同和鉱業片上鉄道は柵原鉱山で産出された硫化鉄鉱を搬送する為に敷設された鉄道で、鉱石の輸送と共に地元住民の足として活躍してました。鉱石輸送がトラックに切り替えられて、さらに旅客輸送も道路整備の進展で減少が続いた事から1991年(平成3年)に廃止されました。(撮影:2015年9月)
廃線後は公園施設として吉ヶ原駅(きちがはら)駅舎と周辺の線路の一部は保存されて一見、現役の路線かと思われる光景になってました。
この駅は相対式ホーム2面3線の他、貨物ホームや操車場を持つ駅長勤務の主要駅だった様です。
駅舎ホームへ入りました。「駅長」のプレートが掛ってました。
構内踏切で島式ホームの方へ移動します。
駅舎の外へ出て線路沿いを移動しました。右奥の赤い屋根は駅舎で、左側では島式ホームにディーゼル機関車と気動車が停車しており、いずれも動かせる状態で保存されてます。これを撮っている場所から私の後方には、この路線の終着駅だった柵原駅(やなはらえき)が復元されて吉ヶ原駅との間で展示運転が行なわれてました。
廃線後は公園施設として吉ヶ原駅(きちがはら)駅舎と周辺の線路の一部は保存されて一見、現役の路線かと思われる光景になってました。
この駅は相対式ホーム2面3線の他、貨物ホームや操車場を持つ駅長勤務の主要駅だった様です。
駅舎ホームへ入りました。「駅長」のプレートが掛ってました。
構内踏切で島式ホームの方へ移動します。
駅舎の外へ出て線路沿いを移動しました。右奥の赤い屋根は駅舎で、左側では島式ホームにディーゼル機関車と気動車が停車しており、いずれも動かせる状態で保存されてます。これを撮っている場所から私の後方には、この路線の終着駅だった柵原駅(やなはらえき)が復元されて吉ヶ原駅との間で展示運転が行なわれてました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます