父親は仕事が忙しくて決まった休日はありませんでした。
子供のころの私は,近所の父親も
そんなもんだろうと思っていました。
父親の帰りが遅いせいか、朝の遅い我が家でした。
「坊や(私のこと)が幼稚園に行くようになったら…」
朝、起きられるかしらと母親は心配していました。
… … …
朝、早く起きたときがありました。
ひとりで部屋の中をウロウロしていますと、
鴨居に見なれない皮ケースが吊り下がっています。
蓋を開けるとカメラです。
押しボタンのところを押してみました。
「カシャッ…」と音がして,並んでいるダイアルが
「クルッ…」と1回転しました。
すっかりビックリして、父親には内緒のままです…。
後年わかりましたが、どうやら「ライカⅢA」を
誰かに借りて,フィルムを巻き上げたまま、ぶら下げていたのでしょう…。
… … …
当時,ライカ1台で家が建つと言われていましたから,
父親のカメラではありません。
… … …
父親は,私が生まれる前は、戦前のシートフィルムを使う
蛇腹のプラウベル・マキナを使っていたらしいのです。
父親が「マキナ」を使うのを見たことがありませんでした。
私が生まれてからは,日本で初めて発売された、
レンズシャッター式の35ミリカメラ「オリンピック」を使っていました。
… … …
父親と休みの日に近くの京都植物園へ行きます。
当時珍しかった35ミリ判、「オリンピック」でスナップを撮ってくれました。
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世間では,ベスト判かブロニー・セミ判の密着プリントが流行っていました。
小学校3年生のときに父親の仕事の関係で満州に行くことになります。