なら、それはそれで世間に縛られない生き方って思想だろうし・・・そんな中、かぐやもしっかり親が付けてくれた名前の中に弓って 

文字がある事を思い出せれば、意固地や頑固では折れてしまう木のようで、大木で台風でも倒れない根でも持っているならまだしも、そんなもろい心の根しか生えていないのなら、どんな風もしなやかにかわして、きちんと元通りに芯がある人になるべきで・・・。

千と千尋でも1万回見て勉強すんだなっ・・・って話。いくら俺が何回言っても信頼、信用が得られないのなら、宮崎さんのように成功者から習うんだな・・・ハクがいれば名前は大切なんだよ・・・・って教えてくれるんだけれどな・・・・あははははは。

いずれにせよ、何故こうなるか?は、俺とのバランス・・・もしかぐやが追い付いて来るスピードが速いのなら、俺との距離は狭まったはず。けれど、もし俺の成長が早かったとしたら?それがモザイクでは無く、心のね・・・・。いつか来る上に立つ準備として・・・。

これが理解出来たのなら、今度はかぐやと娘の関係なら、俺の役はかぐやになる・・・当然、きちんと俺と同等の指導力なら、かぐやに教わった生き様通りに生きる娘は期待出来るんだろうな・・・・なぁ、かぐや・・・となる。

ばかちん。お前程度の器じゃ預けられないなっ・・・って話。きちんと上に立つ者の娘・・・そう言う姿勢で取り組んで欲しい訳で・・・。それを理解出来ずして、棚に上げての指導、そして自分が出来もしないのに、俺の前でしかる・・・その程度の人間では情けない。

これからの未来の長い娘には、良き指導者で無ければ・・・・普通のお母さんなら、お前じゃなくても良い。変わりはいっぱいいる。かぐやの役目はかぐやが苦悩して行く姿を娘に見せ続ける事であり、もしその日がやって来たのなら・・・・

そう言う毎日があったから、普通とは違う毎日だったから、人とは違う未来になった・・・と自分の見て来た毎日を振り返る事が出来るだろうし、こんなの辛くて嫌だと言うのなら?・・・・さっさと卒業して適当に勤めれば良い。

けれど、それでも夢を追い掛けると言うのなら・・・・涙も流さず本気と言うな・・・ってな話ぃぃぃ。あははははは。そんな中、さくらに日高氏がやって来て・・・・ひとまず目地をして完成させた後は、ほぼほぼ雑談。

まずは日高氏がローマの件で、輸送する道具や材料のリストを作って来た・・・・ほぉぉぉ、やるじゃん。そもそもモンゴルの時は、そんな事、何にもしてくれなかった・・・・。おやまぁ、ちょっと進歩じゃん。

 そもそも、こんな簡単に変わった理由は何だ?って事になると、人に寄っては、モンゴルとローマの魅力の違い?何て事じゃない?何て思う人もいるだろうが、確かにそんな事も理由の一つかも知れないが、俺が思うのは、俺が車を購入なんて・・・貧乏にも程がある。

・・・そう判断をしたろう・・・そもそも最近、仕事の事もあるから・・・と言う理由もあるが、頻繁に現れる気がしないかな?しかもすでに2回は昼飯の心配までしてくれて・・・そして追い討ちに、俺に制作、仕込み・・・そんな事だけに集中させてくんない?・・・・って一言。

明らかにこんな事も理由の1つと思われる。それによって、モンゴルの時とは違い、俺は仕込みに専念出来るし、その間の日々の生活に時間を割ける・・・つまりお教室合間に雑用・・・なんて事をしなくて良い訳で・・・。だから、気持ちに余裕がある。

さて、こう考えると、日高氏にはローマって仕事で今年の付き合いは終わるって感じで、豪華な締めだし・・・と考えると、かぐやは特に何も無く終わる・・・もしここにいつかは一緒に・・・って気持ちなら、日高氏にはこうした事が起こって、かぐやには・・・となると、

今や必ず教室の手伝いに来るとは限らない・・・そうなると、オルタの玄関の時のように、建築のように大きい仕事でもない限り、中々かぐやに仕事が無い・・・。ただ、そう言う仕事を獲得する為の営業みたいなもんで・・・・。

今のかぐやの仕事はほとんどが裏方・・・・修行みたいなもん。時に夜叉になるのも判らんでも無い・・・がしかし、売れればやれなくなる・・・売れていない今だから、出来る事・・・と考えれば、折角出来る・・・と考える事で前向きになるんだけれど・・・。

まっ、とても難しいんだけれど・・・。いずれにせよ、かぐやが元に戻れば日高氏がモンゴルと違う分、あの時よりも何かが進む・・・。俺はいつもの通りでも、今までよりも少しだけ以前と違う何かを誰かがしてくれると、以前よりも進化は簡単なのね・・・。

それが本気なんか出してくれるのなら・・・・どうなるか?そんなの見た事無いから・・・・俺にも判らない・・・・。

 

 


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高洲公民館でのサークル活動

2014-12-19 06:59:43 | モザイク教室

今日は今年最後の高洲公民館でのサークル。そんな訳で支度をしてきちんと予定通りの9時40分に到着するも、えっ・・・何で?きちんと早めに着いたのに・・・・駐車場が満車・・・・しかも1台待っている・・・・こんな時間に待っているようじゃ空くはずも無く・・・・。

すぐにキウイに連絡すると、タピオカに連絡してマンションの駐車場を確保。そんなこんなで何とか・・・・到着。こんなの初めて。そんなこんなのスタートとなって・・・・。一体、何があったんだろう・・・・?

ではアルルの母さんから。ようやく完成・・・何と体験のプレート・・・つまり1回で終わるものに4回を費やす作品となる・・・。当然、経験者がそれだけの時間を費やせばこうなる・・・そう言う作品。そもそも初めての人達が3.4時間で作れる大きさのプレート。

それが経験者が16時間掛けたんだから妥協が無い・・・1つ1つのパーツの精度を見ても丁寧で、見事な仕上がりになっている。けれど、こんな作品を初めてやる人達の脇でやられたら、みんな終わらなくなってしまう・・・・作品としては上手くても、初心者とは一緒に

やらせられない・・・そんな感じなのね。ただ作品の良し悪しだけだったら、こんなに上手くなったんだ・・・って感心する。そんな中、更にまだ終わらないのかい?・・・って人がいて・・・・それがのりちゃん。

全くもう・・・のん気になっちゃってるぅぅ・・・ただ、本人がそれでも良いと言うなら仕方無いんだけれど、楽しければ良いって言うのならサークルってものはそんなもんかも知れないけれど、その都度いくらかのお金が掛かるのだから、そのプレートにあった時間と、

金額って言う適正があると思うのね・・・・。いくらなんでも4回は多過ぎる。この程度の大きさでは2回で何とかしないと、遊びにならないし、その間、本気の作品が伸び伸びになるのだから・・・・。だって年に12回しか開催されないサークルの4回を使った事になる。

先生としては何かねぇ・・・そう思わないかな?そもそものりちゃんは自宅で本気の作品を完成させて、これを先生のいる時に作る・・・完全に何かが変でしょ・・・?こっちに教える事はほとんど無いのだから・・・・。全くもうぅぅって感じなのね。

そんな中、お母さんが終了。

お見事である。確かに最初の2人と同じように思ったよりも時間が掛かってはいる。けれど、見た感じどうだろうか?同じ時間を掛けるなら、こちらの方が見ごたえは無いかな?・・・・教える側としても、教える事がいっぱいある。

しかも、みんなが凄いぃぃって言ってた。確かに可愛い作品も悪くない。けれど4回は多過ぎ。しかも、それだけの時間を掛ければ、2人もこう言う作品が作れる人達なんだけれど・・・・なるべく遊びの作品は自宅で終わらせて、教える作品で教えさせて・・・って話。

そんなこんなで新作の話をお母さんから相談されたが、大きい作品を作りたいと持ち掛けられたが、その下絵は人のデザインだったので、お母さんはオリジナルの方向で考えましょう・・・・とお話した。

こうしてたった1輪のバラが、みんなに評価をされる。もし先日の浦安市民展の作品のあやめの作品のように、今の実力で、このバラが3本あったとしたら?・・・・もうあの時の実力では無い。当然ながら、より良い作品となる事は言うまでも無い。

そんな人が人の絵で・・・ただ大きくしても仕方無い。これが初めての大きな作品と言うのなら、大きくする意味は、長い時間に耐えて小物からの脱出って言う事になるが、1度大きな作品を作っているのだから、それは向き合う事が出来る人である。

