初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

ライカとの出会い

2009年10月08日 16時25分20秒 | Weblog


父親は仕事が忙しくて決まった休日はありませんでした。

子供のころの私は,近所の父親も

そんなもんだろうと思っていました。





父親の帰りが遅いせいか、朝の遅い我が家でした。

「坊や(私のこと)が幼稚園に行くようになったら…」

朝、起きられるかしらと母親は心配していました。

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朝、早く起きたときがありました。

ひとりで部屋の中をウロウロしていますと、

鴨居に見なれない皮ケースが吊り下がっています。

蓋を開けるとカメラです。

押しボタンのところを押してみました。

「カシャッ…」と音がして,並んでいるダイアルが

「クルッ…」と1回転しました。

すっかりビックリして、父親には内緒のままです…。



後年わかりましたが、どうやら「ライカⅢA」を

誰かに借りて,フィルムを巻き上げたまま、ぶら下げていたのでしょう…。

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当時,ライカ1台で家が建つと言われていましたから,

父親のカメラではありません。

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父親は,私が生まれる前は、戦前のシートフィルムを使う

蛇腹のプラウベル・マキナを使っていたらしいのです。

父親が「マキナ」を使うのを見たことがありませんでした。

私が生まれてからは,日本で初めて発売された、

レンズシャッター式の35ミリカメラ「オリンピック」を使っていました。

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父親と休みの日に近くの京都植物園へ行きます。

当時珍しかった35ミリ判、「オリンピック」でスナップを撮ってくれました。

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世間では,ベスト判かブロニー・セミ判の密着プリントが流行っていました。





小学校3年生のときに父親の仕事の関係で満州に行くことになります。