そのまま行くと、角に元禄時代に京都伏見で創業して大正末期に十三に店を構えた㈱西川、ここは大阪で唯一様々な用途に使われている柿渋店だそうです。布団の西川は知っていますが、違うのかどうか確かめるもなく、そこを曲がるとやっとにぎやかな阪急十三駅になりました。
地下道をくぐり、十三駅前西商店街に入りますが、ここは駅の東側と違って凄く活気ある町で何でこんなに違うのかと不思議に思われました。通称‘波平通り’華やかで、やっと十三らしく、その昔夜に良く飲みに来ました。飲み屋街から国道を渡ると、そこから初めて行くフレンドリー商店街に入りました。
少し行くと人が一杯で何事かと思いましたが、野次馬根性でのぞくと、演歌歌手のキャンペーンで表の写真とちょっと違う熟女歌手がいて、小さなお店から人が溢れていました。どんどん行くとJモール、そして もといまロードと続く商店街のイメージは物忘れがひどく、どこか思い出しませんが、東京のある商店街に良く似ていました。長く美しい所は十三とは思えない程広くにぎやかな通りでした。
終り近くにスーパーのサンデーがあったので十三公園で飲もうとビールとおつまみを買いました。その公園が地図を見て分らないので、丁度一人で遊んでいる子に聞きました。なかなか良い子で道を丁寧に教えてくれましたが、こんな子供が最近の治安の問題等で言うと危なくなるので、自分が聞いたのに申し訳無いですが、世の中住みにくくなるのは当然です。
ちょっと一休み、その公園は丁度八重桜が満開でベンチに座って桜見物となりました。次に行く所を考えていたのですが、公園はかなりの人で、子供の間を30代と思われる人が盛んにダッシュを繰り返していました。その向こうが手塚治虫出身全国的に有名な大阪の北野高校がありました。
この辺りは初めてきたので地図の見間違いもあって迷ったですが、富坂賢太郎歌碑(格調高い歌をつくり、数々の災難やだまされても人を信じたいと絶望せずに、不運にも最後は交通事故で亡くなったと言う人だったそうす。)を入口が狭くて分かり難い、Jモールの終わりの方にある長安寺の境内に見つけました。そこを出まして、珍しい桶等が置いてある寂れた店の前を通り過ぎて、自分の位置を確認すると、この店が樽加商店と言う案内書に載って、もう一ど戻って見ました。本には時代劇の1シーンのような佇まいと紹介されていました。向かい側が十三バイパスの高架になりました、その下に洒落たバーや食べ物屋が何軒かありました。
ここから、淀川図書館に行こうと思って戻って行くとプラザオーサカ(今は無きホテルプラザとは関係無し)があり、昔、オープニングの時に招待されて行った事を思い出しました。粗品としてOsaka Plaza Hotelと一杯書いてある浴衣を頂いた事を思い出しました。沢山の研修生と思われる男女が出て来ましたが、このホテルだけがまともで、この辺りは十三のもう一つの有名な面、派手で有名な昔は温泉マークと言っていたホテル街となっています。こんな所に多分研修とは思いましたが驚きました。
ホテル街を抜け川の畔にステラマリアと言うフレンチレストラン、ここは昔10数年前に安いので良く来ました。十三でフレンチ料理とはなかなかいかしていましたが、世の中変わるもので、メニューを見るとその当時安かったのに、今安い店が沢山できたので普通の値段の店になりました。
そこを抜けて行くと、目的の図書館がありました。多分この地域ではここが唯一優良施設の図書館と思われるのですが、一階のみで大変混んでいました。狭く落ち着いて座る場所もないので、沢山歩き疲れたので仕方無く帰る事にしました。
地下道をくぐり、十三駅前西商店街に入りますが、ここは駅の東側と違って凄く活気ある町で何でこんなに違うのかと不思議に思われました。通称‘波平通り’華やかで、やっと十三らしく、その昔夜に良く飲みに来ました。飲み屋街から国道を渡ると、そこから初めて行くフレンドリー商店街に入りました。
少し行くと人が一杯で何事かと思いましたが、野次馬根性でのぞくと、演歌歌手のキャンペーンで表の写真とちょっと違う熟女歌手がいて、小さなお店から人が溢れていました。どんどん行くとJモール、そして もといまロードと続く商店街のイメージは物忘れがひどく、どこか思い出しませんが、東京のある商店街に良く似ていました。長く美しい所は十三とは思えない程広くにぎやかな通りでした。
終り近くにスーパーのサンデーがあったので十三公園で飲もうとビールとおつまみを買いました。その公園が地図を見て分らないので、丁度一人で遊んでいる子に聞きました。なかなか良い子で道を丁寧に教えてくれましたが、こんな子供が最近の治安の問題等で言うと危なくなるので、自分が聞いたのに申し訳無いですが、世の中住みにくくなるのは当然です。
ちょっと一休み、その公園は丁度八重桜が満開でベンチに座って桜見物となりました。次に行く所を考えていたのですが、公園はかなりの人で、子供の間を30代と思われる人が盛んにダッシュを繰り返していました。その向こうが手塚治虫出身全国的に有名な大阪の北野高校がありました。
この辺りは初めてきたので地図の見間違いもあって迷ったですが、富坂賢太郎歌碑(格調高い歌をつくり、数々の災難やだまされても人を信じたいと絶望せずに、不運にも最後は交通事故で亡くなったと言う人だったそうす。)を入口が狭くて分かり難い、Jモールの終わりの方にある長安寺の境内に見つけました。そこを出まして、珍しい桶等が置いてある寂れた店の前を通り過ぎて、自分の位置を確認すると、この店が樽加商店と言う案内書に載って、もう一ど戻って見ました。本には時代劇の1シーンのような佇まいと紹介されていました。向かい側が十三バイパスの高架になりました、その下に洒落たバーや食べ物屋が何軒かありました。
ここから、淀川図書館に行こうと思って戻って行くとプラザオーサカ(今は無きホテルプラザとは関係無し)があり、昔、オープニングの時に招待されて行った事を思い出しました。粗品としてOsaka Plaza Hotelと一杯書いてある浴衣を頂いた事を思い出しました。沢山の研修生と思われる男女が出て来ましたが、このホテルだけがまともで、この辺りは十三のもう一つの有名な面、派手で有名な昔は温泉マークと言っていたホテル街となっています。こんな所に多分研修とは思いましたが驚きました。
ホテル街を抜け川の畔にステラマリアと言うフレンチレストラン、ここは昔10数年前に安いので良く来ました。十三でフレンチ料理とはなかなかいかしていましたが、世の中変わるもので、メニューを見るとその当時安かったのに、今安い店が沢山できたので普通の値段の店になりました。
そこを抜けて行くと、目的の図書館がありました。多分この地域ではここが唯一優良施設の図書館と思われるのですが、一階のみで大変混んでいました。狭く落ち着いて座る場所もないので、沢山歩き疲れたので仕方無く帰る事にしました。