では次なるハードルは、モザイクをするに当たって、切る張るでは無くて、オリジナルを作る為に考える時間と向き合う事。そうね、例えば・・・じゃ料理で話すと、新婚の頃ね、美味しいものを作ろうぅぅって思うと、手馴れていないからレシピに頼って・・・・

そんな事って合った人もいるでしょ?じゃ、今はどう?お母さんとして大ベテランになった今、レシピ見て作るなんて、余程の初めての料理で無い限り、何と無く今までの経験値に頼って、軽くテレビで見た分量のみで感で作ったりするでしょ?・・・・

レシピとにらめっこしないよね?こんな感じの話で、ここから先に進むとなると、私スペシャル・・・そんな新作料理。あれをこうしてこんな味で・・・こんな食材で・・・・これ風の・・・って考えないとならない。それは美味しい肉じゃが作りじゃなくて、本場スペイン料理の再現

でも無くて、お母さんスペシャル・・・それこそがオリジナルなのね。そう考えると、たったバラ1輪なのにそれ風味に見えるでしょ?つまりこれをより豪華にした時、一体何が生まれるか・・・?楽しみじゃない?1輪なのに凄いって言われるのだから・・・・。

しかも、きちんと1輪でも存在感もあって、完成すればオリジナル・・・・またエントリーだって可能になる。もうお母さんはそう言う方向でやった方が良い。それこそがあやめの作品すべてを乗り越える、自分超えの作品となる。

そんな作品を作るのなら、俺も本気出して教えないと・・・って気分になる。折角大きな作品を作るのなら・・・・。その大きな作品の時間に掛かるモザイクに見合った下絵の時間を掛けるべき。

って考え方をした時、さっきの2人の作品がおかしいな?って気が付くと思うのね。例えば30分で下絵を描いたとするでしょ?それを16時間掛けてモザイクをする・・・・ほらバランス悪いでしょ?では、お母さんクラスで人の絵でやるとするでしょ?

つまり好みの絵を見つけただけの時間が掛かっただけ・・・そして一瞬で拡大して、大きな作品を作る・・・・変でしょ?それがもし初めて大きな作品を作るって言うのなら?長い時間に耐える・・・小物からの脱出。ほら、きちんとしているでしょ?

考えよう・・・長い時間を掛けても惜しくないモザイクと向き合う為の下絵を・・・きちんとそれに見合った時間を掛けて・・・慌ててモザイクに入らず、そこときちんと向き合って・・・それこそが本物のオリジナル。その為なら俺も時間を惜しまない。

そんな中、タピオカ。

そろそろ着地体制には入っているものの、ここまで来ると難しいのは、やり尽くした感がある。つまり点で作るにしても、これだけ色んな形を切れば、後どんな形が残っているのか?・・・かぶらない形・・・なんてね。しかも、色は白と紺って決めてあるから、増やせない。

では流れか?となるが、すでにクルッと曲がったラインがある場所しか残っていない・・・・もしかぶらない流れとなると、紺で作るしか無いが、そうなると紺のバラに色がかぶると、バラが見づらくなるとなると、本末転倒・・・・。

そうなると、いつもの迷ったら現場検証。悩んだら助けてくれるのは今までの自分・・・・一体どんな趣旨で作っていたのか?ほら良く思い出す事・・・白っぽい食器のようなテーブル・・・そんな感じだったはず。つまり白がいっぱいであって、紺がいっぱいじゃない。

要するに白を触っていれば安心であると言う事。では色は白。そして自分が苦手な事は何?ほら簡単。窮屈が嫌な癖に、自由が苦手。つまり自由にさせないように追い込めば良いのだから・・・大きな空白が苦手なんだから、いかに不自由にするか?になる。

そんな時、新しいキャラが生まれないのなら、前フリと考えて、今まで出て来たパーツを小さめにして、繰り返したりする。今度は今お気に入りの音楽を使うと、タン、タン、タン、タン・・・・とリズムを安定させると、同じ事の繰り返し。

これをタン、タン、タタ、タン・・・・ってリズムを変えるとどう?つまり、かまぼこ、かまぼこ、丸、かまぼこ・・・こんな形の違いを切ったとしたら?ほらね、人のやる事なんてほとんど一緒。この判断をする事が難しいだけ。

って考えると、例えば最初にこだわりパーツがいっぱいあったのなら?シンプルに同じパーツに・・・なんて事もあるし、最初シンプルだったんだけれど、段々上手く切れるようになったから・・・って言うのなら、スタッカート・・・つまりタタって部分を変える。

そこに色を組み合わせて考えて、白っぽ過ぎるなら、タタに紺とか、それによって、ポイント柄のバラにかぶらないか?も確認して・・・・そんな考え方で、余白を潰して行く・・・それを挟み撃ちにすれば、スペースはより狭くなる・・・・のね。

作品は自分自身。その人を知れば知るほど、指導の仕方はほんの些細なアドバイスだけで十分。悩み事から抜け出すきっかけだけをヒントのようにつぶやけば、必ず抜け出せる。そもそも実力者なのだから。

それをいちいち、1から指導しては、その人のプライドや成長を妨げる。がしかし、本当に困っているのなら、今まで教えた事をもう一度思い出して・・・って事。そこに指導としてのやり取りがきちんとなされていたのなら?単なる迷いから起こった悩みなだけ。

それは単なる大作としての着地を味わった事の無い経験値の無さ。つまり、自分自身の作品の凄さや威圧感から来る、失敗したくないし、良いものが作りたい・・・と言う欲、そう言うプレッシャーが掛かっているって事なのね。

そもそもそんな事無いって言うのなら?黙ってガラスタイルの白でもクラッシュで入れてご覧。別に悪く無いし、普通体験なら後はクラッシュ・・・って終わらせるでしょ?しかもご希望の白で、ガラスタイル・・・言う事無しでしょ?ねっ。

違うのね・・・より良い物を求めるがゆえの悩み・・・しかも何が良いのかなんて、オリジナルなのだからサンプルが無い。つまり正しい事なんて本人の頭の中にしか無い・・・・けれどどうしたら良いのか?それを引き出すのが俺の役目なんだけれど・・・・。

まっ、笑顔になれば当たりだし、ん・・・って言われればはずれだし・・・・顔色みいみいなのね・・・あはははは。まっ、抜け出せるでしょ?きっとね。そんな中、キウイ・・・いよいよ顔に・・・・。

今更ながら目が難しい・・・って。違うのね、限界点の小ささを超えているから、精度としてはこれ以上は求められない・・・・。と上手くなると、いかに張る角度で可愛い顔にするか・・・・になる。それが見当たらない・・・・って何度と無く切っては置いて、場所や大きさの確認。

妥協無し・・・・上手く見えて当たり前。お見事なのね。ここさえ抜ければ、男の人も何とかなる。月のように切った形を上に向けるか?下に向けるか?で恐ろしく変わるし、色も目は黒なんて単純にやると、とんでもない事になる・・・・。

まっ、色々試して良い着地になったのね。いずれにせよ、このサークルは単なる趣味の集まりとは思えない集団になってて、きちんと自分の作品に戻ると、また凄い事になる・・・・とても楽しみな人達である。また来年が楽しみなのね。

そんな中、のりちゃんに貸していた金魚の作品の展示が終わって戻って来たので、びれっじさんの所にしばらく振りに行く事になる。何だか定位置って言えば定位置になってしまっているのね・・・・そのやり取りがこんな感じ・・・・。

こんばんは・・・すいません・・・また・・・・って言うと、お帰りなさいぃぃってここへ・・・2人で苦笑い。売れて何処かへ行かないとならないのに、戻って来ると展示が出来て・・・・びれっじさんとしては・・・・ね。そして俺も・・・・。

そんな中、顔見知りの常連さんにお会いして・・・・先日のお教室での作品を娘が喜んで・・・とご挨拶されて、何よりなのね。これもまた小さな1歩になる。そんな中、初めて紹介された業者の方ともお話させて頂いて・・・・土佐金の作品を褒めて頂いた。

これもまた覚えて頂いたのだから・・・また1歩。地味だけれど、こんな事の繰り返し・・・・。本当はまだまだ話はあるのだけれど、色々大人の事情もあって・・・ちょっとダメージを抱えつつ、アトリエに・・・。

そんな中、ユニディの出張教室のくじらさんから写真集の問い合わせが来ていて、金魚いっぱい載っていますか?って・・・。それが、あまり載っていない事で、かぐやがその旨をメールして・・・・そんな中での話となる・・・。

