授業で描画で「手のクロッキー」をする。
その導入で資料集のデューラーの手の版画を
提示して見せた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/16/c7310063bc3aadf86e8d6b725b25d099.jpg)
「どう思う?」「どう感じる?」と聞くと
「上手い絵だと思う。」「細かい所まで良く描けている」
とか「光が当たっているところが白くなってる。」と
優等生的な答えが返ってくる。
私が一番に思ったのは「この手はどんな人の手なんだろう?」
だ。
描かれていない顔はどんな顔でどんな職業の人だろう?
どんな年齢の人なんだろう?
男か女か?
手のポーズからするときっと祈りをささげている
手なんだ。
しわだらけだからあんまり若くなくて
農民かもしれない。
どちらにしてもよく働いてきた人の手だと感じた。
そこで手にした姜尚中の新書
「あなたは誰?私はここにいる」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f4/91142542419a9325af2b6bda9b56550e.jpg)
の中にこのデューラーのこの手の版画に触れている
一説にいきあたった。
この手はデューラーの友人の手で
貧乏な中で画家になるために交替で働いて
お互いを援助しようと言う事になった。
先に働いた友人に
画家になったデューラーが交替しようと
申し出たがその友人は申し出を断ったという。
そのお礼に描いた友人の手のデッサンだそうだ。
なにぶん寓話めいているので実話ではないと
本の中には書かれている。
私が「良く働いてきた人の手」と思ったのは
あながち間違いではなかったようだ。
この絵はドイツの各家庭に十字架の代わりに
よく掛けられていたそうだ。
なるほど「労働と祈り」
これほど端的に表している絵はない。
姜尚中さん
日曜美術館の落ち着いた語り口は
地味ながらとても示唆に富んでいて楽しみにしていた。
でも突然の降板
残念だった。
ダンナのいうのには上野千鶴子女史に
「そんな悠長に絵の話をしている場合ではないでしょう。
あなたにはもっと政治でやることがあるでしょう。」と
新聞紙上でたたかれたせいだというのだ。
なんとも野暮な発言である。
だからこの国はいつまでも成熟しないのよね。
その導入で資料集のデューラーの手の版画を
提示して見せた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/16/c7310063bc3aadf86e8d6b725b25d099.jpg)
「どう思う?」「どう感じる?」と聞くと
「上手い絵だと思う。」「細かい所まで良く描けている」
とか「光が当たっているところが白くなってる。」と
優等生的な答えが返ってくる。
私が一番に思ったのは「この手はどんな人の手なんだろう?」
だ。
描かれていない顔はどんな顔でどんな職業の人だろう?
どんな年齢の人なんだろう?
男か女か?
手のポーズからするときっと祈りをささげている
手なんだ。
しわだらけだからあんまり若くなくて
農民かもしれない。
どちらにしてもよく働いてきた人の手だと感じた。
そこで手にした姜尚中の新書
「あなたは誰?私はここにいる」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/f4/91142542419a9325af2b6bda9b56550e.jpg)
の中にこのデューラーのこの手の版画に触れている
一説にいきあたった。
この手はデューラーの友人の手で
貧乏な中で画家になるために交替で働いて
お互いを援助しようと言う事になった。
先に働いた友人に
画家になったデューラーが交替しようと
申し出たがその友人は申し出を断ったという。
そのお礼に描いた友人の手のデッサンだそうだ。
なにぶん寓話めいているので実話ではないと
本の中には書かれている。
私が「良く働いてきた人の手」と思ったのは
あながち間違いではなかったようだ。
この絵はドイツの各家庭に十字架の代わりに
よく掛けられていたそうだ。
なるほど「労働と祈り」
これほど端的に表している絵はない。
姜尚中さん
日曜美術館の落ち着いた語り口は
地味ながらとても示唆に富んでいて楽しみにしていた。
でも突然の降板
残念だった。
ダンナのいうのには上野千鶴子女史に
「そんな悠長に絵の話をしている場合ではないでしょう。
あなたにはもっと政治でやることがあるでしょう。」と
新聞紙上でたたかれたせいだというのだ。
なんとも野暮な発言である。
だからこの国はいつまでも成熟しないのよね。