やっと、引き揚げてきて浜松に落ち着きました。
しかし、問題が浮かんできます。
私の学校をどうするかということです…。
小学校(国民学校)は卒業しましたが,正式の中学校がなかったのです。
年齢から見れば,中学1年在学になります。
敗戦後,長春では近所の元教師が集まって,
謄写版(ガリ版ずり)で教科書をつくって、
私らに配って,ボランティアで中学一年生の授業を始めてくれました。
… … …
長春で国府軍と八路軍が内戦が始めると、流れ弾が危ないので教室は閉鎖します。
教室は,椅子も机もありません。
各自,折りたたみの椅子と図工用の画板を持って集まりました。
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長春を引き揚げの合図で出発してから,
浜松に到着するまで、勉強は一切していません。
母親と浜松市役所に出かけますと,係は頭を悩まします。
私と同じ境遇の子供が大勢,引き揚げてきているというのです。
一般に,小学生ならは一学年したのクラスに編入するのですが,
私の場合は,中学1年の年齢ですから,
小学校6年というわけにもいかないというのです。
浜松の県庁所在地は静岡です。
静岡に父方の親戚が1いました。
父の兄は亡くなっていましたが,叔母は元気です。
過保護の今では考えられませんが…,
母親は叔母宛の手紙を持って,ひとりで静岡へ行けと言います。
国鉄で行きました。
叔母に会うと喜んでくれて,豪華な昼食をごちそうになりました。
母からの手紙を読んで,
静岡県庁へ一緒に行ってくれました。
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県庁の結論では,中学一年に編入してください。
となりました。
1年近いブランクを後から追っかけるのです。
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中学の教科書をもらいました。
初めて見る教科書は立派なものでした。
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一人で静岡行きが,成功すると、母親は、
今度は名古屋の代官町で歯科医をしている母親の弟のところへ
行ってこいといいました…。