大人の事情でダメージを受けた・・・金魚の事で・・・本来ならそんな時に金魚の話から離れたくなるものだけれど、逆も真なり。深追いして、金魚のダメージは金魚で・・・ってやり方もあるよね?・・・・となる。

ほら、振られた場合、女の人での傷は女の人で・・・みたいなあれよあれ。そこでかぐやに質問をしたのね?もし1冊だけ金魚オンリーの写真集を作ったらどうなるの・・・?料金とかかぐやの手間って・・・・すると、何とかなります・・・って返事が来て・・・・。

じゃ金魚オンリーの写真集作るかっ・・・何冊か・・・無謀だとは思うが考えはある・・・かぐやはどう思う?正直賛成しかねるけれど、やるだけはやっても・・・・何でも元金は掛かるけれど、無駄な事は無いし・・・・その程度の金額の出費なら・・・。って。

そんな話でお開きとなった・・・。

 

 


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表札の取り付けとシドさんのテーブル

2014-12-18 02:06:33 | モザイク作家

さて今日は親戚の紹介で作った表札の取り付け。そうね、アトリエから1時間位掛かる千葉県野田市へ・・・・。まぁ何も無く取り付けが出来れば30分程度の取り付けなんだけれど・・・・果てさて。

アトリエを8時ちょいに出発すると、結構道路工事があったりして・・・・更に取り付けしてしまうと、車でわざわざ観に行かないとならないから・・・と親戚に見せてから・・・と思って、見せてから・・・と到着すると10時過ぎ。伯父が俺も一緒に行くって言う事になり・・・。

って感じに、特に何も問題も無く、ひとまず喜んで頂き、あっと言う間に終了。伯父の家に戻る途中に清水公園なんて言葉が出て、ねぇ、お墓参りに行こうよ・・・って提案すると、あぁ良いよって。何かさ、ここまで来て素通りかよ・・・って枕元に爺さんに立たれてもさ。

そうね、昔こんな感じに、この仕事になってから伯父と2人でお墓参り・・・ってあったなぁ・・・って思い出した。そうね・・10年くらい前かな・・・なんで、どんな理由があって行ったんだっけな・・・・?

それはそうと、その位経つと、町並みだけじゃなくて、お墓も増えてて・・・何か雰囲気も変わっててね、それと本堂だっけ?何て言うのかな?・・・そっちは行った事が記憶に無かったが、折角だから・・・と案内されると、時代劇が出来るような立派な建物だった。

檀家さんがしっかりしてんのかな・・・雰囲気あったなぁ・・・格式って言うか・・・。そんなこんなで戻ってお昼をご馳走になる。そんな中、伯母と伯父と話す事になるのだけれど、先日頼まれてかぐやが送った写真集を見せたい人に送ったと言うのね・・・。

しかも、送る前に観てくれたらしく凄いね・・・って。そこでこんな話をしたのね。ねぇ2人共、親父に俺の事色々聞いたよね?しかも、先日の金魚の玄関のテレビも見てくれたんでしょ?と言うと、親父に聞いて観た・・・と言うのね。だよね・・・。

それでどうだった?って聞くと、凄かったよ・・・って言うのね。じゃ写真集観た感想は?と聞くと、凄かったって。一緒じゃんと言うと、ん・・・本当に凄いよ・・・お前は・・・って。って言うか、認識が変わったんでしょ?って切り返すと・・・・実は・・・・って。

だよね、そりゃ当たり前なのね。そもそも親父の持っている写真は昔のほんのわずか。そしてテレビやラジオ、そして新聞なんて感じの断片的なものばかり。そこに興味の沸くモチーフでもあれば良いが、何を聞いてもkatsuの話ね・・・って位で流されていた。

所がこうして知り合いの表札を生で見て、それによってかすかに興味を持って、14年間のダイジェストの写真を説明込みで見ると、観れば見るほど、凄さがより判った・・・って話だよね。あはははは、親父の説明なんてそんなもんなのね。しかも単なる親馬鹿だし。

そうね、こんな話は良くある事で、別に不思議じゃないのね。要するに落語とジャパネットの高田社長の比較みたいなもんでね、普通落語って言うのはファンが見たくてお金を出して観に行くもんなのね。こう言う場合、見たい人が観に行く。

では高田社長は?ほら番組の合間に不意をついた登場で、買う気なんて無くても、何と無く吸い込まれたように、買おうかな・・・って思ったりする。判るでしょ?違いが。つまり後者は営業・・・前者はファンって感じでしょ?それを何度と無く繰り返し、売れていない頃から、

面倒なんて見たりすると、タニマチやらご贔屓なんて名称が変わったりして・・・・要するに親父は親戚のような割と味方のような存在にも、買ってくれって訳でも無いのに、引き込むようなお話が出来なかったって事になる・・・・。

って事は、落語の券をタダで貰っても、行こうかな?辞めようかな?って位だったような・・・・見たくて見た訳でも無く、見て・・・って言われたから見たよ・・・って話だったんだよね?あはははは、そうやって聞くと、正直な2人は、そうだなっ・・・・って。

要するに売れるって言うのは、バスの伝達ゲームみたいな仕組みでね、前提は見せる芸はあっての話ではあるんだけれど、まず1列目の俺が演じると、何らかの俺に関する人の2列目が3列目に伝える・・・その2列目がここの場合、俺の親父だった・・・・。

そして全く興味を持って貰えなかった・・・って残念な話が、ほんの些細な事がたまたまこの表札に繋がった・・・・。それによって、今回は俺の1列目は何も変わっていないのに、2列目は変わったよね・・・・明らかに。すると、3列目にきちんと伝わる・・・。

少なくとも今までよりも良い環境は整った。更に伝える人が伝えようとする気持ちまで変わったのだから、伝わる熱意や温度までが変わって来る。そして決定的に違うのは、親父のような元職人と伯父のような元サラリーマンとでは話し方も聞かなくても全く違う・・・。

ただ、それが即効性のある抗生物質のような効き目があるか?となると、伯父にも言ったが、営業の人ならすぐ判るでしょ?目先の仕事にならないと・・・なんて奴ではすぐに仕事をくれないと・・・なんて態度になる。真の営業は今伝えたばかり・・・。

それを本当に必要になる時まで、記憶に残るものなら・・・その日が来ればきっと後からやって来る・・・じゃない?って言うと、そうだな・・・って。おっ、流石親父と違って伝わりやすくて有難い。まっ、当然な事を言っているんだから、通って当たり前だが。

そんな中、こんなものを見て貰おう・・・。

これは昔、金魚が入っていたんだけれど、このタイル・・・・俺が昔タイル屋だった頃張ったものなのね・・・。それを先日、いとこの姉ちゃんが、katsuがお風呂や玄関、キッチン・・・と張ってくれた時に、ここに張って良い?つてやったんだよ・・・・。

あんたこれやった時、うん、これで良いんだ・・・・って言ってたよ・・・って。今となっては、これの良さって何だろう?って気持ちになるが、その時の気持ちは判らないが、もし、くみ取るなら、あの頃もタイル屋として、何か変わった事探ししていたのね・・・。

ただ、お風呂も玄関ももキッチンも確かに変わった事をやってはいるが、きちんと糸を張って、水平だの垂直を気にしていた。けれど、ここだけは何と無くそう言う事を気にせずやった・・・・もはやタイル屋とは思えない・・・。

新しい事をする・・・・って言うのは、この位斬新で、既存のモノにとらわれない・・・そう言う事で、ただ姿勢は良いとして、今となってはそこに美しさが備わっていない。でも、ここで終わればそれまでだが、今の俺は続けているし、明らかに進歩がある。

けれどもし、あのままタイル屋を続けていたら?老眼で1mmを気にしていた仕事なんて果たして上手くなっただろうか?あはははは、言うまでも無く、ただのへっぽこである。こうした振り返りが出来て、初心に帰る事が出来たのも収穫である。

確かに仕事なのだし、生きるにはお金が必要だけれど、続ける為には精神的なもの・・・こう言う心を作るって言うのもとても大事な事なのね・・・。そして何がどう進歩していて、何が足らないのか?・・・・しっかり足元見てやって行かないとね・・・目先ばかり見ても、

仕方無いのね。そう言う点でも、これはこれで刺激になった・・・。そんなこんなで、貰い物をしたのを実家に届けて、アトリエに戻り、シドさんのテーブル。ちょっと新展開の場所に入った・・・・のね。

