長春に敗戦後,日本へ引き揚げるまで家族はいました。
地図で見ると,長春の緯度は北海道の旭川付近になります。
北海道も冬は厳しいでしょうが周りは海で寒さも
少し穏やかではないでしょうか。
大連から長春まで広野の中をどこまでも直線の鉄道線路は伸びていました。
1時間、列車の窓から外を見ても草原のなかを走るので景色は変わりません。
船で太平洋に出ると水平線が緩い半円形に曲がって見えます。
列車の窓から草原の地平線も曲がって見えました。
長春の冬は大陸性気候で厳寒です。
シベリアからの寒気で「三寒四温」のリズムで寒さが押し寄せてきます。
四温のときはマイナス10℃ぐらいですが,
三寒のときはマイナス20℃以下になります。
小学生の私は防寒帽をかぶって、オーバーを着て
広い広野の残雪の道を春光国民学校(しゅんこうこくみんがっこう=戦時中,
小学校から国民学校へ名称が変わりました)へ通いました。
吐く息が眉毛に付くと,白く雪のように凍ります。
睫毛も何となくシバシバします。
あまりの寒さで手足の先が冷たいのを通り越して痛く感じます。
… … …
父親が家にいて,私も休みの厳寒の日、
父親に家の周りの雪景色の写真を撮りたいと、カメラを借りました。
その時の父親のカメラは,ベス単(コダック・ベスト・単玉(たんぎょく))
でした。
フィルムは裏紙付きベスト判です。
フィルムの装填方法が、後から出現するバルナック・ライカと同じように、
細いスリットから装填します。
… … …
写真を二,三枚写したらすぐに家に帰ってこいと父親はいいます。
あまりの寒さで,レンズシャッターが凍って
動かなくなるといいます。
… … …
写真を撮っていますと,シャッターの
「シュッ…」
という音から気のせいか
「ニチャッ…」
と聞こえるように感じました。
… … …
こんな寒いときには写真は写せないのかと、
父親に聞きますと、
ライカなら大丈夫だと言いました…。