父親は何回か浜松と京都を行き来していました。
父親は仕事の年間契約が出来て、少し将来のめどがたちました。
京都へ帰ろうということになりました。
新しい住所は
京都市左京区下鴨泉川町6番地
です。
渡満する前の住所は
京都市左京区下鴨下河原町15番地
でした。
この二つの住所は,今は世界遺産になった
下鴨神社の広い神域、境内を挟んで両側になります。
夜,境内を流れる泉川の石橋を渡って、暗い糺の森(ただすのもり)を
横切って家族で銭湯へ行きました。
近くに,谷崎潤一郎の屋敷がありました。
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京都は,戦災に遭っていませんから,
私の生まれた下河原町も昔のまんまでした。
角の西垣郵便局、畳屋さん、写真館,喫茶店,小児科医院,
そのままです。
昔通りの生活が営まれています。私はタイムスリップを感じました。
私は長春から、敗戦で焼け野原の浜松に帰ってきました。
戦災のあっていない京都に帰ってきて,私の5年間は、
何だったのかとつくづく思いました。
私のカメラは,35㍉改造のベス単です。
この35㍉フィルムにこだわった理由は、
映画撮影用のフジのスーパー・パンクロ・フィルムの
端尺が手に入るからでした。
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映画はタングステン電球で照明するセット撮影が主ですから,
色温度の低いタングステン電球にあわせて、赤の感度が高いフィルムでした。
女の人の唇の色が白黒映像では白っぽく写ります。
それがスーパー・パンクロ・フィルムです。
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市販の白黒フィルムは赤の感度を抑えた「オルソ・パンクロ」で
肉眼に近い感色性のフィルムでした。