そんな中、ティーアートさんから荷物が届いていて、かぐやに連絡すると、メールにこれからもご指導、ご鞭撻・・・って入っていたよ・・・って。それは謝罪じゃないね。その後、電話を掛けて、料金を聞き振込みとなるが、特に何も無し。

まぁ、かぐやも私名義で連絡したから帰って来ただけだね・・・と感じたらしいが、全くその通り。けれど、特に態度なんてどうでも良く、注文のタイルさえ届けば別にどうでも良い。間違いなく、俺以外にはこう言う事は無いだろうから・・・ただそれだけの事。

そんな事よりも、今日の2列目の是正の方が大きかったんだろうね・・・・1つは何も変わりなく、1つは明らかに変わった・・・と言うより、変えて来た。ただそれだけの事であって、仕事の付き合いって言うのは、儲かればひるがえるだけ。だからまだまだ。

変えられる場所は変えれば良いし、儲かれば変わる所は構った時間と気持ちを無駄にするだけ。いずれにせよ、気持ちが刺激や是正の方の量が多かった分、心が削られない分、その心で進められる。

腕は俺を裏切る事は無いので、心さえしっかりしていれば、当然きちんと結果は付いて来る。

そんな中、少しだけイメージしている事をお話すると、シドさんには最初絨毯のような玄関を作らせて貰ったのね。それから何点も作らせて貰って・・・そんな中のまたの依頼。本来ならこの作品は新作なんだけれど、作品としての大きさはどんどんと小さくなっている。

そんな中、さっきの話のような書き換え的な話で、つまりこの新作で今までの古き腕を書き換えしたい訳で・・・。ただね、とも限らない・・・って考え方もあるじゃない?だって逆も真なりなのだから・・・。って事は継続ってのもありか・・・ってね。

けれどただの継続ってのは、進歩が無いし、ではどうやって進歩を見せるか?しかもこんな小さいスペースで・・・となる。そんな時は現状の検証ってみんなに教えているのだから・・・出会いは玄関、更に・・・と掘り下げた時、1つ引っ掛かる事があった・・・。

それは、以前青いテーブルを買って頂いたのだけれど、それは注文では無く、何と無くシドさんが好きと言った青い・・・って色合いで作っただけのもので、もしかすると唯一、買って頂いたもので注文では無い作品。

つまりそのテーブルを注文の作品に書き換えれば・・・と考えたのね。その時、常に新しいものは新しい・・・って考えでは無く、レトロを購入って場合、新しく購入しても古いものだったりする・・・・そう言う事もあったりするでしょ?

そこで、イメージは深海に沈没している海賊船の財宝のようなものなのね・・・・。だからこの青いタイルも錆びみたいなシミがあった感じでとても良いのね。しかも金もイブシって艶の無い金。ただシドさんが光った金も入れて・・・と言うので、入れるとどうなるか?

って言うと、意味があってやっている事なので、それを変えるって事は、味を変えるコショウみたいなもんで、この場合、古さがイブシだけの場合よりも月日が経っていない感じになる。沈んだ年月が若くなるって事かな?

それでね、この金とかがフリになるのだけれど、華やかだったものを意味する金のような財宝が、長い時間海の中で変化して行くのだけれど、最初から淡いコロのバックは、新品の時には淡くて金みたいに目立たないが、何年経ってもあの時のまま止まっている。

何も変わらずに・・・そんなイメージなのね。変わる事と変わらない事・・・・そして初心、これはあの時よりも凄い玄関になる図面でもある。もしこれが玄関だったら?・・・・凄いでしょ?出来るんだよね・・・これが・・・。そう言う機会があればね・・・・。

それと椎名林檎さんのcdを聞いている時に何と無く歌詞とか見ている時に、CCCDなんて文字が目に入って、かぐやに調べて貰うと、コピーガードが付いているcdの事らしく・・・・そりゃ面白い・・・と、この中に入れたのね。コピーされないように・・・ね。

俺の作品作りって言うのは、俺の身の回りに起こった事すべてが入っているのね・・・・つまりそれが、感じるって事で、感性なんて言うものはそう言うものなのかもね・・・まっ、売れたら言うと、後出しになるので、今からそう言っとかないとね・・・ねっ。

売れたらコードがあるんじゃなくて、コードなんて志があれば誰だって入れているはず。タビンチだけじゃない。ただ後は、そのコードを必要とするか?しないか?だけ。必要になればそのコードもお金になる・・・あはははは。

くだらないのね・・・・当たり前過ぎて。そもそもタイル屋辞めてやってんだから、ぺらっぺらの作品なんて作るはずは無いのね。こっちは生まれて初めて本気の14年なんだから。最初の37年なんて単なる俺の人生の前フリにしか過ぎない。

あんなものに価値無し。つくづく思う。何してたんだろう・・・とね。そして、売れて余裕が出来た時に、それがあって是正が出来て良かった・・・と振り返るとしよう・・・とね。

 


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リピーターさんの下地とシドさんのテーブル

2014-12-17 06:01:37 | モザイク作家

朝は雨のスタート。すると、ティーアートさんから注文の品が届いたのだけれど、確認すると入っていない材料がある・・・・。昔は確認なんて一度もやった事が無かったが、一度支払いのトラブルがあって、迷惑を掛けた一見があって、それからは到着すると確認している。

がしかし、それからは逆に何度と無く、注文の品が入っていなかったり、違うものが入っていたり、確認すればするほど逆に変な事が多く、まさかな・・・と思いつつ、空けて見る・・・やっぱり無かった・・・。

同じ日に山周さんに頼んだものはすでに到着していて、しかも電話で口答でも何の問題も無いのだけれど、FAXで送っているのだけれど、何度と無くこんな事があって、しかも欠品の連絡が来て、口答でも確認したんだけれど・・・・。

そんな訳で仕方無く電話をすると、入ってない?良く見て・・・・と言われ、今到着して見ながら連絡しているんですけど・・・・しかも15袋程度の話・・・・すると、ちゃんと確認して入れたんだけれどなぁ・・・・。入ってない?・・・・ここまで言われると疑われている気になる。

そこでかぐやに画像を送らせる事にした・・・残念だが、恐らくタイルが送られて来ておしまい・・・・そんな話になるとは思うが・・。まぁ俺にはこう言う事は良くある事で、そう言う人は多いし、何故そう言う態度になってしまうのか?の理由まで判っているから仕方無し。

かぐやも画像を送りつつ、残念な話ですね・・・と言ってたが、常に電話が繋がっているし、事務をすべてやっているから、色々同じだけ経験している・・・・だから、またか・・・って話。本来なら、材料が到着して楽しみなはずなんだけれど・・・・。

まぁこんな時は、早めに気分の立て直しをしないと、引きずると良い事は無い。そこで作品作りよりも事務的に進められるような事を間に挟む事にして、まずはリピーターさんの下地作成。それなら考えずに済むから。

20X55cm。結構大きい。ただ何を作るか?を知らないので、何も指導は出来ないし、外を彫る事を考えると正味この大きさなのか?それとも彫った外がこの大きさなのか?・・・恐らくこうかな?と思う寸法で作ったんだけれど・・・・。

そうね、すでに金町湯のおかみさんから下絵を預かっているんだけれど、そう言う場合、こうした方が良いですよ・・・とか、何度かそう言うやり取りの指導があって、大作なのでこちらも気を使うくらいプレッシャーは掛かる。

逆にこうした四角や、丸の場合は単なる大きさのみなんで寸法だけで作る事になる。しかしそれでも下絵があれば、それにあった寸法なんてこんな感じじゃないのかな?・・・と指導も出来るけれど、ひとまず大きさだけで中身は後から考えます・・・って場合、

言われたままにしか作れない・・・。ただ逆に下地作成自体は特に難しい事は無く、考える・・・って事は、こうした老婆心程度な事で済む。正直、おかみさんの下地は相当考えないと、どうすれば・・・って感じで、簡単には作れないから後回しになっている・・・・。

そんなこんなで下地を終えて・・・そんな中、角嶋の親父さんが来て、何やってんだ・・・なんて感じで、あっ丁度良い。明日、表札の取り付けなんだけれど・・・って先日金具の取り付け方を教わったんだけれど、もう一度再確認・・・と思って聞くと、

そんなに心配ならボンドでくっつけちゃえば良いじゃん・・・・そっちの方が得意だろっ・・・・って。そうなんだけれど・・・。もし取り外しなんて感じになったら?・・・表札なんて外すか?・・・・だよね・・・じゃ良いかっ・・・・じゃボンドにする。

そもそも俺に何かを頼むお客さんって、変わっているものが欲しい人なのね・・・・大抵は。けれど単純にそこから2つに分かれると、katsuの作品好きなんて場合、取れないようにして・・・って場合と、取られたら嫌だから、取り外しが利くようにして・・・しまうから。

って場合とがあったりするのね。そうね、後は他にも理由はあったんだけれど・・・まっそれはそれで良いっか・・・。そんなこんなで、中にこんな事を挟んで、作品作りに戻ると、ラジオで世田谷通りが渋滞って言うのね・・・・ボロ市の事だな・・・・。

行った事は無いが、年末年始あたりにボロ市って言うのがあって、そうねテレビで見た感じだと、屋台みたいなテントで、骨董品だの食器だの、何か不思議な感じのものが売られていた・・・・しかも凄いのは歴史もそうなんだけれど、電車がその為に増えるって。

いかに盛大なのか?判るでしょ・・・。そんなの聞いたら行きたいなぁ・・・・って思って、ちょっと悩むフリをして見たが、ただ見に行っただけじゃなぁ・・・雨だし、1人だし、お金無いし・・・・辞めとけ・・・・ってもう一人のkatsuが言うのね・・・・そうだね、辞めとこう。

ただちょっと考えて見た・・・・朝のマイナス気分を忘れる為にも・・・・。そうすれば、すべてお金が無いからこうなんだ・・・ならやるしか無かろう・・・・って、何も選択権は無い・・・・って作品作りをするしか無くなる。

しかも切ないなぁ・・・・って気分になるのなら、この作品に必要な事なんだから、それはそれで受け入れた方が良い・・・。少しでも同じような気分になって、どうしたら癒される事になるのだろう・・・・って後半に繋ぐ為にも・・・・。

今は切ない事を拾い集めた方が良い時間帯なのだから・・・。辛かろうが、理不尽だろうが、有難うございます・・・って拾い集めるべき。とは言え、まぁ救いは、金魚が死なない・・・・って事くらいかな?・・・・・若干きつい・・・・。


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ノアさん教室とシドさんのテーブル

2014-12-16 06:40:00 | モザイク教室

今日はノアさん教室。朝、草花の手入れって感じに、すっかり枯れ果てたものを切って・・・・プチ庭掃除みたいな・・・・。すると、角嶋の親父さんが来て、いつもなら金魚屋さんせいが出ますね・・・・と茶化されるのだけれど、今日は庭師が来たなっ・・・・って。

けれど、一緒にコーヒー飲む時間があって、シドさんの作品を見て、おっ頑張ってるね・・・って。そうね、本来親父は作家katsu好きだから、作品作っている事が好きなのね・・・・・先生katsuよりも・・・。

そんな中、ノアさんがやって来てお教室。すると、すぐに郵便物が届いて・・・・何かな?と名前を見ると・・・・かぐや。って事は中身は写真集。俺も観るのは初めてなので、楽しみで・・・・。

大きさは以前と違ってコンパクトで、しかしながら写真は多いし、俺が持っていない画像もあって・・・・こう言うの見ると、購入された方がまた誰か他の人に見せたりしてくれると、一目瞭然に伝わって行くだろうな・・・・と思いつつ、お教室中だったので、ノアさんにも・・・

と、見せると、先生ぃぃローマにも持って行きますよね?・・・・そうね、これは美術会社の社長さんにローマ大学の学長さんに渡して下さい・・・・と頼む価値あり・・・・だろうね。何しろ依頼された仕事は額なので、モザイクの腕を判断されるには不利。

ただこれがあれば、こんな人が作ったんだよ・・・・この額は・・・となれば、本来の腕をご理解して頂けるだろうし、モザイクの本場に見て頂けるものとしては悪くは無い。昔、イタリアに行った時に持って行ったアルバム1冊・・・一見同じ1冊じゃんと思われるが、

全く違っていて、昔の1冊はモザイクを始めたばかりの駆け出しの1冊。今度の1冊は14年間のダイジェスト・・・そう全部じゃなく、あくまで一部・・・・1冊の重みが全く違う・・・・。そんなものが異国に置いて来られる・・・・中々楽しみで面白い。

さて、それではお教室。そうね、ここまで出来るなら・・・・と、意識って話になる。例えばスカートの裾は布の幅が大きい。ならば、きっと重く、尚且つ重ければバサッって感じの擬音にならないかな?それがお腹のあたりになると、ヒラヒラッって感じに軽く思えない?

もしそう見えたのなら?手首のあたりは、フワッと・・・って思えない?つまり生地が変わったり、質感なんて意識するのなら、色だけに頼る作り方はしない。いかに形の違いを意識して出せるか?になる。

そもそもフラメンコを習っていた・・・・って言うのだから、着心地なんて言うのも俺よりも知っているはず。なら絶対に違う事は知っているはずなのね・・・すると、違います・・・・って。ほらね。それを意識するのね・・・・別にそんなのどうでも良い・・・って言わないのなら。

そして何故そんな指導をするのか?それはこれだけの作品を作れるようになったから・・・それだけのパーツを切れるようになったから・・・であって、満足なパーツを切れないようでは、こんな事は出来るはずも無いので全くいらない。

けれど、ここまでの作品となると、教える側も欲が出る。がしかし、これがみどりのように弟子になりたい・・・と名乗っているのなら、厳しくそんな事意識してやってみ・・・と言えるが、どうする?そんな事意識してやって見ますか?・・・・明らかに面倒な事になるけれど。

って言うような言い方になる。つまり方ややれよ・・・であり、方ややらなくても良い選択が残される・・・・だから今日の気分でやるも良し、やらぬも良しになる。もし全部受け入れてやったとしたら?全く自覚無く、弟子になりたいって言った人と一緒な感じの作品になる。

ただし、作品の内容はそうであっても、意識して手に入れたものでは無いので、本人の自覚無く上手い事になる。では今日はやって見る・・・今日はやらない・・・と気紛れで受け入れたとする。けれど、当然結果として成功もあるけれど失敗もする事になる。

そもそも全部受け入れない姿勢なら、同じ事を繰り返すのだから、終わる頃には1つだけのやり方の安定感を確実に手に入れられる。それを気紛れで手を出すのだから、確立として失敗も味わっても不思議じゃない。

問題はそこ。確かに失敗は必ずする。がしかし、その失敗を次の場所で成功したのなら?そしてそのやり方を手に入れたとしたら?痛い思いはしたが、取り返す何かを得た事になる。ただ、その失敗が1度なら良いが、3回、4回・・・となると、取り返しが付かない。

そこで新しい事はここで教えて、そのやり方で自宅に帰って1人で思い出しつつやる・・・こんな繰り返しをする。そうすると感で作っているのでは無く、アトリエでやった結果を先生としつつ、それを真似ながら進められるし、習ったのだから感では作っていない。

それをきちんと繰り返した結果がここまでのグレードになっているって事になる。けれど、この繰り返しは失敗のリスクを背負っている訳で・・・それが覚悟として持っているような弟子になりたい・・・って場合、やるしかない・・・って事になるが、

私は趣味だし・・・となると、1歩後退・・・って感じに思えない?では、こんな例を考えて貰いたい。例えば、私は東大に入りたい・・・・とか、プロの選手になりたい・・・とか、もし幼い頃に高い目標を掲げたとするじゃない?

そしたら、指導サイドはそれじゃみんなと一緒にゲームなんかやっててどうする。さぁやれよっ・・・もっと、もっと・・・ってならない?つまり目指すものが高ければ高いほど、目指さない人とは違う時間の使い方になる。

それじゃ同じ学校を目指す人や、同じプロ選手を目指す人達の中に入ったとしたら?ほら、みんな同じ事を最低やっていて、もっと言えば、その場所以外でも時間をそれに費やしている気がしない?でしょ?それがエリートだと思うのね・・・・。

ではそう言う意識はしていないが、それをやっている時間が大好きなんだぁ・・・・って続けていたとするじゃない?それも結局、時間を費やした分だけは上手さを手に入れているとは思うのね・・・・確かに。けれど問題はここから・・・。

けれど同じ事ばかりの繰り返しは慣れるのね・・・・つまり簡単になってしまうのね・・・何しろ反復なのだから。つまりチャレンジする・・・それは何を意味するか?つまり失敗するかも知れない・・・乗り越えられないかも知れない・・・そこと向き合う事で乗り越えると、

今までの自分では無い、1つ上に行ける・・・・けれど行けないと大きな傷として残る・・・そんなリスクにチャレンジ出来るかどうか?なのね。つまりリスクを負った新しい事をする・・・そう言う事がチャレンジって意味になる・・・・。

ではノアさんは?はら・・・チャレンジしてるじゃない?完全に前作よりも向上している。何もかも。けれど、別に何かを掲げてやっているって意識は何も無いって言っても良い。そうね、楽しく、面倒なんだけれど、何か素敵になっているから頑張るぅぅって感じなのね。

それでここまで来たんだけれど・・・・そんな中、日高氏がやって来た。そこでちょいと試したのね・・・ねぇ、ノアさんの作品批評してって。すると、えっ・・・批評って・・・・そんな事言われたって・・・・俺はモザイクなんて出来ないし・・・そんな凄いのって・・・・。

あはははは。予定通りのリアクション。じゃ2人共聞いて。さっきノアさんは弟子になりたい・・・って意識は無く、趣味と名乗ったとして、その趣味の作品を見て、日高氏は批評なんておこがましい・・・・って感じの表現をしたんだよね?

じゃこれがもし体験教室のモザイク初めての人だとしたら?・・・・って聞くと、それなら何とか俺でも出来ると思うけれど・・・上手いか下手かは別として・・・・あはははは、何とも正直で良い。しかも、質は別だよ・・・責めないでね・・・と予防接種のようなセリフ付き。

出揃ったね・・・・じゃまとめに入るね。では日高氏が出来ると思うって言った体験の人に、さっきの質問をしたとする・・・・ねぇ、貴方にとってモザイクって?・・・・まっほぼ趣味って答えになると思うのね・・・。多分ね。って事は、ノアさんと一緒になるよね?同じ趣味って。

すると、作っているノアさんは、そうですね・・・と言うのに、批評だけの日高氏が、それは違うだろっ・・・って言うのね。あらっ?何故?って言うと、だって・・・上手いじゃん・・・はいおしまい。出たのね・・・待ってました。そっか、日高氏は上手いと趣味じゃなくて、

自分が出来そうだと趣味を認めるって話なのね・・・あはははは。お見事。って事は、ここに通う人の大半は、日高氏には趣味に見えないって事になるよね・・・でしょ?あぁ、そうなるな・・・・なのに、作った本人は趣味なんだって・・・・。何か変じゃない?

だよな・・・。もう一度聞く。ノアさんの作品どう思う?・・・・だから上手いって。それって何か決まり無かったっけ?・・・・えっ?ほらぁ、日高氏が上手いって言ったら・・・・あっ、勝手に決められた、弟子にするって切符の話か・・・。そうね、それそれ。

つまりもうこの作品は終わればその権利がある・・・・そう言った事になるよね?・・・・そうだな・・・って。すると、ノアさんが喜んでいる。って事は、もし弟子になりたい・・・となると、残りの1つの約束・・・絶対にモザイクを辞めない・・・後はそれだけ。

みどりは名乗って意識して、ノアさんは意識も無く、同じような権利が発生・・・ではここも、こんな説明で・・・。私はプロになりたいって名乗って指名される入団の仕方と、えっ・・・俺?って指名される入団もある。世の中にはこうした事例はあるでしょ?

要するに意識しようがしまいが、オリジナルを目指し、継続して、常に向上する為のチャレンジ作品の大作に挑んでいる人・・・こう言う人は日高氏に上手いと評価されると権利があるかも・・・って言う話で、楽しみながらやっていようが、苦しいぃぃぃって作ろうが、

継続する・・・これが大事で、尚且つ出来れば結果が伴いたい・・・・って話。いずれにせよ、こんな話が出来るほど上手くなった・・・・・・そう思わせる位、教えるこちらサイドにもプレッシャーを掛けて来る、良い作品になっている・・・。

そんな後、シドさんのテーブル。

そんな中、かぐやに電話して写真集の連絡をして、その後、かぐやの娘も一緒に・・・更にせがれも入って・・・12時過ぎまで話していたのね・・・・。娘は今取り組んでいる作品について・・・せがれは宿題について・・・・。はぁ?あんたに何が話せるの?って、

あるとは思うけれど、さっきの日高氏の批評と一緒。判ろうが判らなかろうが、意見とは俺の考え。ならば思った事を言えば良い。それを受け入れろとは絶対に言わないし、むしろあっそれにする・・・って言われても困る。

そうでは無くて、話を聞き、何がどう悩んでいるのか?を聞いて、そう言う風にしたいのなら、こんなのもあるよね・・・こんな事もあるよね・・・って選択権を広げたりする事が俺の役目でね、そうね、言い方を変えれば、困ってくれれば、これ幸い。

たった数個の自分の考えの中でよりも、自分の考えた事がそんな数個の事だけで無く、もっとあるんだ・・・って事になれば、もっと困る事になったとしても、モノの考え方が理解出来れば、今回は困っても、次の機会に生かされるはず・・・・。

その1つが思い込まないって事。例えば夕日って赤でしょ?・・・・普通って言うのね。あはははは、流石にかぐやの娘である。そこでかぐやに、なぁ?夕日って何色?って聞くと、私はオレンジかな?って言うのね。流石に俺の弟子である。

勘違いされては困るが、オレンジの色を選んだって事では無く、聞かれた質問に、あくまで私は・・・・と言う前提で、しかも娘に答えるにしても・・・って姿勢の問題。いついかなる質問であっても、真摯に答える姿勢として、私はこう思う・・・と言えた事。

これが弟子に求める姿勢。結果の色なんて2の次。ではオレンジはかぐやと俺で2票。民主主義的には、多い方が普通なんで、オレンジも夕日に見える事になります・・・・って言うと、えっ・・・・ってなる。思い込んだ分、否定された感じになる・・・・。

じゃ、熱帯雨林は?って話を振って来るので、娘にお前の考える熱帯雨林を語ってみ?って言うと、えっと・・・うっそうとしていて・・・・・・ストップ。まず自分の言った言葉を忠実に理解する事。うっそうってどんな感じ?って聞くと、えっと深い緑で・・・・ストップ。

ねぇ、かぐや・・・うっそうとしているってどんな感じ?って同じ質問をすると、うっとうしい葉っぱとか、進行を邪魔しているような・・・とか、明らかにその言葉から伺えるのは、色では無く形から・・・・。何しろ俺達はモザイクの人なんでね・・・。

つまり色からとは限らないって事ね。形からも入れる。かぐやの娘は色重視ってスタートしようとしたって事なのね。では得意の色の話にすると、じゃ熱帯雨林色って何?って聞くと、えっと・・・葉っぱはこうで、水はこう・・生き物は派手で・・・ほぼほぼ決まっている。

あははは、正直な子だわっ。完全に質問は色には無いんじゃん。決まっているんじゃん。じゃそこを責めようかね・・・。ねぇそんな細かく決まっているような所を聞いて貰いたいんだけれど、本当にそれはそう言う色でお前は良いの?熱帯雨林になっている?

こんな言葉は、ファイナルアンサー?って言っているだけなんだけれど、自信があろうが無かろうが、決めたら覚悟なのね。つまり作品作りは後戻り出来ないものもあるのね・・・・やり直しが利かないものが・・・・。油絵なら塗り重ねすれば良いが、陶芸では無理。

すると、ん・・・って悩むのね。それならまだ考える余地ありだなっ・・・・そこに自信があったら、すかさず、はいだろ?けれど、自信なんて無くて良い。不安があった方が自然だし、人間っぽい。けれど、決断しないとならない。

そこでだ、悩んだら自分の今までやった事の検証。何故こうなっているのか?それさえブレ無ければ、趣旨は押し通せる。上っ面のテクニックで逃げようとせず、肉を切らせて骨を絶つ・・・・芯をぶれさせなければ良いと思うのね・・・・。しかもその芯って言うのは、

お前自身のね・・・けれど、その前に自分が無ければ、その芯自体が見つからないし、思い込んでこれしかないんだ・・・って言うのも、ただの頑固なだけ。さてどうする?なのね・・・・

さてそれではそんな事を踏まえて、質問に戻って、お前の考える熱帯雨林色って?何・・・どんな感じ?って話。じゃいつも後出しじゃんけんだと、公平じゃないんで、俺の考える熱帯雨林。まず形って言うのなら、人の介入を妨げるような上からは、コイル状の・・・

下はかぐやの言ったような、踏んでも踏んでも生い茂る草・・・しかもその形と言うのは得体の知れない、見た事の無いおどろおどろしい、何か毒でもありそうな、そんな形・・・どれもこれも。

更に色。それはもう毒々しい色・・・全てが濃く、もしそこにカエルがいるのなら、変な模様でしかも、ツルンじゃなくてぼこぼこしていて、そこにカエル色の緑と言うのなら、黒も混ざっているような色であったりするのなら、保護色じゃないと簡単に食べられちゃうから、

葉っぱも濃い色になる。けれど、それじゃ観る人にカエルって見えないと困るだろうから、赤い目だったりもするだろうね。すると、空はそれにも負けない青なんだけれど、太陽の日差しなんてもんが入って来るだろうから、大袈裟に赤だったり黄色だったり、

うざいくらいにしても良いかな・・・・それでね、それが普通に想像出来る範囲まで言ったら、良くある熱帯雨林に見える・・・そんな事に到達した・・・って事の確認を誰かに見て貰うのね・・・そこで見えるって事になったら、そこから自分らしさに変更する。

まっきちんとして崩す・・・が基本だから。じゃその中で、カエルがメインと言うのなら、そこをメインキャラになり得る、デザインに変更したり、葉っぱと言うのなら、すべてそのままでプリティな葉っぱにしたり、川と言うのなら、そこに有得ない生き物がいるとか、

空と言うのなら、葉っぱと空の切れ目が何か隠し絵になっているとか・・・・いずれにせよ、どんな熱帯雨林にしたいのか?になる。つまり、面白い熱帯雨林とか、お洒落な熱帯雨林とか、恐ろしい熱帯雨林とか・・・・前に何か言葉を付けるだけで、いくらでも変わる。

その言葉が複雑なほど難しく、その言葉が簡単なほど、やさしくなる気がしないかな?・・・・ただね、ここまでは言わなかったのね。何か答えを教えちゃうようで・・・・奴にはなぞ賭け程度で、困って欲しいのね・・・・悩んで・・・。自分で見つけて欲しいから・・・・。

答えじゃなくて考え方。いかに自分の思い描く事に近付けるか?って言うのは、自分のやろうとしている事は何か?を言えないと・・。口に出した事を掘り下げれば、自分の考えの出来る事と出来ない事、みたいなものがはっきりして来る。

ボヤッと・・・したまま作るんじゃなくて、ボヤッとを具体化する癖を付ける。それが出来れば、後は腕は反復練習のみ。慌てて育てるつもりは無いので、こうしたやり取りを何度も繰り返すだけ・・・・。機会を設けて貰った時間の中で・・・・。

常に質問は、貴方はどう思う?どんな些細な事でもね・・・・ただそれだけの事なんだけれど、普通ならウザッって話が、奴らにはまた・・・がある。って話。変わりもんなんだろうな・・・・あはははは。


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ぼーとさくらの親子教室

2014-12-15 07:09:24 | モザイク教室

今日は午後からぼーとさくらの親子教室。昨日遅くまで作品作りだったので、いつもより少しゆっくりスタート。すると、いつもの、今から行きます・・・・の、ぼーからの電話も遅めで・・・・こりゃ選挙でも行ってから来るのかな・・・・?なら俺も行くんだったなっ・・・。

なら俺はお教室終わってから夜行こうかな・・・・きっと空いているだろうし・・・・。そんなこんなでシドさんのテーブルをやりつつ待つ。と、そんな中やって来てスタート。では、ぼーから。

画像の上の方にある下絵を見つつ、モザイクを見て貰えば、かなり忠実に進めているのが判ると思うのだけれど。小学校の低学年の作品としては中々のもので、輪郭をきちんと守りつつ作っているから、きちんと龍になっている。

それと、俺の喰い切りを短くして作ったものとの長さの違いもアップして見たのね・・・・これを使って手の小さいのをカバーしつつ、本格的にやっているのね・・・・そんな中、キウイ親子がやって来ると、そりゃ2人に褒められたら、やる気も倍増・・・・。

ぼー凄いじゃん・・・・そんな事言われたら、もうニコニコよっ・・・・って感じ。今からこれだけ出来れば十分過ぎるのね。何しろアトリエでは、お休みのベルは鳴らないし、何時間も座り続けないとならない・・・・理由無く休みが長いと、今日は辞めるぅ?っていちいち聞かれる。

すると、いやまだ・・・の繰り返し。けれど、それでもそう簡単じゃないのね。何時間もずっと座り続けるって言うのは・・・・。しかもそこに制作も付いているのだから、ただ何と無く来る・・・・って感じでは、いつ終わるか判らないし・・・・そう言う点でも中々なのね。

良く頑張っているのね。さてそれでは、お母さんのさくらの方は・・・

まぁ、見ての通りのさくらだなっ・・・・って判るモザイクなのね。文字に繋いだ形跡が無いでしょ・・・・相変わらず意地の炸裂って感じで、キウイ親子もこれを見て・・・・あぁまたやってるぅ・・・ほらぁ・・・ここ・・・って。

そりゃこんな事がそうそう簡単な事じゃないし、果てしないし、割れたらおしまいだし・・・こんな事は中々出来ないのね・・・・。まっこの難しさはモザイクをやった事のある人しか判らないし、知っていてもやりたい気持ちにはならないね・・・・恐ろしくて・・・。

けれど見るだけなら、何とも楽しそうだし、可愛いし、観る人が変わると評価も全く変わるものなのね。ちなみにこれは外用のボンドなので、張るだけにして、次回完成って事にしたのね。

そんなこんなでお教室が終わってから選挙に・・・・・

 


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亀有カルチャー、本日4人にシドさんのテーブル

2014-12-14 07:19:05 | モザイク教室

今日はオードリーが直行って事で現地で集合。特に何も問題も無くいつも通りのスタートになるが、2月のお教室がローマの件に引っ掛かるので、代替の話を店長にして・・・そんな中、1人欠席の4人で始まり。

まず1人目は新しく入った方で、前回初めて硬いタイルを切って、今回はまた体験の時のぺきぺきに戻り、柔らかく切りやすくなったはずなんだけれど・・・・まずは色。赤なのかエンジなのか?みたいな2つに1つの選択みたいな気持ちになる・・・・。

上絵の赤では激しく明るいし、エンジでは地味だしみたいな・・・・ね。そうね、まず絵画と違う悩み・・・・それが混ぜられないから、思った色を作れない事。そして選ぶとなると、極端な2色をどっちを・・・となる。

それをどっちよりがイメージに近いですか?の質問に、エンジかなぁ・・・と半信半疑となる。正直、自分で言ったんだけれど、それで良いのかな?・・・・そこはサンプルとしての完成品が無い事も大きくあるのだけれど、それが1点モノのお教室ならではの悩みなのね・・・。

何しろ1人1人にサンプルを作ってあげる訳には行かないしね・・・。ここは何とか粘って貰うしか無いのね・・・後は多少の信用・・・。ちなみに言われた通りの指導となると、赤は物凄い威力があるので、エンジよりにするのなら?エンジを大きく切って、赤を小さくする。

数としても赤は少なめ、更に時よりその場で立って、全体を見ながら・・・・そんな指導をしつつ、2時間でこんな感じになる。戸惑いながら頑張っていたのね。それが、ここだけではあるけれど、数年続けている方となると、

リースは前回張り終えていたから、今日は2つ作った事になるのだけれど、ほぼ苦労なく楽しんでやったと思うのね・・・ただ本人は、結構必死でした・・・って言うのだろうけれど、その必死さの理由は、時間の中で終わらせるプレッシャーであって、作品の難しさとは

全く違う話で、さっきの方は切る事に慣れる事が大事なんだけれど、仕上がりがそれ以上に気になり、この方は仕上がりも気になるけれど、時間内に・・・って方が気になる・・・けれどタイルを切る事には全く困る事は無い。

それが証拠に時間を気にしない作り方で、イチゴのミニテーブルを作っているのだから・・・。あの質で作れる人の遊びの作品。きっと楽しめたと思うのね。そんな中でも指導はあって、例えばツリーには、丸のタイルを張って、幹を縦長に四角く切った。

そこで葉っぱの緑の部分は三角っぽく・・・ってアドバイスをしたのね。良くみんなの中に色から入る人がいるけれど、それでは色に頼る事が多くなる。なのにさっきの赤とエンジなんて2色しかない中から選ぶなんていかがなもんかな?・・・でしょ?

つまり色だけに頼るのでは無く、形も・・・となると、丸があって四角があって、三角がある・・・その部位によって変えてある。そうなると、形と色の2通りで考えてある・・・そうね、窮屈さを補う・・・そんな感じなものがモザイクって言っても良いんじゃないのかな?

まっ、いずれにせよ今日は楽しめたと思うのね・・・結果も1日完成って事で早めの結果が出ているしね・・・・。さてそれでは犬の方。

実は先日もお話した通り、黒いほうの犬が亡くなって・・・・オードリーが今日持って来ますかね?・・・と言うので、大丈夫だと思うよ・・・・って言うと、やはり持っては来たものの、黒い犬には白い布が巻かれてて・・・・とても痛々しい・・・。

けれどね、またこうしてやろうって気持ちになったのは何より。これもまたいつもの良い事と悪い事は背中合わせでね、良い事は生きていた時は、楽しくて大好きだから、こうして作品のモチーフにもした・・・けれど亡くなってしまうと思い出してしまう・・・・。

それは大事であればあるほど、手を掛ければ掛けただけ失った気持ちは大きい。それは前回のKAMEYA教室でも言ったんだけれど、ではそんな大切な作品でもあるんじゃないのかな?なのね・・・・それだけの労力を使って・・・完成しないなんて事になったら・・?

それとね、じゃこっちの茶色の犬は完成しないままなの?生きている犬に後悔の無いように付き合いましょう・・・しかないんじゃないのかな?・・・・って。俺もね金魚を飼っているんだけれど、それでも死ねば悲しい。ペットは生きていて楽しい訳で。

もし犬と金魚と比べるなんて・・・・なんて人がいるのなら、それはナンセンスで、小さいから?安いから?そんな理由なら、大人に成長した子供なら悲しくて、生まれたばかりなら悲しくないって言ったようなもので、人の感じ方なので、すべてが判るなんて事も無いが、

大事なものがなくなるって言うのは、あぁ言う事だな・・・って事は50も過ぎれば誰でも判るはず。ただね、ここから少し違うのは、単なる慰めの言葉を掛けるだけで良い関係と、先生として・・・では全く違う話で、しかもこれからも付き合う関係性の中では、

何とかならないのか?老婆心なんてもんもある。勿論そこにはある程度の信頼関係が無いと、言い方一つ、聞き方一つでいざこざになる事もある。ただここは今築きつつあるので、随分と立ち入ったけれどね・・・・。

そうね、こうして始まってしまえば腕や技術は付いて来ているから、こうして結果は付いて来る。要するにこれが大作の厳しさなのね。小物の作品ならとっくに終わっているから、楽しいモザイクをすれば良いのね。けれど大作は時間が掛かる。

すると、作っている過程でこうした感情の起伏があって、月並みだけれど人生のように山あり谷ありなのね・・・・。何しろ本気でやればやるほど、持ち合わしている自分の時間を切り崩して作っているのだから、その受けるダメージも喜びも大きい・・・・。

それを暇だし、何か無いかなぁ・・・?ならば、その時間を楽しめれば、払ったお金との比較になる。結果が良ければ、なおよろしって、話になる。そう言う点でも、こんな本気な作品・・・・いつか良い思い出になって、これを見て悲しむのでは無く、あんな事あった・・・・

こんな事もあった・・・・と悲しむ振り返りにならないように・・・・出来れば、思い出を笑えるようになれば良いな・・・と思う。

さてそれでは金町湯のおかみさん。

そうね、クローバーの中心部・・・・1cmタイルでハートなんて切っている。お見事なのね。記憶が正しければ、キウイが切ったのを見た以来かな・・・・?それと、小鳥の仕上がりもお見事でここまではほぼ完璧なのね。

世界観も良く出ていて、今までのおかみさんとは雰囲気が違う作品になっているのね。ただ1つお小言と言うのなら、緑の草のモチーフに入った瞬間、悩んでいる事が伺われたのね・・・・四苦八苦しているように・・・・ね。

擬音になるが、草はグネッって曲がらないと・・・・。クネッでも良いけど。カクッと曲がっちゃダメなのね。そのやり方は教えたけれど、何しろ1枚で丸くしようとすると、輪郭がモコモコとしてしまうので、割と1パーツ、1パーツはそんなに丸くは無いのね・・・・。

そうね、今度今の俺の作品のアップ・・・をアップしようね・・・・げっ、変な駄洒落になっちゃった・・・。

要するに四角いタイルを何回も切って、細かくなってしまって・・・それなのにきちんとした角度や輪郭をキープして、行ったり来たり、クルっと曲げたり、戻したり、途中で辞めたり・・・・ここに葉っぱが付けば、おかみさんのやりたい事になるはず・・・・。

けれどね、何しろこうするのか?って理屈が判らないと、これかな?こうかな?・・・・って不安の中、進まないとならず、しかも小鳥もクローバーも余りにも完成度が良く、しかも悩みとしてもここまででは無かった感じがして・・・・。

初めての大きなつまづきって感じで、逆にここを乗り越えれば、次なる大作に大きな力となる。何しろそれほど、小鳥とクローバーの出来栄えが見事だったって事でもある。

その後、アトリエに戻ってシドさんのテーブルとなったんだけれど、明日はボー教室だし、少し遅くまでやるかな・・・・と、久しぶりに11時過ぎまで・・・・中々久しぶりだときついのね・・・・。ただそろそろまた深夜も活動しないとね・・・・。色々とやる事あるし・・・。

 


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シドさんのテーブル

2014-12-13 06:25:52 | モザイク作家

昨日撮り忘れのシドさんのテーブル。下絵を終えてから、随分と長かったが、持ち込みの下地に傷なんか出来て直すなんて事になったら・・・とか、プレッシャー掛かってたね・・・・判ってはいたけれど、フイギュアが来たのは良いきっかけだったのね・・・・。

くだらない話だけれど、タイミングってあってね、例えば下絵としてデザインを描くって言うのは、オリジナルなのだから、こうかな?こうかな?と何が素敵か?なんて事を考えて・・・・しかもいつそれが出来るか?もっと言い方を変えれば、永遠に出て来ないかも・・・って、

果てしなさの中、時間がどんどん過ぎて行くものなのね・・・・そしてそのデザインは美しさ重視で進んで行く。所がひとたびデザインが終わると、施工の為に構造なんて考えると、こんな細くて・・・こんな小さい穴、空けるの?とか、制作する為の下地作りの事なんて、

あんまり考えていなかったりもする・・・・それをクリアーした時、初めてモザイクのkatsuが出て来られる訳で・・・。そもそもこんな形に彫って・・・って第三者に頼んだら一体どうなるのだろうか?・・・・一体これだけでいくら掛かるのか?腕としての質、そしてその値段・・・。

そりゃたやすい事では無い。デザインは美しさのオリジナルの難しさ、そしてそれを現実にする為の下地にする施工の難しさ、そしてモザイクの難しさ・・・・すべて難しさの度合いが違うのね・・・・しかしながら全部同じ人間のkatsuなのである・・・。

そして今更ながら、俺が一番得意なのはモザイクである・・・・って事。ようやく、一番得意な部分に入る事が出来たのね・・・・。そうね、ここまで来たら時間が解決するでしょ・・・・きっと。ただね、何とかなるけれど、人一倍モザイクの果てしなさを知っているからね・・・・。

またやっちまったじゃねぇかっ・・・・一体何考えてんだよっ・・・・設計してる奴は・・・・勝手な絵を描きやがって・・・まったくいつもいつも・・・って・・・・って俺かぁ・・・・好き勝手やりやがってよぉ・・・・ってブツブツって感じなのね。

けれど、こうして出来て来ると・・・・やっぱkatsuのモザイクになって来てんじゃん・・・じゃ良いじゃん・・・って思えたりもする。でもね、それは苦手な部分を切り抜けただけのひと時の安堵感であって、こうした図面の通りに作れば良いってものでも無いのね。

現場は生き物で、図面なら数ミリの違いも無く描く事は出来るが、施工は数ミリ曲がる事なんて多々ある。いかにそれをカバーして、見せるか?は腕の見せ所でもあるが、簡単な事では無いのね。簡単じゃん・・・なんて思うと緊張感は無くなるし、安易な気持ちは、

油断に繋がるのね。そもそもシドさんは何個も俺の作品を持っていらっしゃるお客さん・・・以前の作品に見劣りするのは困るし、今の作品がぶっちぎりに上手いのも困る・・・・スマートに何も無く昔からそこにあったように・・・そんな感じに作りたいのね・・・。

まっ自分で言うのもなんだけれど、下絵はそこそこ良かった。下地も何とかなった。後はそのまま引き継ぐだけ・・・・。

 

 

 


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